8-Ⅲ ~紅羽家父、満を持して登場!~
ニューヨーク、マンハッタンに本社を置く出版社、ドーブル・コミック社は、表向きは一般アメコミに日本の漫画を取り入れた、大衆人気を独占する一大コミック企業である。
その本社で40階建てのビルを占有するほどの規模であり、数多くのコミック誌をニーズに合わせて編集、出版している。
そのビルの23階、フロアの最奥に、『月刊M・O・A』の編集部はあった。
この編集部はいわゆるポルノ・コミック。エロ漫画であり、アメリカの規制にがっつり逆らう形となる。だが、結局のところ、こういうのがある程度売れる、という事に社長含む経営陣は気が付いていた。禁酒法がいい例だ。
そして、秘密裏に販売してみれば、これが飛ぶように売れる。何なら、「リアルな
日本の
その為に、ドーブル・コミック社は日本より、「エロ漫画のパイオニア」と呼ばれる男を呼び、技術向上のために顧問を務めてもらっている。
『M・O・A』の編集部のデスクの、電話が鳴った。受付対応役の若手社員が、電話を取る。
「はい、『M・O・A』編集部です。……え? はあ、少しお待ちください」
若手社員は電話を保留にすると、ミーティングルームにいる人物を呼びに行った。
「だから、これじゃあ見栄えが悪いから、もっと射精量を増やしてくれ。一発でヒロインの顔を、精液まみれにするくらいに」
『でも、そんな量、実際には出ませんよ。あんまり誇張するのも……』
「リアリティよりも大事なものがある! あと、あんまりヒロインの唇もリアルに描きすぎないでほしい。唇のリップ感を出すのは、咥えたりしているときや、口元をアップにした時だけでいいんだよ」
「あ、あの……ミスター」
リモートで漫画家の原稿を指摘する赤い髪の男に、若手社員が話しかけた。
「ん?」
「お電話です……」
「電話? 私に?」
男は首を傾げた。自分への直接の電話は、会社の電話には来ないようにお願いしているはずだが。個人宛な連絡はスマホに来るはずだ。
「……誰から?」
「そ、それが……」
若手社員の口にした名前を聞いた途端、男の目が見開かれる。
「……なんだって!?」
そしてすぐにリモート先の漫画家の方に向き直った。
「悪いが、急用だ! すぐにかけ直す。とりあえず今言ったところは直しておいてくれ!!」
そうして、男はあわただしくミーティングルームを出ていった。
********
『もしもし!?』
「あー……親父? 蓮だけど」
ニックのスマホから電話をかけたのは、アメリカで単身赴任している蓮の父親、
『お前……本当に蓮か!?』
「うん」
『え? でも、番号、アメリカの番号だよな、お前、なんで!?』
「ちょっと、俺もわけわかんねえんだけど……」
蓮はバツが悪そうに、父に事情を話す。聞いていた父も、聞いていて訳が分からないようだった。
『……いきなり、テキサスにワープした!?』
「俺だって混乱してんだよ! そうとしか言えねえよ」
『か、母さんたちはそのこと知ってるのか!?』
「知るわけねえだろ! 俺、自分の部屋にいたんだぞ。……だから、連絡入れたいんだけど」
『れ、連絡って……それはいいけどさ』
問題は、どうやって帰るかだ。さすがに、いきなりアメリカから日本に帰国するというのは、準備もあるし大変だろう。
「……ちなみにさ、親父が迎えに来るってのは……」
『無茶言うな!! 俺、ニューヨークなんだぞ』
車で移動しても、かなりの時間がかかる距離だ。同じアメリカと言っても、そのスケールはデカい。ましてやニューヨークはアメリカの東側、蓮のいる場所はどちらかというと西側寄りだ。
「……どうしよう……」
『うーん……ちょっと待ってろ』
そう言って、厚一郎は電話を切ってしまった。
*******
「どうだって?」
「迎えに来たりはできねえって。遠すぎるってさ」
「まあ、ニューヨークだしな。仕方ないよ」
ニックはスマホを持ちながら笑っている。ダニエルとレベッカは、訝し気に蓮たちを見つめていた。
「……心配すんなって。警察とかは連絡してねえよ。何ならお前らのことも話してないし」
日本語で会話していたので、意味が理解できず不安に感じたのだろう。
それから5分くらいだろうか。ニックのスマホが鳴り出した。先ほどの電話番号と同じだ。
「……もしもし」
『おう、蓮か?』
父の声は、どこか安心しているようだった。
『俺の知り合いに近くに住んでいる人がいるから、とりあえず迎えに行ってもらえるぞ』
「ホントか!?」
『ああ。さっき話付けてきた。お前、今テキサスにいるんだろ。どこだ?』
蓮はニックに、現在いるモータルの名前を聞き、それを父に伝える。
『わかった。どれくらいで着くかはわからんが……まあ、そんなにかからんだろ』
「悪いな。あと、ちょっとついでに頼みたいんだけど、デカい車で来れないかな?」
『デカい車? なんで?』
