5-ⅩⅤ 〜雨村カスミという女①〜
家に帰ってきた愛は、真っ先に自分の部屋へと飛び込んだ。
そして、持っていた荷物を、背中の
「おおい、もうちょっと丁寧に扱え……!」
夜道の文句を聞くこともなく、愛はベッドに飛び込む。枕を抱えてうつ伏せのまま、彼女はただただじっとしていた。
「……どうした? 様子が変だぞお前」
夜道の言葉に愛は答えない。というか、答える余裕がなかった。
(……あの、「付き合う」って、どういうことだろう……)
まさか、本当にそう言う意味なんだろうか。
野球の話かもしれない、という考えは、愛の思考から完全に消えていた。彼女の頭には、「付き合う」というワードしか残っていなかったのである。
(……や、やっぱり、そう言う感じなのかな……?)
スマホに映っていた、胸元を強調した金髪褐色ギャル。
あれが蓮さんの好みなんだろうか? というかそもそも、蓮さんの好みっていったい何だろう?
(……って! 何で私が蓮さんの好みの事でこんなもやもやしてるのよぉ!?)
枕に顔を押し付けて、バタバタと足を動かす。その異様な様に、夜道はぽかんとするばかりであった。
(ううううううううううううううううう……!)
そのままゴロゴロとベッドの上で転がり続ける。そのうち、転がる距離感を間違えて、愛はベッドから転がり落ちた。
したたかに全身を強く打った愛は、涙目になりながら天井を眺める。
照明がチカチカお化け電球になりかけている。そろそろ新しいのに変えないと。
「……おい、大丈夫か?」
視界に、心配そうにこちらを見つめる夜道が現れる。
「……なんでもないです」
そう言ってからも、起き上がるのに5分かかった。
**************
翌日の朝に、蓮はバッティングセンターへとやって来た。時間ギリギリに行くと、見覚えのある金髪が豪快にバットを振るっていた。
「おおー……」
先日見た時もそうだったが、ナイスバッティングだ。女にしては腰が入った動きを見せる。そして、先日よりもそのスイングは豪快だ。その理由は、彼女の格好が前のようなきわどい制服ではなく、緑色のジャージ姿だからだろう。
「お、蓮ちゃん。おはよー」
「待ったか?」
「ううん? これ、言うの普通逆じゃね?」
そう言ってカスミはカラカラ笑う。蓮は溜息をつきながら、バットを一本手に取った。力任せにバットを振るう。ピッチングマシンから放たれた球は、見事にスイングを躱して金網に突き刺さった。
「……あれ」
「ちょっと振りが直線的過ぎだねー。ちょっと見てて」
カスミはそう言うと、蓮の隣でガンガン打ちまくる。
「球ってさ、普通はまっすぐ来ないのよ。だってキャッチャーが座ってんだからさ。下に落ちるんだよね」
「お、おう」
「ちょっと下から掬い上げるような感じで、狙ってやると……こう!」
気持ち良い音とともに、ボールがはるか彼方へと飛んでいく。そして、ホームランの的の少し左にそれたところに当たり、ぽとりと落ちていった。
「ありゃ、惜しい!」
「……野球、やってんのか?」
「まーね。つっても、部活とかじゃないけど」
「……そもそもビチ校に部活なんてあんのかよ?」
「あるよー。バカにしないでくれる?」
カスミは冗談交じりにそう言うが、蓮は「うぐ」と言葉に詰まってしまった。綴編だって野球部があったのだ。ブーメランのように、自分たちに言葉が返ってきたことに、一瞬遅れて気づいたのである。
「ま、部活って言ってもね。本格的に大会で優勝目指す、とかでやってるのはないかな? 運動部は身体鍛えるー、とかだし、文化部はオタク女子の居場所作りみたいなもんだし。ま、ぶっちゃけぬるいよね。サボりなんて日常茶飯事よ」
「ほぉ……」
今まで、ビチ校の部活事情など気にしたことがなかった。なんせ、不良と金持ちにすり寄ってくるクソみたいな女ばかりだと思っていたからだ。
「あたしと、上にお姉ちゃんがいてさ。小さい頃は女子野球のチームは言ってたんだよ。中学の時は女子野球部入ってたし」
「へえ」
「でも、中学で野球部やめちった。ほら、あたし……これでしょ?」
そう言って、カスミは自分の髪をくるくるといじる。
蓮は其れで合点がいった。そう言う事か。
「顧問と揉めたんだよねー。髪は黒くしろ、普段からちゃんとした服装をしろ、男遊びすんな、とかねー」
「そりゃ最後のは怒るだろ」
蓮の指摘を無視して、彼女はまたボールを打ち返す。
「でもさ、好きなものには一切手は抜いてないんだよ? 練習サボったとかないしさ。でも、髪黒くしないのが理由でレギュラー外されたのが気に食わなくてやめちゃった」
その代わりのポジションの子というのが、カスミより数段劣る後輩。別にレギュラーを取られることはいいのだが、それで顧問と喧嘩して殴り合いにまで発展したらしい。結局自主退部し、彼女の中学野球は終わりを迎えた。なかなかヘビーな話だ。朝に聞くには胃もたれしそうだと、蓮は聞いたことを後悔する。
「まあ、勉強はできなかったから、ビチ校なんかに通ってるわけだけどね」
「ふーん……そう言えば、お前の姉貴も野球やってんの?」
「うん。お姉ちゃんは強いよー? 『第七中学の
「雨村?」
「うん。あたしの名字。あたし雨村カスミっての」
初めてフルネームを聞いたが、これっぽっちも思い当たらない。
「……まあ、いいや。んで、本題なんだが」
「うん?」
「お前、少年野球の助っ人やってくんないか?」
カスミが目を丸くして蓮の顔を見つめた。
「……何? 冗談?」
「マジで。ちょっとガキに混じって野球してくれりゃいいから」
「……マジなわけ? ああ、あの時の兄弟か」
カスミの脳裏に、八木兄弟がすぐに思い当たった。
「まー、別にやぶさかじゃないんだけどさー。ちなみにいつよ? 試合」
「2週間くらい先。だから、今度の日曜だわ」
「日曜?」
カスミはスマホを取りだして、その日の予定を確認する。そんな忙しいのかと蓮は訝しんだが、カスミはすぐに「あ、ダメだ」と声を漏らした。
「あたし、その日バイトだー。一日潰れるくらい入ってるわ」
「……マジか。あ、例のお前の姉貴は?」
「無理だねー。おんなじ働き口だし。この仕事サボったら、あたしママにぶっ殺されちゃうなー」
「ママ?」
「ママがね、あたしたちにバイトあてがってくれるのよ。社会に出ても困らないようにってねー」
ほお、そりゃ大した母ちゃんだ。家でのほほんとしている自分の母を想像して、蓮は「大違いだ」と脳内でつぶやく。
「ちなみに、今日もこれからママ紹介のバイトにお姉ちゃんと行く予定なんだよね」
「そうなのか? 悪いな、じゃあ、今日来てもらっちまって」
「いいよいいよ。むしろ、いい準備運動になったしね」
カスミはそう言うと、うーんと身体を伸ばした。
「また練習に付き合ってほしいときは連絡ちょうだいな。頑張ってよ?」
「……おう。じゃあな」
蓮も立ち上がると、もう一度バッターボックスに立つ。カスミは蓮の空振りを見やりながら、バッティングセンターを出た。
「ーーーー身体使うんだよねー、今から」
そう言う彼女は、スマホで連絡を取る。
連絡先は『ママ』だった。
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