15-Ⅳ ~思うところがないわけじゃない。~

 初デートから数週間が経ち、蓮と愛のお付き合いは、非常に清く続いていた。なんだったら、蓮からは手も握ろうとしない。かといってそういう「カップルらしいこと」を全くしない、というわけでもなく、愛の方から促すと、そっとだがやってくれる。


(そういうところも、また可愛いんだよなあ)


 ぼうっとそんなことを考えながら、愛は帰路についていた。正直、勉強の捗り具合は、芳しくはない。


「まったく、小僧の事ばかり気にしているからだ」

「だ、だって……」

「いっそ女連中と一緒に勉強したらどうだ? それか、1人か」

「そ、それは……! せっかく、蓮さんと一緒に勉強できるのに……!」

「それでお前が身に入らんのでは、本末転倒だろう」


 夜道の至極まっとうな意見に、愛はむぅ、と唸るほかない。学費を学校からの補助金で補填している愛にとって、今回のテストは逃すわけにはいかない大事なものだ。いくら冬休みの課題からと範囲は決まっていても、油断はできない。


「……つ、次はちゃんとやりますから。次も身に入らないようなら……真面目に、1人で、勉強します」

「……言っとくが、俺だってお前に意地悪したいわけじゃないからな?」

「わかってますよ、それは……」


 そんなことを話しながら、1人の少女は、さほど家まで遠くない道を歩いていく。


 傍から見れば、彼女は独り言をつぶやきながら歩いているからだ。


******


 愛が蓮の家から帰った後も、蓮は英単語の書き取りを続けていた。ノートに、指定されている英単語を、延々と繰り返していく。

 黙々と、心を無にしてノートに綴られていく様は、まるで写経――――――いや、もはや本当に、写経と言っても良いかもしれない。


 それはひとえに、書いている本人の心持ち。


(……清い交際、清い交際……!!)


 心の中でその一言をぶつぶつと言い続けながら、蓮はノートにアルファベットを書き込んでいる。

 正直、危なかった。何度、勉強している愛に心乱され、手を出しそうになったか。そんな誘惑に、蓮は愛との勉強中、何度も苛まれていた。


 しかし、その誘惑に流されるわけにもいかない。蓮たちは、まだ高校生なのだ。下手に間違いを犯して、責任問題になったら双方傷つくことになってしまうだろう。


 そしてもう一つ、蓮から積極的になれない理由がある。


(……もうちょっと、力加減とか、考えないといけないしな)


 軽い前蹴り一発で、コンクリートの壁を粉々に破壊する蓮の身体能力。腕力だって、尋常ではない。普通にしていても、重機くらいなら片手で軽々と持ち上げられる。

 普通にしてそれなんだから、当然女性とお相手をする際はかなり力を抜かないといけないわけで。


 うっかり本気で抱きしめようものなら、彼女は真っ二つになってしまう。そんな改造人間みたいな悲哀を、蓮はずっと抱えながら生きている。


 正直、手を握るのも怖い。うっかり何かのはずみで、ギュッとしてしまったら……。以前そんな妄想をして、軽い貧血になりかけた。

 なので、愛が手を握ってきても、握り返しはしないようにしている。あくまで、愛に手を握らせるにとどまる。それが蓮のできる、精いっぱいのお返しだった。


(……はあ。生き辛いな、全くよぉ)


 写経にも飽き、勉強道具を片付けていると、階段を何かが上がってくる音がする。わずかに開いたドアの隙間から、ジョンがひょっこりと顔を出した。


「……お」

「ワフ!」


 ジョンは勢いよく、蓮にとびかかる。それを受け止め、互いにベッドに倒れこんだ。

 倒れてもなお、体をぐりぐりとこすりつけてくるジョンを撫でながら、蓮はふと考える。


「……お前は、全然触っても大丈夫なんだけどなぁ」


 子供のころからの慣れというか、どういう力加減ならいいか、というのが、ジョンの場合はすんなりとわかったものだが。というか、ジョンは蓮の事情など知らずに突っ込んでくるので、否が応でも慣れざるを得なかったという事情もある。


 ジョンはそんな蓮の気持ちも知らず、ぐりぐりと顔をこすりつけてくる。愛に主人を取られて、ちょっとご機嫌斜めなのか、と、蓮は勝手に考えた。


(……愛とも、慣れるにはこんぐらいじゃないとダメなのかもな)


 荒療治としては、そういう考えもある。だが、そんなことできるわけもない。

大体、積極的に体擦りつけて来る女なんて、もはやサキュバス――――――。


(……サキュバス、か)


 朝、木村も言っていた。「俺の彼女はサキュバスだ」と。それに少し引っ張られているのかもしれない。


 まあ、だから何だという話だ。


(大体、愛は女の子なんだから、そんなはしたねえことするわけねえっつーの)


 結局は、自分が我慢すればいいだけの話なのだ。だったらいくらでも、我慢してやろうじゃないか。

 そうしてジョンと戯れていると、家の玄関が開く音がする。「ただいま」という声を聞くに、母が帰ってきたらしい。


 となると、自分が買い物袋を台所に運ぶ役目を担うことになるだろう。ベッドから立ち上がると、ジョンと一緒に蓮は部屋を出る。


 ――――――ベッドの空間が少し歪んで見えることに気づく者は、誰もいなかった。

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