「俺一人じゃねえんだ、運んでほしいの。全部で5人いて、うち一人ケガしてるんだよな。そんで、そいつどうも病院に運ばれるの嫌みたいで」
『病院に……? まあ、確かに医療費は日本に比べりゃ高いが……。まあ、それも合わせて話しておく。それじゃあな』
そう言い、父は電話を切る。蓮は、大きく息を吐く。
「はあ―――――――……」
「蓮、どうだった?」
「とりあえず、迎えに来てはくれるってさ。親父の知り合いが」
「そ、そうか。それは良かった」
「……警察には?」
「心配ねえよ。親父がやってることもグレーだし、連絡入れたりはしねえだろ」
ダニエルの心配を、蓮は手を振って流す。
とりあえず、家族への連絡も心配ない。金髪が起きて、帰れれば一番いいが。当の本人は、すやすやと寝息を立てている。誰のせいでこんなところにいると思っているんだ。
「……結局、コイツ何者なんだ?」
「さあ、わかんないけど……さっきの宝石みたいなものは、画像検索したらあったよ」
ニックが、蓮たちにスマホを見せる。ダニエルたちも気になったのか、その画面に集まった。
涙のコハク。古代生物の涙らしきものが、古代の樹液に混じり、そのまま長い年月をかけて琥珀となったものだという。
「へえー……ん?」
蓮が気になったのは、説明にある「Japan」という単語だ。
「日本が関係してんのか?」
「ああ、なんでも、日本で展示されてたみたいだけど……え!?」
文章を読んでいたニックが、素っ頓狂な声を上げる。
「どうしたよ?」
「……涙のコハク、今日、盗まれたって。日本の美術館から」
「……はあ?」
そうして、一同はくるりと金髪を振り返る。血まみれの宝石を握って眠る男は、こちらに背を向けていた。
「盗んだのは、怪盗
蓮が、じろりと金髪を覗き見た。その目は、うっすらと開いている。
「……おい、怪盗H」
蓮の言葉に、金髪はぴくりと身体を震わせる。
「……ありゃりゃ、バレちった?」
「……えっ!? まじで!? 本物の怪盗!?」
「てめえ、盗んだ宝石持って俺の部屋に来たのか!」
踏みつけようとした蓮を、ニックが慌てて止める。
「待て! ケガ人だ、ケガ人!!」
羽交い絞めにされて、動きを止めた蓮は、踏みつけは止めたもののHをきつく睨む。
「……いいから、家に帰せよ!! テメーのせいでこうなったんだ、てめーだったらかえれるだろ!」
「い、いやあ……それがさ、俺もこんな遠くまで飛んだの初めてって言うか、何というか」
「はあ?」
Hは上体を起こすと、布団を持ったままぽつぽつと話し始める。
「……俺、実は超能力者なのよね。で、その能力ってのが、瞬間移動なわけ」
「お、おう」
「でさ……その瞬間移動、理論上どこでも行けるんだけどな? ちょっと条件があって」
「なんだよ」
「エッチなことを考えている人のところにしか行けないんだよね」
Hの発言に、蓮を含む全員が固まった。
「……え、ちょっと待て、なんだそのくっだらねえ条件」
「そう言うもんだから仕方ない。だから、どこに行くにも、まずエッチなことを考えている人がいないとダメなんよ」
「……っ!! だったらあれだ、エッチなことなんて誰でも考えてるだろ! それでワープすりゃ……!!」
「下手すればアフリカの先住民族がエッチしてるところに行くかもしれないよ? 今、ケガの影響もあってかいつも以上に制御が効かないから」
この口ぶり、普段からそこまで精密な制御ができているわけでもないらしい。
「……まあ、不幸中の幸いだなあ。俺、ロサンゼルスに用があるんだよね」
「用?」
「正体まで知ってるみたいだし、互いにアウトローみたいだし? この際だから言うけど、こいつはロサンゼルスにいるガールフレンドへのプレゼントなんだよ」
血塗れの涙のコハクを持ったまま、Hは笑う。「渡す時には洗ってきれいにしないとな」と呟いて、彼はそれを内ポケットにしまった。
「ロサンゼルスぅ?」
「……君、帰る宛はあるのかい?」
「……親父が、アメリカにいるし。ニューヨークまで行けば……」
「それより、ロサンゼルスに向かう方が早い。飛行機のチケット代も、ロスの方が日本に近い分安いしね」
蓮はそう言われ、むう、と唸ってしまう。
最悪、安里にでも頼んで迎えに来てもらおうかとも思ったのだが……。
そこまで考えたところで、蓮は盛大に欠伸をした。
そういや、日本とアメリカって時差があったよなあ。夜の11時から、俺寝てねえじゃねえか。
アメリカでは、ようやく朝日が昇ったころである。というか、あのオヤジこんな時間から仕事してるのかよ。
「……もういい、いったん寝る。迎え来たら、そのまま積みこむなり、何なりしてくれ」
蓮はそう言うと、ニックからソファを奪い取って眠り始めた。
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