3-Ⅸ ~ニーナ・ゾル・ギザナリアの憂鬱~

 店を出た直後、蓮の右から視線が鋭く刺さる。


 チンピラにメンチでも切られたかと思い、蓮はそちらを向いた。そしてぎょっとする。


 ――――――鬼のような形相で、こちらを見つめる内藤麻子知り合いのおばさんの姿があったからだ。


「……げえっ、麻子!?」

「蓮ちゃん……あんた、何してんの……! こんなとこで!」


 腕を組み、威圧感溢れる麻子に、蓮は思わずたじろいだ。


「高校生が、こんな時間にこんなところいていいと思ってんの!?」

「い、いや、これは……! つーか麻子だって……!」

「私は大人だからいいんだよ! 先輩は知ってるんでしょうね!?」


 現在時刻は夜の8時過ぎ。そしてここは繁華街。葉金がいるとはいえ、高校生がうろつくにはTPOが悪い。


「……頼む! 母さんには言わないでくれ! バイトしてることにしてるんだ」


 蓮は両手を合わせて、麻子に頼み込んだ。その様に、葉金はぎょっとする。


(……あの蓮殿が、素直にお願いをするのか……!)


「全く……先輩が聞いたら、困るのはアンタでしょ? マジで門限つけられても知らないよ」

「それは色々困る……!」


 紅羽みどりは天然だが、それゆえ平然と恐ろしいことをしでかすことがある。OL時代に課長のセクハラを物理的に終わらせた彼女の様を、麻子は昔のことながら鮮明に覚えていた。


「……まあ、今回のことは言わないでおいてあげる。今度先輩に「お願い」されたときは、アンタも手伝ってよ?」

「わ、わかったよ」


 先程まで自分も怪人として参加していた以上、あまり踏み込んだことはできない。この程度の注意で済ませるのが、麻子の限界だった。


「じゃあ、早く帰んなさいよ」

「おう」


 麻子はひらひらと手を振って去っていく。蓮は少し青くなった顔色で、その背中を見送っていた。


***************


 全く、不良にもほどがあるだろう。


 ニーナ・ゾル・ギザナリア=内藤麻子は、ため息をつかずにはいられなかった。


 蓮の通う学校が不良校だという事は、蓮の母、みどりから聞いていたが。まさか夜の、しかも性欲にまみれた闘技場にいるとは。


 アマゾネス怪人である彼女としては、強い雄の精というのはむしろウェルカムだ。勝てば金がもらえるし、仮に負けても強い男の種を糧に、新たな怪人を生み出すことができる。そう言う意味であの闘技場は申し分なかったのだが。


(……蓮ちゃん、店長と一緒にいたな)


 あそこの店長曰く、「チャンピオンはとんでもなく強い」とのことだった。今まで連戦連勝であり、そのいずれも一撃でチャレンジャーを沈めてしまうのだそうだ。


(……まさか、蓮ちゃんが……?)


 闘技場のスタッフから話を聞く限り、店長が特定の選手と一緒にいることは少ないのだそうだ。少なくとも自分の試合の時には1、2度見に来ただけだし、それ以外のチャレンジャーの試合を見学もしたが店長が来ることすらなかった。


 つまりは、蓮は店長の「お気に入り」である可能性が高い。


 蓮の運動能力の尋常でない高さも、麻子はみどりから聞いていた。その時に、旦那の話の時のような「女」の顔をしていたのは、気のせいだと思いたい。


(……いやいや、そんなわけないか。仮に選手でも、3位とか4位とかでしょ)


 いくら運動神経が高いとはいえ、昔から知っている顔だ。そんなすさまじい強さであろうチャンピオンだとは思えない。見た目も細いし。


(……もし)


 もし、蓮と闘うことになったら。一体、自分はどうなってしまうんだろうか。


 ギザナリアとしての自分の強さには自信がある。自分にこの町で勝てるのは、同じく悪の組織であるカーネルに、得体のしれない闇のスポンサー、アザト・クローツェ。そして、自分の組織の怪人たちをことごとく倒しているという謎の怪人、レッド・ゾーン。タナトスについては、7:3で自分が勝つだろう。


 ……負けるはずがない。あんなガキンチョに。

 それこそ小さい頃は、相撲なんかもして遊んでいた。本気を出したことなどないし、出さなくてもひっくり返せていた。


(いくら運動神経が凄いって言っても、現役の怪人にあの子が勝てるわけないよなあ……)


 だが、仮にもし、蓮と闘うことになって、百歩譲って敗北したらとしたら。


 自分は、蓮に抱かれることになる。


 思わず、下腹部に熱を感じた。


「――――――――――っ!」


 慌てて手で覆うも、周囲に気づいた様子の人はいないようだ。ほっとして、そのまま堂々と歩きだす。


(……蓮ちゃん、初めてだろうか)


 高校も男子校だというし、あまり浮いた話も聞かない。

 男子校にも種類がある。モテる男子校と、モテない男子校だ。蓮の通う綴編は、モテない男子校に当たる。とにかく乱暴者が多く、過去に暴行事件を起こしたりして印象が悪いのだ。となると、女性絡みで思い当たるのは、バイト先くらいだろうか。何のバイトをしているのかまでは、詳しくは知らない。


 だが、紅羽蓮が童貞である可能性は高い。実際その通りではある。


(……もし負けたら、私が、蓮ちゃんの初めての相手……)


 自分より一回り小さい蓮が、自分の肉体に必死にしがみつく姿を想像し、麻子は涎を垂らした。


(……それも、いいかもなあ……無愛想になっちゃったけど、まだまだ子供だし……)


 同時に。


 突き刺さるような悪寒が、麻子の全身を突き刺した。


(――――――――――――っ!?)


 今の感覚は、過去に一度だけ感じたことがある。


 麻子が酔っ払って蓮の父に自分の胸を触らせたときに、感じた視線だ。あの時は本当に死を覚悟したものだ。


(……み、見てた?)


 慌ててあたりを見渡すが、其れらしき人影はない。気のせいだろうか。いや、きっとそうだろう。大体、こんな時間ならみどりは家にいるはずである。


(……ば、バカなこと考えるのはやめだな)


 蓮がもしまだ来るようなら、やめさせなければ。それが、彼の面倒を見てきた内藤麻子としての決意であった。


(とにもかくにも、まずは賞金を得るところから考えよう……)


 決意を胸に歩き出すと、足に何かがぶつかった。


「……ん?」


 自分の身長が高いから気づかなかったのか、どうやら誰かと衝突したらしい。


「……君。立てる?」


 麻子は、倒れている子に手を差し伸べた。

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