3-ⅩⅩⅥ ~母と娘、最後のおはなし~
「そっかあ、アンタその時には、もう知ってたんだ」
「ま、同世代の子よりは頭がいい自覚はありましたからねえ」
「同世代って……あんた、現役東大生も真っ青なIQ叩きだしたって聞いたけど」
「さあ。どうでもいいです」
「つーかびっくりしたんだよ? 朝起きたら、お父さんが血相変えててさ。「修一がいない!」って喚いてた」
「まあ、あの人にとっては大事な後継者でしたからね」
「それで、アンタどこに行ってたわけ?」
「ま、いろいろと、ね」
その辺をはぐらかし、安里は身体を伸ばした。
「……いつまで、こっちにいる気ですか?」
「さあ? いつまでいられるかもわからないし」
「そうですか……夢依には、最後に会わないんですか?」
「うーん……会えるなら会いたいけど……よしとくよ」
棗は鼻を掻いて笑った。
「あの子にとって、あたしはいいお母さんじゃなかったらからさ」
「ええ。娘ほったらかしにして、ひどい人ですよ、あなたは」
「……お父さん、作ってあげたかったんだけどね」
村田棗は、今まで多くの男に恋しては、裏切られてきた。
最初に男と肌を重ねたのは、英才教育の重圧から解放されたばかりの17歳だ。その時の男とは、たびたび身体を重ねたが、やがて消えていった。
ムラタ・グループが崩壊し、夫は失意の末に自殺してしまった。とはいえ、この男は自分にも夢依にも愛情を注いでいなかった。自殺の直接の原因は、不倫相手に捨てられたからだ。
それから、夢依の本当の父親である男の家に転がり込んだが、ここからが地獄の始まりだった。金がなく、人脈もない棗たちは、すぐに追い出されてしまったのだ。
彼女は生きていくために、働き始めたが、いままでお嬢様生活をしていた棗が、そう簡単に働けるはずもなかった。やがて仕事に追われ、借金を背負い、まともな仕事ではやっていけなくなってしまった。
棗は、自分の身体を売り始めた。20代ならまだそこそこ稼ぎがあったが、30が過ぎるころには客からも中古品扱いされるようになってしまった。
だが、彼女はこんな仕事を続けた。それは、男と身体を重ねて、心も重ねたかったのだ。
もう一度、愛してもらいたかった。
自分を。そして、娘を。
だが、男たちは棗をことごとく裏切った。引っ張るだけ引っ張り、貢がせて捨てる男、最初から突っぱねる者、暴力を振るう者、ひいては、夢依すら自分の欲望のはけ口にしようとする者。
彼女が出会ったのは、そんな男ばかりであった。
「……それで、男漁りをしているうちに、娘の事をほったらかしにしていた、と」
「児童相談所にも、それで夢依を返せないって言われちゃってさあ。結構、ショックだったんだよね」
父親を捜して夜の町を練り歩き、肝心の夢依を放置してしまった棗は、児童相談所に夢衣を引き取られてしまった。何度返してくれと言っても、聞き入れてもらえなかったのは、娘を安心させられるだけの保証ができなかったことにある。
「それで、必死に仕事探してさあ、こないだ、ようやく仕事見つかったんだよ? そしたら、このざまでさあ」
棗の目から、初めて涙がこぼれた。
「……あたし、ほんと。母親失格だよねえ。誰に似たのかなあ」
「そりゃ、あなたの母親って言ったら、あの人でしょ」
事務所のドアが開く音がした。
「おや」
外から入ってきた小さい影は、夢依だった。
「……ママ……?」
「……夢依……」
「起きましたか。随分寝てましたね」
安里の事を、夢依は睨む。
「……なんでママ、テレビにいるの?」
「僕の知り合いがね、気を利かせてくれたんですよ」
「気を?」
安里は欠伸をすると、のそりと立ち上がった。
「じゃ、僕は寝ます。夢依も、また寝なさい。夜も遅いですから」
安里はそう言い、事務所から出て行ってしまった。
「……ママ?」
「夢依……」
夢依と棗は、互いに見つめあっていた。
***************
「……え、成仏しちゃったんですか?」
翌朝、愛たちが事務所に赴くと、すでに棗の姿はテレビにはなかった。
「ええ、昨日、僕が寝てる間に」
「なんで、また……」
「……ママ、私と話して、もう満足だって」
安里の陰からひょっこりと、夢依が姿を現した。
「夢依ちゃん!」
「……話したって、昨日の夜か?」
「うん。ママと会って、お話した。この人の所で面倒見てもらえって」
「夢依。言いながら僕のふくらはぎを蹴るのはやめてください」
ビシ、ビシと、夢依は安里の足に蹴りを叩き込み続ける。それも、結構な勢いの蹴りだ。
「……なんにせよ、成仏されたのなら、良かったです」
「いやあ、皆さんには迷惑をおかけしました。本当に」
「おう。まさかシュル缶ぶつけられるとは思ってなかったよ」
「ああ、朱部さんから聞きましたよ。すごい勢いでひっくり返ったって」
「お前、次あれやったらぶっ殺すからな?」
「姪っ子の前で、あまり怖いことを言わないでくださいな」
笑う安里だったが、夢依は変わらずに安里のふくらはぎに蹴りを入れている。
「……いい加減やめてもらえませんかね」
「ママから、面倒見てもらうけどそれはそれとして仇は取ってくれって」
「それはまた、なんとも……」
何か安里を擁護しようかと思う愛だったが、悲しいことに安里を擁護する言葉は出てこなかった。
「あ、アハハ……」
困ったように、愛は笑うしかなかった。
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