1-ⅩⅤ ~紅羽蓮、仕事放棄する~

「ったく、胸糞悪い所だったぜ」

「それはまあ、災難でしたねえ」


 安里探偵事務所にて、蓮は安里とコーヒーを飲んでいた。


「それで、肝心の愛さんはすっかりふさぎ込んじゃった訳ですね」

「まあ、怖がるわよね、普通は」


 愛はと言うと、事務所奥のスペースに体育座りしていた。蓮が近づこうとすると、きっと睨んで威嚇してしまう有様である。


「……参りましたねえ」

「言っとくけど、俺は悪くねえぞ。アイツらが襲ってきたからぶっ飛ばしただけで」

「ま、全面的に蓮さんが悪いというわけではないんでしょうがねえ。ちょっと過剰じゃないです?」

「しょうがねえだろうが。連中、ナイフまで出してきたんだぞ」


 コーヒーを机に置き、蓮は不機嫌そうなのを隠そうともしない。

 こうも堂々と悪意に晒されると、腹は立つものだ。


「……それで、何かヒントみたいなもの、手に入りました?」


 安里が言うと、蓮は無言でズボンでポケットをまさぐる。少しもぞもぞさせた後、取り出したのは一本の毛髪だった。


「それは?」

「さっき襲ってきたお嬢様の髪の毛。頭掴んだ時に1本毟っといた」

「なるほど。……で、例の10円さんのは?」

「思いついたのは電話した後だったから持ってねえ」

「そこは事前にやっときましょうよー。もう1年になるんですから。ツーカーで行きましょうよ」


 うっせ、と言い、蓮は安里に髪の毛を渡した。安里はそれをつまむと、その髪と「同化」する。


「名前は篠田美緒しのだみお。年齢は16歳、特進科1年C組。徒歩とある信用金庫常務の娘さんですね」

「……髪の毛からも、わかるんですか?」


 隅っこにいた愛が、安里の方を見た。


「体の一部から、DNAを読み取るんですよ。身体から離れる前までの彼女と「同化」できるんです。科捜研もびっくりでしょ?」


 安里は笑って言いながら、毛髪との「同化」を進める。


「どうやら、愛さんを襲うつもりはなかったようですね。狙いは完全に蓮さんだったみたいで、愛さんを人質にした時は肝を冷やしたようですよ」

「俺? なんで」

「どうやら、綴編高校生による暴行事件は学内でもかなり尾を引いているようで。それが派生して、『桜花院女子を守る会』という会に参加しているようで……。まあ、義憤ですね」

「俺関係ねーじゃん、それ! 10年前の事件だろ。俺7歳だぞ」

「ま、10年なんて長いようで短いですからねえ。そう簡単に忘れられることはないんでしょ」

「……本当に、ろくでもねえな。綴編うち

「……なら、なんでそんなとこに入ったの?」


 体育座りしている愛が、蓮を見て言う。その目は冷ややかだった。


「浪人してでも違う高校に入ればよかったでしょ?」

「……どういう意味だ」


「綴編なんて、そんなところに入らなければ、今回の件だってもっとスムーズにできたんじゃないんですか?」


「蓮さんが綴編高校の人間だという事は、すでに学校中に知れ渡っていました。義憤に駆られて立ち上がろうという者も、少なくなかったようです。それで、自分が一番槍として突貫した、みたいな感じですね」

