8-Ⅱ ~いきなりすぎる状況の中で~

「あ……アメリカ?」


 蓮は、思わず膝の力が抜けそうになった。確かに、この部屋はやけに狭いし、おまけにこいつらが話しているのも、(おそらく)英語だ。


「……ざっけんなよ……!」

「え?」

「ざっけんなこの野郎!!」


 蓮は、倒れている金髪の横っ腹を蹴り飛ばす。


「起きろコラ!! お前が変なことしたから俺はこんなところにいるんだろ!! だったら起きて家に帰せこの野郎!!」


 そうしてもう一発蹴り飛ばすと同時、彼の身体がひっくり返った。

 そして、彼の着ていたジャケットの中から、何かが転がり落ちる。


「ん?」


 それは、血まみれの宝石だった。


「何だこりゃ」


 拾い上げたそれは、まるでトパーズのようなオレンジ色の輝きを宿している。


「い、いや、ちょっと待て! 血が付いているってことは……!」


 デブの発言に、蓮はジャケットを脱がせる。彼のわき腹が、赤く濡れていた。一応補足しておくと、蓮が蹴ったのとは逆のわき腹である。


「……コイツ!!」


 気絶しているのは、床に頭をぶつけたのではない。この傷が原因か。


「おい、救急車!!」

「わ、わかった!!」


 デブは咄嗟に立ち上がり、慌ててスマホに連絡を入れようとする。

 だが、それを坊主頭のナイフが止めた。


「動くな!」


 蓮が再び身構える。

 だが、ナイフを構える坊主頭の横で、女も動いていた。

 なんと、上に着ていた服を、素早く脱ぎだしたのだ。着ていた黒いタンクトップの下から、浅黒い乳房が露になる。


「はあっ!?」

「誰か呼んだら、アンタらにレイプされたって訴えてやるから!!」


 女は胸を隠しつつ、そう叫ぶ。


「そ、そんな……!!」

「……そのお嬢ちゃんの、言うとおりにしてくれないかな」


 蓮の後方から声がする。振り向けば、金髪の男が意識を取り戻したのか、壁にもたれるようにして座っている。


「お前……!!」

「……お願いだよ、日本人のお兄さん」


 流暢な日本語だ。痛みに呻く動作一つ一つにも品がある。


「……何者だよ」

「あれ、俺の事ご存じない? 結構、有名なつもりだったんだけどな」


 金髪は、困った顔で笑う。

 いや、蓮が見回せば、周りにいる全員が困った顔だ。中でも女は、涙目で蓮をきつく睨んでいる。

 蓮は頭をガシガシと掻きむしると、落ちているタンクトップを女に放り投げた。


「―――――――わかったから、服を着ろお前は」


 蓮は目を手で覆いながら、そう呟いた。

 今日は、厄日だ。主に、「パイ」がらみで。


*********


 据え置きのベッドに座り、蓮は溜め息をつく。ベッドには金髪を寝かせ、彼のわき腹には布が巻いてある。デブの上のシャツを脱がせたものだ。

 そして、さっきの一言はかなり力を振り絞って言ったものらしい。金髪のイケメンは、また寝込んでしまっていた。

 デブはソファに腰かけ、坊主の男と、そのそばの女の二人組がデブと対角線になる位置に座っている。


 部屋の空気は重く、最悪だ。正直言って。


「……あー、えっと」


 重苦しい空気に耐えられず、デブが口を開く。


「……じ、自己紹介でもする? 俺、ニック」


 デブが自分の名前を言うが、誰も答えない。


「……蓮」


 沈黙に業を煮やした蓮が、ぼそりと呟く。そして、男女の二人にも視線を飛ばした。


「……ダニエル。こっちは、妹のレベッカ」

「……little sister!?」


 ニックが素っ頓狂な声を上げる。通訳された蓮も、「妹なら乳出す前に止めろよ……」とぼそり。向こうにはどうせ通じていないが。


「で、こいつは……」


 蓮は後ろの金髪を見やったが、意識は戻らないようだ。


「ちっ」


 コイツがいないと、日本にすぐ帰る、というのは難しいだろう。そのためには、コイツに起きてもらわないといけないのだが。


「……なあ、日本から来たって、どういう事なんだ?」

「俺が聞きてえよ。……なあ、家族に電話したいんだけど」


 蓮がニック越しに、ダニエルに問いかける。だが、彼は首を横に振った。


「警察に連絡する気だろって」

「だよなあ……」


 とはいえ、いつまでもこんな状況じゃ話にならない。


「だったらよ、お前らも番号見てればいいだろ。警察じゃなきゃいいんだから」

「それだったら、警察関係者の個人携帯にかけるかもしれないだろう」


 疑り深い奴め。別にそんなことする気ねえっつうの。


「……だったら、どっか適当な、明らかに警察関係者じゃないところとか?」

「そんなん、どこだよ」

「何かあったかなあ」


 ニックはごそごそと、自分のカバンを漁り始めた。

 取り出されるものは、いずれも漫画ばかり。しかも、日本的な絵柄のものが殆どだ。


「……典型的なギークね」

「モテなさそうだ」


 兄妹に言われるのも気にせず、ニックはカバンの中身をぶちまける。

 その一つに、蓮は眉をひそめた。


「……これ、日本のか?」

「……ああ、そうか。蓮は日本人だったな」


 蓮が手に取ったのは、見覚えがある表紙の雑誌。確か、「開けずの間」に置いていた奴だ。

 紅羽家から父が単身赴任でいなくなってから、もう2年ほどだが、父あてに日本各地のエロ漫画家から献本が送られてくる。いつも母がにこやかにそれをしまいに行くのだが、この間「開けずの間」で寝ざるを得なかったときに、これを見かけたのだ。


「……ん? アメリカ?」


 ふと、ヒントのようなものが脳裏に浮かぶ。


「それだったら、日本のポルノ・コミックを取り入れた、最新鋭のコミック誌があるんだ。『M・O・A』って知ってるかい?」


 ニックはその雑誌を、カバンから取り出して見せる。これも、父の部屋に置いてあった。

 蓮はそれをひったくると、がっつくようにページを開く。


「お、おいおい」

「そんなに、読みたかったの?」


 ダニエルとレベッカは驚いていた。兄を軽々といなす男が、今度はエロ漫画雑誌を念入りに読み込んでいるのだから。ケンカが強い=オタク文化とは縁遠いイメージを持っていた二人には、意外な光景である。


 そして、何ページ目かで目をより一層見開くと、蓮はダニエルの方をじろりと見た。


「……おい」

「な、何だ」


 蓮は、ダニエルに、見開きで女性が絶頂している絵の部分を堂々と見せた。


「な、何だよ! 俺は別に、そんなの見たくねえよ!!」


 そうして、目をつぶっているダニエルだが、とうとう耐え切れずにうっすらと目を開ける。


「ちょっと、ダニエル!?」

「……これ……」


 蓮が指さしているのは、雑誌のページの下の方。そこに書いてある、10桁の数字の羅列だ。

 その横には、蓮にもわかる英単語が書いている。「Tel」 という単語が、数字の左側に書かれていた。

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