3-Ⅳ ~母の後輩という謎のポジションのおばさん~

「あんにゃろう、シカト決めやがって」


 蓮は不機嫌そうに帰路に着いていた。愛も一緒である。プリプリと怒る蓮を、困ったように笑いながら見ていた。

 安里修一はあれから、結局事務所に帰ってくることはなかった。「もう上がって良い」というメールを朱部にわざわざ入れさせるほどの徹底ぶりである。

 夜にもなると雨もだいぶ小降りになっていた。蓮も愛も、それぞれ傘をさして歩いている。


「でも、よっぽど触れられたくないのかもね、お姉さんの事」

「かもなあ。アイツ、絶対にメール見てるだろうしな」

 ラインに既読は相変わらずつかない。だが、こういう対応をしてくるという事は、見ていることは間違いなかった。


 自宅への最寄り駅を抜け、蓮と愛は同じ道を歩く。家が案外近いので、帰り道も結構かぶっていた。


「……愛、この男は随分とすさまじいな」

(……夜道さん!?)


 蓮と愛、二人だけの帰宅だが、実はもう一人着いてきている。愛の先祖の剣の師匠であった、平安時代の剣豪、霧崎夜道である。

 白い髪を揺らしながらふわふわと浮かび、蓮を正面から睨みつける。蓮には霊感がないので、存在に気づくこともない。


(何してるんですか、もう!)

「いや、お前のお気に入りの男だと言うから、気になるだろう?」

「お気っ!?」


 しまった。思わず声に出た。


 ふと見れば、蓮が妙なものを見る目で愛を見ている。


「……どうした?」

「え、いや、おき……おき、沖縄! 沖縄行きたいなあーって!」

「沖縄? お前正気かよ、今6月だぞ?」


 世間では今6月。それも、もうそろそろ7月に差し掛かろうという時期だ。


「気温何℃になると思ってんだよ。ただでさえ暑いのに」

「で、でも、海とか行ってみたいと思わない?」

「……海ねえ」


 蓮は少し考えてみた。エメラルドグリーンの海、輝く太陽、はじける水しぶき。そして、海ではしゃぐ小麦色の肌したパーティピーポーども。


 蓮の顔色は苦虫を嚙み潰したようになった。


「……俺はいいや、マジで」

「ええ? 良くない? 沖縄」

「いや、ほんとにいいわ」


「……おい、愛。沖縄って何だ?」

(……あ、そうか。夜道さんは知らないんだ。琉球っていえばわかるかな)

「琉球……。あのかなり南のか」

(今では沖縄って言うんですよ)

「ほお……」


 平安時代の男である夜道に少し未来のことを教えていると、蓮の家が見えてきた。


「……あれ?」


 車が止まっている。紅羽家の車ではないことは、紅羽家が車を持っていないことから明白であった。


「……なんだよ、今日、来てんのか」


 蓮が溜め息をついた。どうやら見知った車らしい。


「知り合い?」

「俺じゃなくて、母さんのだけどな」


 じゃ、と言い、蓮は家のドアを開けて入っていった。


「……知り合い、かあ」

「何だ、気になるか?」

「……別に!?」


 愛はそう言うと、夜道を置いてさっさと雨の中を走って行ってしまった。


 とはいっても、夜道は幽霊なので雨に濡れたりもしないのだが。


「……なんだ、アイツは」


 夜道は愛の背負う刀に引っ張られながら、雨の中を漂っていった。


***************


「ただいま」

「おかえり! 蓮ちゃん」


 蓮が家に帰ってくると、母のみどりが出迎えてくれていた。蓮はその姿に、顔をしかめずにはいられない。


「……なんつーカッコしてんだよ、母さん」


 その姿は、頭にタオルを巻いてスポーツシャツに下着のパンツのみという。普通の男ならラッキースケベに戸惑うが、蓮にとっては42歳のおばさんのあられもない姿でしかない。


