1-ⅩⅦ ~あれで手加減しているの?~

「……平等院、さん……?」


 頭が冷えたので帰る、という蓮の連絡を受けて、慌てて玄関で出迎えた愛が見たのは、蓮と一緒にいる見知った顔だった。


「……立花さん、ごきげんよう」


 十華は、力ない笑顔で愛に答えると、護衛の後藤とともに事務所の奥へと入っていった。


「家出したと思ったら、新規の依頼を引っ提げてくるとは。やりますねぇ」


 安里はニヤリと笑って、蓮の背中を叩く。


「……本人にも思い出せないようなことなら、お前の出番だろ」


 蓮は安里の背中を叩き返した。その衝撃で、安里は思い切りすっ転ぶ。


「あ、悪い」

「謝るなら、愛さんにお願いしますよ」


 安里は立ち上がり際に言うと、十華たちを応接用の椅子に通した。


「紅羽くんは、こっち」


 朱部が親指で、玄関の方を指した。そこには、愛が蓮の事を見つめて立っている。


「……あの、紅羽さん……」


 蓮は、愛に近寄ると、まず頭を下げた。


「悪かった。勝手に護衛離れて」

「あ、いや。それは……私が」

「……考えてみりゃ、不安になるのはしょうがねえんだ。なのに、変に怖がらせるようなことして、悪かったよ」


「……あの、私も。謝らないといけなくて」

「あ? 何が」


「安里さんから聞きました。……紅羽さんが、綴編に入学した理由」


 愛の言葉に、蓮がぱっと安里を見る。安里はこちらを見ないで、十華の相手をしている。代わりに蓮を見たのは朱部だった。


「……お前ら、話したのか」

「仲間同士で隠し事はなし。らしいわよ」

「隠し事なんてこっちにしかないだろうが……」


 蓮は頭を掻くと、再び愛に向き直る。


「……聞いたんなら、話ははええや。ま、そういう事だ」

「……ごめんなさい。私、紅羽さんの事情、何にも知らないで……」

「気にすんな。普通わかんねえよ」


 気付けば、愛の目には涙が浮かんでいた。蓮は思わずぎょっとする。


「お、おい、泣くなよ」

「だって、だって……」

「そんな大したことじゃねえんだからよ」


「……紅羽さんが綴編に行ったのは、安里さんの命令で、なんでしょ?」


******************


「……蓮さん、あれでも、かなり無理をしているんですよ」


 蓮が出て行った直後、安里はコーヒーを啜りながらぽつぽつと語り始めた。


「僕が蓮さんと初めて出会ったのは、蓮さんが中3の時でしたねえ。詳しい話は省きますけど、蓮さん、自分の身体能力のコントロールが効かなくなっちゃっていたんですよ」


 紅羽蓮は、超人的な身体能力を持っていたが、それをコントロールすることができなかった。それこそ、軽く触れたものを粉々に砕いてしまうほどに。一度走れば、周囲のものを吹き飛ばしてしまうほどに。拳を振るおうものなら、小突いただけでビルに風穴があくほどに。


「それで、僕が彼に協力する代わりに、彼にも僕に協力してもらおうという事で。半年くらいかけて、彼に力の手加減の練習する場所と相手を用意して。いやあ、大変でしたよ。何しろ毎日修復だけでへとへとになるくらいで」

「……え、紅羽さんって、あれで……?」


「ええ、めっちゃめちゃ手加減してますよ」

 

 安里はそう言うと、愛に向けて手の平を向けた。


「愛さん、ここにパンチしてみてください」

「え?」

「ほらほら。パンチパンチ」


 一瞬ためらったが、愛は「えいっ」と拳を安里の手のひらに打ち込む。そこそこ力の入った、芯のあるストレートだ。ぱしん、という音に、安里は満足げに笑う。


「じゃあ、次は愛さん。手を出して」


 言われるがままに、愛は手のひらを安里に向ける。


「蓮さんの場合は、こう」


 安里は右の拳を握ると、構えたまま微動だにしない。

 いや、微動だにしていないわけではない。かなりゆっくりではあるが、愛の手のひらへ向けて近づいていた。

 その拳は、おおよそ2分かけて、愛の手のひらに触れる。その際も、音一つしない。


「……こんなに?」

「まあ、これはちょっとオーバーですけどね。イメージ的にはこんな感じです」


 愛は愕然とした。

 ビルを跳んで自分を運んだ時も、襲撃者を撃退したときも。さらには、校舎前での戦いも、あれでここまでの手加減をしていたというのか。


「まあ、それで……。蓮さんの手加減の訓練を手伝う代わりに、彼にはうちの従業員として働いてもらおうというわけで。それで、そのとき受けた依頼が綴編がらみだったんですよ」


