8-Ⅳ ~一同、ロサンゼルスへ~

「れ、蓮!! 蓮!! 起きろ!」


 ニックの声がするので、うっすら目を開ける。

 そこにいたのはニックの髭面と、自分を見下ろす見覚えのない女性だ。


「……あなたが、蓮くんね?」

「……親父の知り合いの人?」


 女性は30歳にぎりぎり達していないくらいだろうか。さすがアメリカと言わんばかりのブロンドのロングヘアーに、なんというか、その、でけえおっぱいをしている。父の知り合いというのもあってか、日本語も達者だ。


「私、コーイチローのビジネスパートナーをしている、カロリーナよ。話は聞いているわ」

「あー……どうも、すんません」


 ちらりと周りを見れば、男連中はなんか、妙にもじもじしている。あのダニエルですら、カロリーナを見る目は純粋な少年のそれだ。

 そして、そんな兄たちを見るレベッカの目は、侮蔑の意思が強く宿っていた。


「……なんだ?」

「こ、この人。多分、アメリカで一番有名な……ポ、ポルノスターだよ!」


 ポルノスター。その言葉の意味を、蓮は反芻する。多分、日本でいう「セクシー女優」だろう。


「……あー、だから。親父と仕事するって、そういう」

「ええ。コーイチローがプロデュースしたコミックを、ビデオ化したりね。色々教えてもらったわ」

「あ、そうすか……」


 男連中はたじろいでいるが、蓮はさほど動じない。いや、知っていなくとも、彼女のおっぱいのデカさには男はたじろぐだろうが、父の仕事相手であるという時点で、蓮の警戒心はすっかりなくなっていた。


「じゃあ、車に乗って。とりあえず、近くにある私の別荘に案内するから」

「すいません、なんか」

「いいのよ。他でもないコーイチローの頼みだしね? それに、あの人の家族のことはよく聞いてたから。会えて嬉しいわ」


 そして、カロリーナは蓮にハグの仕草をする。一瞬ぽかんとした蓮を見て「あっ、あんまり馴染みないか」と気づいた彼女は、すぐに握手に変えてくれた。


 モータルの外に止まっていた車は、大型のバンだった。カロリーナに促されて乗り込み、Hを一番後ろの座席に寝かせる。


「本当にいいの? 病院連れて行かなくて」

「お、お構いなく……」


 Hはにこやかに笑うが、その顔に血はあまり通っていない。色白な肌が、さらに白く見える。


「そ、そう……」

「親父、家に電話してくれたかな……」

「コーイチローが言ってたけど、もう話したって」

「そっすか……」


 ひとまずは安心だ。あとは、家から安里に連絡が入れば、向こうからの接触もありうる。


「あの、すんません。なんか、こんな風に送ってもらっちゃって」

「いいのよ。ひとまず別荘で彼の手当てをして、それからどうするか決めましょう」


 カロリーナはそう言いながら、警戒に車を飛ばす。


 テキサス州にある彼女の別荘は、そう遠くない場所にあった。


********


 カロリーナの別荘は、ラノの町の南東、川沿いに建てられた大きな家だった。なんでも、この川はバーンズ川というらしい。夏のシーズンなんかには、ここで撮影をするために多くのポルノスターが集まり、パーティも行われているんだとか。


 Hを背負った蓮を筆頭に、5人は家に入る。ひとまずHをベッドに寝かせて、蓮は別荘にあった電話で父のスマホに連絡を入れた。電話番号は、カロリーナに教えてもらったものだ。


『おう、蓮か。合流できたみたいだな』

「まあ、何とか。母さんたちに言ってくれた?」

『相当驚いてたけどな。なんか妙に慣れっこだったみたいだけど、お前なんかしたのか?』

「……いや、まあ、とんでもねえことに慣れてんだろ」


 この間、異次元の兵器に襲われかけたりしてるしなあ。それに弟の友達は忍者だし、妹の友達は正義のヒロインだし。母は一般人だが、天然だし気にしないのだろう。


『それで、お前のバイト先にも連絡は入れてくれるってさ』

「……そっか。分かった。ありがと」

『実際、どうするんだ? お前、ニューヨークに来るか?』

「いや、それなんだけどさ。……そっち行くより、こっから西の方に行った方が、時間かからないらしいんだよな」


 電話の向こうの父が、「はあ?」という声を上げた。


『お前、それ、どうするんだよ? 旅費とか』

「……最悪、俺は走ればすぐ着くしなあ」

『道わかんないだろう!! 遭難するぞ!』

 