「雨に降られちゃってね? 送ってもらったのよ」

「……だろうな。車でわかったよ」


 晩御飯の買い物で、スーパーから出られなくなってしまったのだろう。それで呼び出したはいいものの、あろうことか駐車場のど真ん中で車を出迎えて結局びしょ濡れだ。


「でね? お礼にご飯ご馳走しようと思って」

「あっそう。今どこにいるんだ?」


 その問いの答えは、「よっしゃーーーーーーーーーーーーーーっ!」というリビングからの叫びが示している。


 リビングのドアを開けると、テレビの前で二人の女が激戦を繰り広げていた。


「がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ! 負けた!」

「これで私の8戦8勝よ! どうよ、強くなったでしょ!」

亞里亞ありあちゃん、腕上げたなあ……」


 妹の亞里亞が、ガッツポーズを決めているのは、褐色肌の女性だ。頭を掻きながら、テレビの画面を眺めている。格ゲーの画面だった。


「……ただいま」

「あ、蓮ちゃん! お帰り」

「……麻子……」


 内藤麻子ないとうあさこ、37歳。母の職場での後輩だったらしく、それからずっと事あるごとに母の「お願い」に付き合わされている、可哀想な女だ。

 そのため、蓮たちも子供のころからよく知っている顔である。


「何で亞里亞とゲームなんかしてんだよ?」

「先輩がお風呂入ってくるって言うから暇でね」


 振り回す母も母だが、振り回される方も振り回される方である。彼女は37歳にして独身、彼氏無し、家事は壊滅的であった。

 そして、聞いた話では彼女も職場をやめているらしい。なので、現在は何の仕事をしているのか、紅羽家の面々も「自営業をしている」くらいにしか知らなかった。


「……ところで、翔は?」

「部屋で勉強してるけど? ご飯できたら呼んでくれって」

「……部屋」


 嫌な予感がする。


 蓮は足音を殺して2階へと駆け上がる。翔の部屋の前に立つと、わざとらしくノックした。


「はーい? ご飯できた?」

「翔……」

「あ、兄さん。おかえり」


 ドアを開けた翔の部屋に入ると、そこには翔以外誰もいない。蓮は2、3度周囲を見回すと、ため息をついた。


「……飯まだだけど、そろそろだから降りとけ」

「え? うん、まあいいけどさ」


 そう言い、翔がいなくなった部屋のカーテンを、勢い良く開ける。


 雨にずぶ濡れになりながらもたたずむ、一人の女がいた。2階の窓の外である。


 桃色の髪は雨でべっとりと顔に張り付き、狂気をはらんだ瞳が、まっすぐに蓮を見つめていた。


「……てめえ、やっぱりいやがったな」

「翔君の迷惑にはなりません。ほっといてください」

「近所迷惑なんだよ。家の屋根に上がられると」

「雨だし誰もいませんよ。プロとして、さすがに姿を見えないようにしてますし」


 窓越しのくぐもった声の主は、四宮詩織。


 翔のクラスメートであり蟲忍衆とかいう忍者であり、アイドルであり、さらには翔のストーカーであるという、属性過多な女だ。


 先日翔がテスト勉強を教えてやったら、それがきっかけで翔にべったりと粘着するようになってしまったのである。


 蓮が寝不足なのも、彼女が原因だ。夜中に窓にべったり張り付いたのは、すでに記憶には古かった。

 コイツは、ちょくちょく翔の部屋に忍び込もうとしている。忍者だからか、窓の鍵を勝手に開けて入ってくるのだ。

 それを夜な夜な、蓮は食い止めなければならなかった。時間にして深夜2時、皆が寝静まった中での死闘である。


「……それで、誰か来てるんですか? 車止まってますけど、お義母さん車持ってないですよね」

「……後輩だよ」

「お義母さんのですか?」


 義、という単語がくっついているのはともかく、そういう事である。蓮は頷いた。

 夕食までさほど時間もない。詩織は窓の外にいたままだが、さっさと追い返して戻らないといけないのだ。


「……お前が心配するようなことじゃねえよ」

「べ、別に嫉妬なんてしてないし!?」

「とっとと帰れ」


 むきになりかける詩織を蹴り落とし、蓮は窓を閉めた。2階から落ちたくらいじゃ、アイツは死んだりしないだろう。


 1階に降りると、山盛りの豚キムチがテーブルに置かれていた。スーパーの豚バラとキムチの漬物を、適当な野菜と卵と和えて炒めただけのシンプルなメニューだ。

 そして、豪快にも夕食はコレ一品のみである。あとは各々の茶碗に白米が盛られているのみだ。


「はーい、召し上がれ」

「ごちそうさまです」


 そう言う麻子の茶碗と箸は、彼女専用だ。そして、一切の遠慮なく豪快に食べ始める。


「相変わらず良く食うなあ」

「肉体労働なんだよ。大変なんだ、毎日」

「そうなの?」

「ああ。だけど、社員がケガしちゃってなあ。そのフォローもしないといけないんだよ」

「そら大変だなあ」


 そう言いながら、蓮と麻子は同時に豚キムチを頬張った。


 お互い付き合いは長いが、そこまで互いの事を深くは知らないのだった。

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