8-Ⅶ ~ダニエルとレベッカの話~

「……こいつら、着いてきてたのか」


 トイレから戻ってきたダニエルとレベッカ、あとニックは、車の前で気絶している男たちを見下ろしてぽかんとしていた。車には蓮が乗り込んでおり、窓から見下ろしながらけだるげに欠伸をしている。


「ほっといていいのか、こいつら? とりあえずケンカ売ってきたから買ったけど」

「……ああ。地元がこの辺の奴らだ。俺らがいなくなれば、勝手に町に帰るだろ」


 ダニエルはそう言うと、レベッカを先に車に乗せて、自分も真ん中の席に乗り込もうとする。


「……ダニー!」


 転がされていた、細身の男が絞り出すように声を上げた。頑丈な奴だ。蓮は思わず感心する。しばらくは起きないだろうくらいのつもりで叩きのめしたのだが。


「――――――逃げんのか! お前、この町から!!」


 叫ぶ男の声に、ダニーは振り向かない。


「お前、親父から逃げるのかよ!?」


 車のドアは締め切られた。そして、エンジンをかける。

 これまでか、と蓮も窓を閉めて、ひと眠りする姿勢に入った。

 眠りにつく前、運転席のドアが開く音がする。ダニエルが最後に放った一言だけは、聞き取れた。


「――――――地獄に落ちろ」


 車が走り出すと同時、蓮の意識は深い底に落ちていった。


********


 顔を包み込む、柔らかい感触。上から押しつぶされるような、ほんのり甘い香りがする……。


「―――――――ッパイ!?」


 蓮が素っ頓狂な声を上げて目を覚ましたのは、真夜中のハイウェイだ。車をぶっ通しで走らせても、結局エル・パソまで着くことはかなわず。

 道路の脇に車を停めて、そこで野宿することになったらしい。

 らしい、というのは、蓮は爆睡していて全く会話に入らなかったため、ニックから聞いたのだ。


 見やれば、Hとニックはすやすやと眠っている。ニックのいびきが少しうるさいが、イヤホンで耳栓している状態の今ならさほど気にならない。


 車を出て身体を伸ばすと、ふと空を見上げた。ほぼライトのない自然の星空は、家で見るよりもはるかにきれいである。空は広く、また雲一つなかった。


「ほー……すげえな」


 夜空を眺めながら、蓮はきょろきょろと周りを見回す。夜とはいえ、星の光もある。何も見えないわけじゃない。それに、蓮の目は他人よりも暗闇に慣れるのが早かった。


「あ、いた」

「……蓮。起きたの?」


 レベッカとダニエルの二人だ。車の中にいないので、どこに行ったのかと見に来たのだ。二人は、乾いた木の葉を集めて、焚火を作っていた。ライターは持っていたのだろう。


「何してんだ、お前ら」

「あんな連中と一緒に寝てたら、何されるかわからんからな」

「そうよ。あたし、一応女なんだから」


 そう言うレベッカの言葉に、蓮は特段言い返す気も起きない。ニックなんて最初はそのつもりで近づいたんだろうし、なんだかんだとコイツ、気が強そうではあるが美人の類だ。


「……あ、そう」


 蓮は落ちていた石にドカッと座る。


「え、何? あんたもここにいる気?」

「寝れねえんだよ、さっきまでぐっすりだったから」

「……変なことしないでよ?」

「兄貴の前で妹に手出すわけねえだろ」


 蓮は頬杖を突きながらため息を吐く。


「……俺だって、兄貴なんだよ。それくらいわかるわ」

「兄貴? あんた、下の子いるんだ」

「おう。弟と妹」

「ふうん……」


 兄貴、というのが効いたらしい。あるいは、妹か。レベッカは特に何も言わず、蓮から少し離れたところに腰かける。


 ダニエルは一体何をしているのかと言えば、シャドーボクシングをしていた。


「結構様になってんじゃん」

「でしょ? 元プロだもん、当然よ」


 やっぱりか。最初に殴りかかってきた時、そんな気はしたんだよな。プロかどうかは分からなかったが、経験はある気がしていたのだ。


「元ってことは、やめたのか」

「……あたしのせいでね」


 レべッカは遠い目をしながら、シャドーに勤しむ兄を眺めている。


「さっきの連中居たでしょ。あん中にさ、あたしの元カレがいたの」

「元カレ?」

「元カレの子供、妊娠しちゃってさ。それで、堕ろせって言われて、堕ろしたの」


 なんだか、急にディープな話になって来た。蓮は思わず身構える。


「ダニー、それでブチ切れちゃって。アイツ、半殺しにされたんだよ。それで、ライセンスも剥奪されちゃってさあ」


 あっけらかんとしているが、言っている内容はかなりヘヴィーである。自嘲気味に笑うレベッカに、蓮はぽかんとするしかなかった。

 もし、自分も亞里亞がそんなことになったら、どうするだろうと、ちょっと考えてしまったのである。きっと、相手の男はこの世から去る方がマシ、という目に遭わせるだろうなあ。ともあれ、それならダニエルの捨て台詞も納得できる。


 ――――――地獄に落ちろ。


 結構インパクトのある言葉だ。並の怨恨じゃそんなこと言わんだろ、と思ってはいたが。レベッカ絡みで、相当揉めたんだな。


「――――――何話してる、さっきから」


 汗をタオルで拭きながら、ダニエルが戻ってくる。ドラッグもやっていたと聞いてたが、結構身体つき自体はいい。


「こんな夜中にシャドーなんて、変わってんなお前も」

「習慣になってんだ。やらねえと落ち着かねえんだよ」

「ふーん」


 蓮はのそりと立ち上がると、車へと戻っていった。

 おとなしく眠りに戻ったのか――――――と思ったが、どうやら違うようですぐ戻ってくる。その手には、眠る時用のクッションが両手に一つずつ。


「何のマネだ」

「元プロボクサーなんだろ? 打ってこいよ」


 そう言い、蓮はクッションを構える。

 ダニエルはじろりと蓮を見たが、先日やりあった時の強さを思い出した。


 ――――――逆らうだけ無駄だな。


 おとなしく、ダニエルはファイティングポーズを構える。

 正直蓮も、ボクシングの経験などこれっぽちもないので、昔読んだ漫画の見様見真似だが。クッションを構えると、そこにキレのあるパンチが飛び込んでくる。静寂の夜に風切音が響き、見事なワンツーが決まった。


「おー」


 最初は上。次は下。確かボディーとかでわき腹もあったか。思い出しながらクッションを構えると、ダニエルはそこにパンチを繰り出していく。


 何発か打たせていると、不意にクッションの間を抜けて、拳が蓮の眼前に迫った。


「ダニー!」


 レベッカは叫んだが、ダニーの拳は蓮の鼻先で止まる。

 蓮もクッションを構える途中で、まさか抜けてくるとは思ってなかったので、ちょっと驚いた。


「……下手クソなんだよ、ミット持つの」


 そう言って、ダニエルは車へ戻ってしまう。


「もう寝る。レベッカ、お前も来い」

「う、うん」


 二人は一緒に車に戻る。その際、ちらりと蓮を睨んだ。


 ――――――妹に手を出したら殺す。 


 ダニエルの目に、蓮は岩に座りながら手を振った。


「手出すわけねえだろ、おっかねえ兄貴だな」


 そもそも、レベッカは確かに美人だが、蓮の女の趣味ではない。

 彼の趣味は、もっと清楚な女の子なのだ。

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