 そりゃそうだ。蓮一人で行ったところで、アメリカの土地勘がない蓮には、どこに行ってしまうかわからない。道案内もなく、ひたすらに西に向かうなど到底できはしない。


『悪いことは言わないから、こっちに来い!! 飛行機代くらい出してやるから』


 そう言って、電話が切れる。蓮は溜め息をつくと、カロリーナから借りたタブレットを触り始めた。


「バイト先に電話したいんだけど」

「ああ、国際電話なら……」


 日本の国際番号を入れてから、ネットで調べた電話番号を入れる。少し待っていると、聞き覚えのある淡々とした声が、受話器の向こうから聞こえてきた。


『はい、こちら安里探偵事務所』

「あ、朱部あかべか? 俺だけど」

『……お名前を。振り込め詐欺は受け付けていませんので』


 蓮は舌打ちして、「紅羽蓮だよ!」と毒づくように言う。


『ああ、どういうわけかアメリカにいる紅羽くん』

「……安里は?」

『待ってなさい』


 保留のメロディーを少しばかり聞いていると、一番盛り上がりそうなタイミングで、プツっと音楽が切れた。そして、聞きなじみのある薄ら笑いしてそうな声が耳に入ってくる。


『はいもしもし。所長の安里です』

「……よう」

『お宅から電話ありましたよ? アメリカ旅行とは、羨ましいですねえ』

「したくてしてるわけじゃねえ!!」

『……で、実際問題、いつ帰ってくるんです?』

「詳しくは分からねえけど、そんな長居する気はねえよ」

『それは結構ですね。で、ちょっとアメリカにいるついでに頼まれてほしいんですけど』

「あ?」

『怪盗H、ご存じです?』


 安里の言葉に、蓮は眉を顰める。そしてちらりと周りを見やるが、Hの姿はない。奴は、今2階のベッドだ。


「……なんかあったのか?」

『実は、昨日Hが東京の美術館から「涙のコハク」という宝石を盗みましてね?』


 それは知ってる。なにせ、現物を見たからな。


『彼から取り返してほしいんですよ。美術館側から、依頼を受けまして』

「……なんで、俺にそんなこと頼むんだよ」

『日本に来日したのは盗みの前日。そして、それまでいたのはアメリカ。まずはアメリカから探してみるのが妥当だと思いませんか?』


 それに、と安里は続ける。


『Hは瞬間移動能力を持っている、と言います。どういう詳細かまでは分かりませんが、能力を活かしてアメリカに飛んでいる可能性は高いかと』


 コイツ、こういうところは妙に鋭い。同化侵食を使ったわけでもないだろうに、推理能力まであるのだ。


『――――――そして、都合のいい、蓮さんの急なアメリカへの瞬間移動。関連付けたくなるのは、僕の考えすぎですかね?』

「……お前、性格悪いぞ。ぜってえ女にモテねえ」

『おや、図星ですか』


 蓮はやれやれと首を振る。安里は電話越しに満足そうだ。


「……まあ、やれるだけやるけど、相手もプロだからな。あんまり期待すんなよ」

『わかってます。最悪そこから瞬間移動で逃げられると厄介なので、気取られないようにして下さいよ。こっちも、できる限り援助はしますから』


 そうして電話を切ろうとしたところで、安里が『あ、そうだ』と話題を切り出す。


『昨日、愛さんがやけにボーっとしてたんですけど……。蓮さん、登校一緒だったんでしょ? なんか知ってます?』


 ぴくり、と蓮の身体が震える。愛が、ボーっとしてたというのは……。アイツの顔は降りる時見てなかったけれど、たしかちょっとわなわな震えていたような……。


「……さあ?」


 精一杯、蓮ははぐらかした。これは自分のためではない、愛の名誉のためである。


『はあ、まあいいですけど。お仕事はちゃんとしてくれてますし。じゃ、お願いしますよ』


 安里はそう言い、今度こそ電話を切る。蓮は溜め息をついた。


 結局、ロサンゼルスに行くというHに付き合うしかなさそうだ。


********


「……つーわけで、バイト先からロサンゼルスに行ってくれって言われたんだわ」

『ええ……一体何のバイトしてるんだお前は?』


 父のドン引きする声に、蓮はぐうの音も出ない。実際、危なくないかと言われれば、そんなことはないからだ。この間など、悪の組織の首領と闘わされたのだから。


「……そんなわけで、金とかは向こうで何とかしてくれるって」

『そ、そうか……そう言う事なら、まあ、仕方ないのか?』

「悪いな、顔出せりゃよかったんだけど」

『まあ、そう気にするな。二度と会えないわけじゃないしな。というか、年末には帰るし』

「……気を付けろよ」

『お互いな』


 電話を切ると、カロリーナが後ろで腕を組んで立っていた。


「電話、終わった?」

「うす。どうも、使わせてもらって」

「お父さんには会えないって?」

「どうも、仕事入っちゃって」

「そう。せっかくだから、会えればよかったのにね」


 そう言い、彼女は冷蔵庫から、牛乳を出してくれた。


「ホットミルクにする? アイスでいい?」

「ああ、アイスで」


 ソファに腰かけ、蓮は牛乳を口に付け、一息ついた。


「ロサンゼルスに行くって?」

「ええ」

「できれば私が送ってあげられればいいんだけど……」


 カロリーナは、明日以降仕事が入っているらしい。ここも撮影で使うので、あまり長居はできないそうだ。


「となると、どうやって行くか……」

「とてもじゃないけど、歩いて行ける距離じゃないし……。車は、使ってないのがあるけど、免許なんてある?」

「日本じゃ高校生で車の免許なんてそうそう取らないっすよ」


 となると、運転できる人がいない。


「……あ、あの……」


 その時、蓮とカロリーナの会話に割り込んでくるものがいた。ニックだ。


「俺、運転できますよ。車」

「ホントか?」

「でも、いいの? 仕事とか」

「ああ、大丈夫です。……俺、無職ですから!」


 ニックがそう言って親指を立てる。その笑顔は、若干ながら引きつっていた。


「……俺も、できるぞ、運転」


 ニックの声に応じるように、ダニエルとレベッカもやってきた。


「大体、いつまでもここにいるわけにも行かないしな」

「私は、勿論ダニーと一緒に行くわよ!」


「……決まったみたいね?」


 カロリーナは、困ったように笑った。蓮は顔を手で覆う。


「……まあ、そうなるのかあ」


 こうして、モータルで出会った面々は、ロサンゼルスに車で向かうことになったのだ。

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