3-ⅩⅩⅥ ~アザト・クローツェが生まれた時~

 役所に行き、安里の扶養に入る手続きをして、夢依は「村田夢依」から「安里夢依」になった。


 児童施設に赴いて、彼女の引き取り手続きを済ませた時、担当の職員は目を細めていたが、先田も同行していたからか、ある程度信用はしてもらえたようだ。


「……あの、坊ちゃん」

「何です?」

「よろしければ、家でご飯を食べて行かれませんか。お代は結構ですので」

「……僕は別に……」

「じゃあ、私食べたい」

「……お嬢様がそうおっしゃるのであれば」


 先田はそう言い、にこりと笑った。


「坊ちゃんも、どうです?」


「……姪の付き添いでなら」


「おさき」に戻ってきた安里たちは、先田が作った唐揚げ定食を頬張った。


「……あれ、この味」

「美味しい」


 夢依は舌鼓を打ちながらパクパクと食べ進めているが、安里の箸はぴたりと止まっていた。


「……朝美様より、教えていただいたレシピの唐揚げです」

「……お母さんに?」

「私、正直坊ちゃんの運転手の仕事の時は、暇でしてね」


 その前はバリバリのサラリーマンとして働いていた先田に、運転手の仕事は物足りなかった。

 だが、それは失いかけていた家族との時間を取り戻すきっかけともなったのだ。

 おかげで、冷めていた妻との関係も、離婚まではせずに済んだ。娘も口も利かなかったが、今では孫の顔を見せにちょくちょく店にやってくる。


 そう考えれば、あの運転手の仕事で良かった、と、今は思うのだ。


「料理に興味を持ったのも、その頃でした。そうしたら、朝美様が坊ちゃん好みの味を色々教えてくださいましてね」

「……そうですか」


 安里はしばらく唐揚げを噛み締めた後、ポツリと言った。


「……言っときますが、家賃の賃上げは変わりませんよ?」

「買収のつもりでは……」

「わかってますよ。こちとら食い扶持が増えるんです。いずれにせよ賃上げは決定事項ですよ」


「……叔父さん、悪者」

「ええ。悪者ですとも」


 ジト目で見つめる夢依を見て、安里はにっこり笑った。


***************


 そう。悪者でいいのだ。


 悪者であり、自分を敵とするものがいればこそ。


 自分は、「安里修一」でいられるのだから。


***************


 屋敷を飛び出した修一が、どうして村田剛三の捜索網から逃れることができたのか。


 それは、早々に本州からいなくなっていたからだ。まさか9歳児が一人で海を超えるなど、誰も思っていなかったろう。


 屋敷を飛び出し、森の中へと入った時、修一少年の目の前に、黒い塊が現れた。


(……な、何だ……?)


 見たことも聞いたこともない物体に、修一少年は戸惑った。だが、それは脈動していた。生きていたのである。


(なんだろう、これ……)


 そして、修一少年はその「物体」に触れた。


 その瞬間、頭の中に膨大な情報が流れ込んできた。


 様々な人間、物体の記憶、そして、この物体の正体。そう言った情報が、一瞬で修一の脳内へと入り込んできたのだ。


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」


 あまりの情報の中には、痛みや苦しみと言ったものも含まれる。修一少年は絶叫したかったが、その時には体の自由も効かなくなっていた。


 やがて、身体の感覚がなくなり、視界が暗くなる。視覚もなくなり、ただ情報を感じ取ることだけしか、やがてできなくなった。


 黒い物体は、修一少年を黒く染め上げて、そのまま飲み込んだ。


 だが、しばらくもぞもぞと動くと、やがて形を変え始めた。


 その姿は、修一少年の物へと変わる。修一少年の形をしたものは、そのままゆっくりと起き上がった。


「……これは……」


 自分の意識はある。はっきりわかる。そして、自分に何が起こったのかも。


 自分の手を見やると、手が黒く変色し、やがて形まで変わった。昔見た、拳銃の構造を思い出してみると、自分の手から拳銃が生まれた。


 向かいの木に向かい、引き金を引いてみる。銃声とともに、弾が飛び出して、木に穴を空けた。間違いなく、本物の銃だ。


 また、意識を銃に向けると、再び銃の構造が脳裏に浮かぶ。そして、銃は形を失い、自分の手へと吸い込まれていった。


(……僕は……村田修一……


 急に、不安になった。

 何しろ、頭の中でさっきから無数の声がする。おまけに、目に映るものはその場にあるはずのないものや人ばかりだ。まるで複数人の見ている光景が、一つに重なっているようにすら感じる。


 明らかに、普通ではない。


 そして、この状況がどういうことなのかも、修一少年は理解できてしまっていた。


 形状記憶型知的生命群体。修一が触れた物体を定義づけるならそう呼ぶべきだろう。


 この生物は電子サイズの個体が集まっており、それが形を変えることで様々な物質へと変化する性質を持っている。

 そのきっかけとなるのが、他の物体に触れた時である。触れた末端からその物体の情報を読み取り、その形質を記憶することができるのだ。


 そして、恐ろしいのは、長時間触れ続けると、触れた物体自体にも変化を及ぼすことだ。電子レベルで分解し、知的生命群体と同じ電子配列へと変化させる。


 つまり、「同化侵食」である。


 そして、物体はこの能力を活かしきることができずにいた。触れることで形質を記憶できても、それを行うには指揮系統が必要なのだが、それをできる個体がいなかった。


 今まで記憶した情報が多すぎて、それを管理できる者がいなかったのだ。


 だが、9歳の修一少年は、集合生命の中に無限の情報を得た。生命の記憶、金属の組織、そして宇宙の真理。この群体生命は、地球の外から来たものであった。


 そして、その情報すべてを把握し、その中から正確に「村田修一」と言う人物の記憶、身体構造、来ていた服の繊維までを、忠実に再現する。


 そうして立っているのが、今の修一少年であった。


(……僕は、怪物になったのか)


 ふと、そう思った。だが、浮かんだ感情は悲観でも絶望でもない。

 両の掌を見ながら、彼は気づいた。


(……人間的な感情を、失っているのか)


 先程まで感じていた、母を失った悲しみも、鶴子への怒りも感じない。


(……これは、本当に村田修一だと言えるのか……?)


 復讐したい、と考え、実行することは簡単だろう。そのための手段を、修一少年は手に入れた。だが、肝心の「復讐したい」という気分が全く起きないのだ。


 先程まで、煮えたぎる感情が溢れそうになっていたのに。今は、冷えた氷のようになっている。


 自分は、おかしくなってしまったのか。


(……修一少年としての、怒りは、消えて失せたのか……?)


 それなら、自分は。


 修一でない自分は、いったい何者なのか?


 自分は、人間でなくなってしまったのだろうか?


 それを、確かめるために。


 修一少年が消息不明となって3年後。


 安里修一は、修一少年の復讐を肩代わりした。


 ムラタ・グループを内部から腐食し、崩壊させ。


 剛三、鶴子夫妻と棗たちの財産をすべて差し押さえた。


 そして。


「……や、やめなさい!」


 村田鶴子は、身体を縛られて道路の上に寝転がっていた。


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