「ほら。やっぱり蓮さんが綴編だから悪いんじゃない」


「……なら、どうする」


 蓮が聞くも、愛は答えない。顔を背けたのが、彼女の答えだった。


「……そうかよ」


 蓮は立ち上がると、そのまま事務所のドアへと向かった。


「蓮さん、ちょっと。護衛どうするんですか?」

「ここに軟禁でもしとけよ。お前らが護衛してりゃ、死にゃしねえだろ」


 誰かが何か言いかける前に、蓮はビルから出て行ってしまった。


「……職務放棄、ですかね?」

「どうするの? クビ?」

「そんなもったいない事できませんよ。せっかくあそこまで育てたのに」


「……育てた?」


 愛は、安里の方を見やった。


「……まあ、蓮さんは、言いたがらないでしょうしねえ。僕みたいにあっけらかんとしては、いないですから」

「……安里さんは、知ってるんですか? 紅羽さんが、どうしてあそこまで強いのか」

「いえ、それは僕もさっぱり。ですが、今の蓮さんがどうやってできたのかは知ってますよ」


 その言葉に、愛は自らの体を起こした。


「……何か、理由があるんですか?」

「ちょっと長くなりますよ? まあ、明日学校をお休みするなら、夜更かしも多少はいいですかね」


 安里はそう言い、今までよりもにっこりと笑った。


******************


「……あ、勉強道具忘れてきた」


 唐揚げを食べているところで、紅羽蓮はそのことに気がついた。


「喧嘩ですか? オーナーと」

「そんなとこ。厳密には依頼人だけどな」


 蓮がいるのは、ビル1階の定食屋「おさき」だ。ビルを飛び出したものの、腹が減ったのでいったん腹ごしらえしに来たのである。

 ここの亭主とは、1年以上ここで飯を食っているうちに、それなりに話もできるようになった。客の入りが少ないこの店を夫婦でやっていけているのは、蓮たちがちょくちょく食べに来るから、という点が大きい。単に下にあるから、というだけでなく、単純にここの唐揚げは絶品なのだ。


「……また、ケンカですか」

「どいつもこいつも絡んできやがってよ、まったく」

「まあ、仕方ないですよ。蓮さんはお強いですから」


 亭主の言葉に、蓮は黙って水を仰いだ。

 強い、と自分で言うのはいい。だが、言われるのは嫌いだ。理由はどうあれ、それを見越して近づいてくるやつも。

 なので、大嫌いな奴ナンバー1は、彼の雇い主である安里修一である。


「……しばらく帰れないって言った手前、家にも帰り辛いしなぁ」


 仕方ない。蓮は「おさき」を出ると、貴重品だけ持って夜の町へと繰り出した。漫画喫茶でも行って、漫画でも読もう。あとは適当にゴロゴロしていれば、朝にはなるだろう。それからはそうなってから考えよう。

 スマホで適当に漫画喫茶の場所を調べ、そこへと向かう。駅の正面は大きな通りになっているので、そちらに向かえば何件かあるようだった。

 ビルのある通りから大通りに出て、そこを歩いていると、蓮の耳に妙な声が入ってくる。


「……やめて! 放して!」


 かすかな声だったが、はっきりと聞こえた。誰か、女性が抵抗している声だ。蓮は溜息をついた。


「……まーた厄介ごとだよ」


 そして、それを放っておけるほど、蓮は非情になり切れない。助けられそうなら、とりあえず助けてしまうのが、彼の長所であり、短所だ。

 声がするのは大通りのビルをいくつか進んだ先の路地裏。そこまで時間がかかる距離でもなさそうだ。

 蓮は息を大きく吸う。吸いきると同時に、周囲の時間が止まった。本当に止まったわけではない。ただ、周囲を追い越す準備ができただけだ。


 止まった人たちの間を、縫うように走る。そして路地裏に行けば、手を掴まれているサングラスの金髪女がいた。囲んでいるのは3人、いずれも若者で、いわゆるDQNという奴だろう。

 女性は既に両手を掴まれ、右の乳房をワシ掴みにされている。マスクとサングラスで表情は窺えないが、胸の豊満さに男はよだれを垂らしていた。

 見るに堪えない。そう思った蓮は、胸を掴む男の手の甲をぺしりと叩く。


 突如の激痛に、男は思わず手を放した。


「ぎゃっ!?」


 男の悲鳴で、ようやく蓮の存在に気づいたようだった。マスクの女性は、胸を隠すように手で覆って蓮を見る。


「あ、あなた……!」

「な、何だてめえは!」


 男の1人が、蓮の胸倉をつかもうとするも、その手は再びはたき落とされた。あまりの衝撃に、男の方がバランスを崩して倒れる。


「……失せろ。俺ぁ気分が悪いんだよ」


 ドスの利いた一言がとどめとなったらしい。DQN3人は、散るように逃げていった。


 鼻を鳴らす蓮の後ろで、女性がぽつりとつぶやいた。


「……あ、紅羽、蓮……?」


「あ? なんで俺の名前知ってんだ」


 蓮が振り向くと、彼女はマスクとサングラスを外していた。

 その顔は、今朝と午前中に見た顔であった。


「……お前、確か……!」

「どうして、あなたがここに……!」


「……10円!」

「え?」


 そこにいたのは、平等院十華。探偵事務所内での通称、10円。


「……どういう理屈でそうなったか、教えて下さらない?」


 十華は強張る笑顔で蓮へと尋ねた。

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