3-Ⅴ ~火葬された女~

「蓮さん、愛さん、ちょっと」


 翌日の安里探偵事務所にて、蓮たちは安里のデスクの前に立たされた。

 そして、ポンと一つの封筒を手渡される。


「……なんだこれ?」

「お使いです。後ろに書いてある住所に、これ持ってってもらえませんか」

「中身は?」

「それはちょっと」


 安里は笑顔のまま、後ろを向いてしまった。


「僕もこの後別件の用事があるので、ちょっと行けないんですよね」


「……おい、安里」

「何です?」


 視線が合う。安里の空洞のような漆黒の瞳からは、その感情は伺い知れなかった。


「……わかったよ」

「え、いいの?」

「おう。……行くぞ、愛」


 蓮は封筒をカバンにしまうと、事務所から出て行った。次いで愛も、慌てて竹刀袋を背負って蓮の後を追う。


 安里と朱部しかいなくなると、安里は電話をかけ始めた。


『……もしもし』

「話すな、とお伝えしたはずですが?」


 電話の相手は先田だ。安里にしては珍しく、口調に力がこもっている。電話の向こうの先田は、おそらく口を一文字に結んでいるだろう。見なくてもわかる。


「僕のことなど、彼らには関係のないことです。必要以上のことを話す必要はありません」

『しかし、坊ちゃん……』

「その呼び方はやめてください」


 安里はぴしゃりと言い、家賃を値上げすることだけ伝えて、電話を切った。


「随分と感情的ね」

「……そう見えますか?」

「ええ。普段は何考えてるかわかったものじゃないのに」


 朱部は話しながらも、パソコンの画面から目を離そうとはしなかった。


***************


 安里に言いつけられた蓮と愛がやって来たのは、小さな斎場であった。その名も『徒歩市とあるしほんわか斎場』。入口から入ると、受付をしているおじいさんが一人いるだけである。


「ああ、いらっしゃいませ」

「あの、これを渡してくれって頼まれたんすけど」

「……ああ、ご香典ですね。どうも」


 安里が渡すように言っていた封筒の中には香典袋が入っていた。中は見なかったが、その重みでどれくらいの金額が入っているのか、なんとなく想像がつく。


「どなたからですか?」

「ああ、彼女の弟……っすよ」

「弟……?」


 おじいさんは首を傾げた。彼女の死の際に戸籍を調べたのだが、弟の存在は見受けられなかったらしい。


「本当に、弟さんなんですか?」

「本人以外がそう言ってたし、そうなんじゃないっすかね」


 蓮はそう言うが、考えてみれば先田の話も本当かどうかなど、判断のしようもない。

 だが、おじいさんはその証言に納得したようだった。いや、どっちでもよかったのかもしれない。


「……よかったら、納骨を見届けてはもらえませんか? 斎場から出るのを見届けるだけでよいですから。あなた方が来てくれたのも、きっと縁でしょう」

「え、でも……俺ら、赤の他人だし」

「実は、親族の方がいらっしゃらないそうで。無縁仏、と言う奴ですな。弟さんがいるなんて、知らなかったからなあ」


 亡くなった人の親戚などがすでにいない場合は、自治体によって簡単な葬儀と埋葬が行われる。


「……え、ちょっと待ってください」


 おじいさんの言葉に、愛は水を差した。


「あの、お父さんやお母さんは?」

「ああ、どうやら亡くなっているようですね。お二方とも、4年ほど前に」

「そ、そうなんですか……」


 という事は、安里の両親もなくなっているという事か。4年前となると、蓮とも出会う前の事である。


「蓮さん、どうする?」

「え、どうするって……」


 安里も出かけると言っていたし、そこまで遅くならなければ大丈夫だろう。蓮と愛は、村田棗の最期を見届けることにした。なお、他に見送る人は誰もいない。


 斎場のスタッフであろう男性が、白い箱を持ってきた。両手に抱えるように持つそれは、おそらく彼女の骨壺なのだろう。車に乗せられ、そのままあっという間に見えなくなってしまった。


 今回の村田棗と言う女は、安里の姉であり、戸籍に安里との関係は記録されていなかったらしいが……。


(アイツの事だから、偽装したんだろうな)