 綴編の経営陣は、元々は宗教法人だった。その団体は、反社会勢力とも繋がりがあり、不良学生の中から見込みのあるものをその道に斡旋したり、犯罪の援助も行っていた。

 一方で、生徒たちの素行も非常に悪かった。暴力沙汰なら可愛い方で、拉致、監禁、強姦など、凶悪事件を枚挙すればキリがないほどだ。理事長以下経営陣が、それらの学生犯罪を隠蔽し、あるいは助長していたのだ。

 妻咲先生も、10年前にそんな学生たちの毒牙にかかってしまったのである。


「きっかけは一人の女性でした。なんでも、宗教団体に入れあげてしまった妹が、毎日男たちの慰みものになっている。言っても聞かないどころか、自分もまきこまれて純潔を散らされた、という感じだったかな?」

「……そんな事件があったんですか?」

「ええ。それで、色々裏取りをしまして……。結局、その組織を丸ごと潰すしかないなってことになったわけです」


 そして、その槍玉として立ったのが紅羽蓮だった。


「ちょうど、手加減の訓練も最終段階だったんですよ。最後に、『人間相手に殺さないように暴力を振るう』っていうのが、この仕事をする上で必要だったんです」


「そ、それで……紅羽さんは、どうだったんですか?」


 愛の問いに、安里はニヤリと笑う。直接的な表現を避けているのは、何とも彼女らしい。


「大丈夫ですよ。誰一人死んでいません。……ま、ほとんど重症でしたけど」

「そ、そうですか……」


 愛の胸の中で、何かつかえていた物が消えたような感覚がした。深い安堵に包まれる。


「よかった……」

「ふふふ、そもそも誰か殺していたら、蓮さんは今頃ここにはいませんよ。つまりは、蓮さんはかなり無理して、ようやくあそこまで自分の力をセーブすることができるようになったわけですね」


 どこがあそこまでなのかは、愛には皆目見当もつかなかった。


 ともかく、綴編高校の理事たち、宗教団体、反社会勢力は、紅羽蓮によって壊滅した。犯罪に関わっていた生徒たちも、新しい理事長によって退学処分となったのだ。


「……新しい理事長って、誰なんですか? お話聞く限りだと、紅羽さんに理解のある人ですよね」

「ええ。ここまで話してたら、なんとなくわかりませんか?」


 愛は、目の前でコーヒー片手に笑う男を見る。


「……え!? まさか……!」

「その通りでございます」


「安里さんが、今の綴編の理事長なんですか……!?」

「いやあ、理事長を退任させるってなると、学校の権利そのものを買い取らないといけなくなって。それで、他に買い手がいなかったので、渋々ですが」

「……じゃあ、紅羽さんが綴編に通っている理由って……!」


「はい。かなり危ない生徒は「卒業」させましたけど、他の連中が何かしらやらかしかねないので。彼には、抑止力として学校にいてもらっているわけです」

 

 つまりは、安里の命令によるもの。それで、紅羽蓮は地元最悪の高校に入学することになってしまったのである。


「まあ、こちらもかなりの好条件ですけどね。綴編は私立ですけど、蓮さんは入学金なんかも一切ないですし。授業料……はそもそも授業やってないし別にいいとして、その他雑費なんかは全額こっち負担で、卒業後の進路斡旋も確約しているんですよ」

「進路って……」

「言っときますけど、うちじゃないですよ。いや、うちでもいいけど、他に行きたいところがあるならねじ込むくらいならできますし。それで、親御さんには納得してもらっていますから」


 安里はそこまで話して、ようやくコーヒーを飲み干したことに気づいた。


「あ、コーヒー無くなっちゃった。……まあ、蓮さん、半年くらい勉強どころじゃなかったから、綴編でも高卒の学歴は残せて御の字、って感じなんですけどね」


 安里は、コーヒーのお代わりを取りに、事務所のコーヒーメーカーへと向かって行った。


 愛は、ただただ呆然として、応接用のソファに座りこみ、声を発することができなかった。

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