5-ⅩⅣ 〜紅羽蓮は、ニブチンさん。〜
「あ。蓮さん、忘れ物してる」
蓮が「嫌な予感がするから先帰るわ」と言って窓から飛び出して帰った後の安里探偵事務所。蓮のいう嫌な予感とは、大体弟の翔の貞操の危機なので問題はない。ストーカーの女の子というのも、蓮を相手に懲りないものである。
シフトも終わり帰り支度をしていた愛だったが、いざ帰ろうとした時に蓮のスマホが机に置きっぱなしになっていたのが目に入ったのだ。
「おや、そそっかしいですねえ。スマホ忘れるなんて、蓮さんらしくない」
「別に明日渡せばいい気もするけど。明日もシフト入ってるし」
「……私、蓮さんの家に届けに行きますよ。家近いですし」
「いいんですか?」
「大丈夫ですよ。何かあってもこれもありますし」
愛はそう言い、背中に下げた竹刀袋を見せる。
「……間違っても、切断事件とか起こさないでくださいね」
「起こしませんよそんなこと!?」
あくまでこれは護身用。それも、暴漢も含め魑魅魍魎から身を護るためのものだ。そうそう使う事なんてない。
というかそもそも、愛は夜刀神刀を抜いたことがなかった。
「危ないから、絶対にお前は抜くなよ? フリじゃないからな?」
夜道に口を酸っぱくそう言われた。お笑い番組の影響か、セリフだけ見ればちょっと怪しいが、その時の表情は鬼気迫るものだった。おそらく本当に抜いたら不味いのだろう。
「……まあ、多分大丈夫ですから。じゃあ、お疲れさまでした」
「気をつけて帰ってくださいね? それじゃ」
愛は蓮のスマホをカバンに入れると、そのまま事務所を出る。夏の夜は昼よりは涼しいが、それでも少し蒸し暑い。エアコンの効いた事務所に慣れた肌が、じめじめとした暑さにたまらず汗が浮き出る。
蓮のように速攻で走って帰れればいいのだが、そう言うわけにも行かないので、普通に電車に乗って帰る。夜8時ごろの電車は、第2次帰宅ラッシュのほぼ満員だ。仕事もだが、飲み会帰りのほろ酔いもちらほらと見受けられる。あとは愛と同様バイトだったり、塾だったりから帰る学生たちだ。
2駅ほど乗り継いで、最寄りの駅に降り立つ。帰ったら親に試合当日のお弁当の話をして、おじいちゃんと夜の素振りをして……。結構、彼女のやることは多い。
スマホを取りだすと、ポチポチとインターネットを開く。帰りに少しだけ、新しいB級以下の映画を探すのが彼女の些細な楽しみだ。
「……またけったいな映画を探しているのか?」
最初は映画という概念そのものに感心していた夜道も、今ではもうだまされない。愛の選ぶ映画がとんでもないクソ映画だという事は、先日「七人の侍」を見た時からばれている。
「けったいて……。嫌なら見なければいいでしょ?」
「お前が俺を持ち歩くもんだから、嫌でも見ることになるんだよ」
幸いにして、今愛が歩いている通りは住宅地で人が誰もいない。皆もう家の中にいるのだろう。夜道と一人で話していても、それを見る者は誰もいない。
そろそろ蓮の家も見えてくるだろうか、という頃になったところで。
愛の持つカバンが震えた。自分のスマホが鳴っているのかと思い、立ち止まってカバンを検める。だが、光っているのは赤いスマホだった。蓮のものだ。
そして、蓮のスマホケースはカバーはついているものの、画面を隠すようなものではない。だからはっきりと見えてしまった。
派手な女の子の写真と、電話先の「カスミン♡」という文字。
思わず愛は固まってしまったが、どうやら電話に出ないことに向こうも気づいたらしい。電話はすぐに切れた。
ほっとしたのも、つかの間だ。電話に出ないとならば、次に来るのはメッセージ。しかも、短文を連投するという、見やすさ重視の連投攻撃だ。
『蓮ちゃん、どったのー?』
『付き合えって話ならいいよー!』
『何なら明日からシちゃうー!?』
蓮のスマホを、さっとカバンにしまった。胸のあたりを押さえて、顔が
自然と真っ赤になる。
「お、おい。愛? どうした?」
夜道の言葉から逃げるように、愛は早足で歩きだす。とはいえ、夜道は彼女の背中にくっついているので、逃げようもないのだが。
矢のような勢いのまま紅羽家につくと、インターホンを強打する。しばらくして、インターホン画面を見たのか、蓮がドアを開けた。
「……どうした?」
愛は何かを言おうとするが、どういうわけか喉がカラカラで声が出ない。何がどうしたことかと首を傾げる蓮だが、愛は慌ててカバンをまさぐる。
目的の物が見つからなくて目を回していたが、やがて蓮のスマホに手が行き当たった。それをつかみ、蓮の前に突き出す。目の前にすごい勢いで突き出されたので蓮はぎょっとする。
「うおっ……って、俺のスマホ? 事務所に忘れてたのか?」
愛は声が出せず、こくこくと頷いた。蓮は釈然としないが、とりあえずスマホを手に取る。
「悪いな、届けてもらっちまって」
「…………じゃっ!」
ようやく声が出せたが、それだけしか言えなかった。そのまま踵を返して、蓮の前から足早に立ち去る。
「……何だ? アイツ」
なんか様子がおかしかったような。事務所じゃあんなんじゃなかったよな? とりあえずそのまま手癖でスマホを開くと、カスミからの着信とメッセージが来ていた。
「お、マジか」
蓮が見たのは『付き合えって話ならいいよー!』というメッセージだ。
「電話もしてたのか、悪いことしちまったな」
とりあえず『じゃあ、明日公園集合な』とメッセージだけ入れて送っておく。
それにしても。さっきの愛の様子は何だったんだろうか。ずっとうつむいていたし、声もほとんど出てないし、何かそわそわしていたし……。
ーーーーーーもしかしたら。
「トイレくらい、言えば貸してやったのに……」
まあ、うら若き乙女が、男に「トイレ貸して」とは言いづらいか。
見当違いも甚だしいが、そんなこと蓮は全く気付かない。結論付けて頭をボリボリと掻くと、ニブチン野郎はそのまま家の中に戻っていった。
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