1-ⅩⅥ ~平等院十華の依頼~

「へえ。ここが漫画喫茶……」

「……何で着いてくるんだよ」

 

 蓮と十華は、一緒に近くの漫画喫茶に来ていた。本来は一人用の個室に入るつもりだったのに、彼女のせいで広い部屋を取らなくてはならなくなった。ちょっとお値段も高めで、痛い出費である。


「仕方ないじゃない。今頃みんな血眼で私を探しているでしょうし」

「……なら、さっさと帰れよ」

「嫌。私だって、何の目的もなく外に出ているわけじゃないもの」


 十華はそう言うと、ひとまず部屋にあった座椅子に腰を下ろした。そして、着ていた黒いコートを脱ぎ、ハンガーにかける。


 彼女、どうやら、家を抜け出してきたらしい。手持ちの金もほとんどない状態であり、今も護衛から追われているのだそうだ。


「あなたこそ、立花さんの護衛なんでしょ? こんなところに一人でいていいの?」

「向こうが嫌がってるからな。ま、別に事務所の中なら心配ねーだろうし」

「……そう」


 それから、二人はしばし無言になった。別に親しいわけでもない。蓮は適当に漫画を取ってきては、自分の側に寄せて読みふけっていた。


 沈黙に耐えられないのか、十華はちらちらと蓮の方を見る。


「……あなた、随分かわいい絵柄の本を読むのね」

「あ?」


 彼女が言及したのは、蓮の読んでいる漫画についてだ。それは、少年誌だがバトルものではない、いわゆるラブコメというジャンルの漫画である。


「いいだろ、別に」

「綴編の不良なのだから、読む本はもっと血みどろの内容かと思ったけど」


 いつの間にやら蓮と一緒に漫画を見ている。その距離感は近く、蓮の肩に手を置いて身を乗り出すほど興味津々のようだった。身体を触られるのは嫌だが、自分から触る分には問題ないらしい。


「……私、本当はすぐにお買い物したら帰るつもりだったのよ。ただ、どこに在るのかわからなくって、探しているうちにあの人たちに声をかけられて、そのまま連れ込まれてしまったの」


 十華はとうとう、自分からぽつりぽつりと話し始めた。


「……買い物って、何を」

「……映画よ。私、ある映画が見たくて探していたの」

「映画?」


「ええ。タイトルも思い出せないし、ひどい内容の映画だったんだけど……どうしても、それが見たくって」


 それで、あちこちのビデオ屋を回ったが、どこにも置いていなかったらしい。


「なんで、そんなもん探してんだよ」

「……どうしても、見ないといけないの。私は、その映画を」

「なんでまた。ひどいなら見なけりゃいいじゃねえかよ」

「……でも、見ないといけない。そんな気がするのよ」


 十華はそう言うと、「シャワー浴びてくるわ」と言って出て行ってしまった。


「映画、ねえ」


 蓮は床に寝転んで、ぼんやりと天井を眺める。十華の映画の件はともかく、こっちだって自分のことで手いっぱいだというのに。


 ひとまず、読んでいた漫画を片付けて、ついでに飲み物でも取ってこよう。蓮は個室を出る。コーラのお代わりを用意していると、にわかに店内が騒がしくなった。


 何事かと思って覗き込むと、シャワールーム前で十華が男に腕を掴まれていた。


「またかよ!」


 蓮は駆け足で男に詰め寄ると、十華を掴む手を払った。


 男はスーツ姿でサングラスをしており、先ほどのDQNと比べても明らかに年齢は上だ。顎髭を生やした痩せた男だが、どことなくプロフェッショナルの風格を漂わせている。


「……なんだ、お前は」

「そっちこそ、なんか用すか? ……こいつに」

「こいつ、だと?」


 男は十華を掴んでいた手を離すと、即座に拳を握り、裏拳を蓮めがけて放った。蓮は上体を後ろに逸らし、拳を躱す。


「……ほう、やるな」

「後藤! やめなさい!」


 十華が男に向かって叫ぶ。後藤は蓮への警戒を緩めないまま、十華へと視線をやった。


「……お嬢様。外出はおろか、こんな男と一緒にいるとは」


 お嬢様、という言葉で、蓮は合点がいった。こいつが、例の護衛か。血眼になって探しているっていう。


「旦那様がお待ちです。すぐに戻りましょう」

「……嫌よ」

「お嬢様、わがままを仰らないでください」


 後藤は肩を竦めた。


「この男、例の綴編高校の男子生徒でしょう。お嬢様が気にかけている普通科の娘の護衛になったとかいう」

「そうよ。それが何か?」

「綴編ですよ。お判りでしょう? あんな不良校の男と行動を共にするなど、平等院家の人間として許されることではありませんよ」

「言われなくとも、用事が済んだらすぐに帰ります。だから、それまで待っていて」

「ダメです。旦那様のご命令で、すぐに帰るようにと」

「……あなたがそんなんだから、一人で出たのよ……」


 十華は後藤から視線を逸らす。話にならないとばかりに、後藤は蓮の方を見やった。


「……君、もしや、紅羽蓮という男ではないかね?」

「そうだけど」

「噂で聞いたよ。篠田常務の精鋭部隊を相手に、大立ち回りをしたとね」

「篠田? ああ、あのガキンチョか」


 放課後の騒動の件だろう。どうやら護衛同士のネットワークというのは、情報の伝達が早いらしい。


「立花嬢の護衛をしているのではなかったのか? どうしてこんなところにいる」

「……別に、そっちには関係ないだろ」


 蓮の答えに、後藤はふん、と鼻を鳴らした。


「どうやら、腕っぷしだけで、護衛としては落第もいい所だな」

「あ?」


「護衛ってのは、護衛対象との人間関係くらいで解消できるものじゃない。一度突っぱねられたくらいで折れてしまうようじゃ、大事な人など守れやせんよ。……さて」


 後藤は十華の腕を掴む。


「帰りますよ、お嬢様」

「……い、嫌って言っているでしょ!?」

「生憎ですが、お嬢様の意思は関係ないのですよ」


 そのまま無理やり、彼女の身体を引っ張る。

 十華が、蓮の方を見やった。


「……蓮! 助けて!」


 十華の姿に、愛の表情が重なった。


 本人は、そんなこと、一言も言ってはいない。だが、家が燃えた時の彼女の表情は、今の十華がしていた顏と同じだ。


「……待ってくれ!」


 蓮は思わず声を上げた。後藤と十華が、揃って蓮の顔を見る。


「……そいつは、映画を探してるだけなんだ。探してやるくらい、できないのかよ」

「ああ、お嬢様から相談は受けている。こちらでもあたってみたが、さっぱりだったよ」


 後藤の言葉に、十華の表情がうつむく。

 蓮は、その顔をしっかりと見据えた。


「おい、10円。……お前、依頼しろ」

「え?」

「俺は探偵だ。……探しもんなら、探してやる」

「タイトルもどんな映画かもわからない物を、どう探すというんだ」


 後藤のサングラスの奥で、眼光が光る。


「……方法は、ある」


 蓮の脳裏には、ムカつく笑顔が浮かんでいた。

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