 まあ、悪の組織に金を貸すなんて悪どいことをしていたら、当然と言えば当然か。


「……まあ、彼女も天涯孤独だったわけではないようなんですがね。さすがに、遺体を預かってほしいとは言えなかったんですよ」

「……どういうことです?」


「どうやら、村田さんには、娘さんがいるみたいなんですね」


 どうやら、彼女には小学3年生の一人娘がいるらしい。それで、自宅に電話をかけてみたのだが、一向に繋がらなかったそうだ。

 そして、小学校にも連絡をしてみたが、最近は学校にも来ていないらしい。


「……ってことは、お母さんの死を知らないかもしれないんですか!?」

「ええ。不憫なもんですよ」

「というか、じゃあその子はどこにいるんだよ!」

「……わからんのです。連絡先も一切ないらしくて」


 おじいさんの表情は沈痛である。それは、母親の死なのか、娘の失踪なのか、どちらに向けたられたものなのか、蓮達には推し量れない。


 蓮はスマホを取りだすと、安里に電話を入れた。


『もしもし?』

「お前の……えっと、姉ちゃんの娘だから、姪っ子か? 行方不明らしい」

『……姪?』

「そうだよ! 今から戻る!」


 そう言い、蓮はスマホを切る。


「じゃあ、俺たち帰る。邪魔したな、じいさん」

「いや、来てくれてありがとうございました。彼女も少しは浮かばれるでしょう」

「だといいな。じゃ、行くぞ愛」

「あ、蓮さん待って。私ちょっと残るよ」

「あ?」


 愛はそのまま、斎場の奥へと言ってしまった。なんだアイツ、とも思うが、霊感の強い彼女のことだ。何か感じるところがあるのかもしれない。


「……早めに戻れよ!」

「うん!」


 蓮が斎場を去るのを見届けると、愛の目つきは鋭くなる。


「……愛」

「うん。分かってます」


 霧崎夜道に名を呼ばれ、愛の周りの空気が変わった。


 軽く息を吐き、呼吸を整える。そして、背にある竹刀袋を構えた。まだ、剣を構えないとイマイチ上手くいかないのだ。


 立花愛の実家の剣術である、立花一刀流には、前身がある。それは愛の先祖である立花一刀流開祖立花新右衛門の師である、霧崎夜道が使っていた技だ。


 その名も、夜刀神一刀流。動き自体は立花一刀流とほとんど同じなのだが、大きな違いは呼吸にあった。


 元々霧崎夜道は霊力の強い男であった。故に、その霊力を剣術に活かして振るっていた。一方の立花新右衛門は霊感はさっぱりな男であり、見た目の型のみが後世に残ることとなったのである。


 そして、立花愛は類まれなる霊力の持ち主であった。


 つまり、真の夜刀神一刀流を、彼女なら再現できる。とはいえ、剣道はしばらくブランクがあるので、本格的に剣を振るえるのは当分先だろうが。


 今回愛がやろうとしているのは、夜刀神一刀流、と言うかあらゆる霊的存在に対する基礎中の基礎、霊視であった。以前愛は、力のコントロールがうまくできずに霊が見えまくっていた。


 霊は、見えている者に救いを求めて憑りつこうとする。それはかなり危険なことだ。

 そこで、夜道は彼女のボディーガード兼霊能力の師匠として、彼女につきっきりになっているわけで。自分が刀に憑りついている霊なので彼女は竹刀袋を背負っているのだ。


「そう。まずは呼吸を整える。慣れんうちは、盆の水を想像しろ」


 心は常に明鏡止水。そのためには、心の揺らぎを鎮めなければならない。


 体の内側を流れるものを感じ取る。それは血であり、精であり。いずれも自分自身だ。目を閉じ、深く息を吐いて、その流れをより強く。


 やがて流れから生まれる力を、身体の内側から、一点に集める。


「落ち着け、焦る必要はない」


 夜道の声も、次第に遠くになっていく。力が、愛の両目へと集まる。


 霊力を宿した目を、愛はそっと開けた。


 先ほどまで見えなかったものが見える。目の前に立っている、一人の女を。


「……村田、なつめさんですね?」


 魂は、嘘を吐けない。それは、その在り方も含めてだ。優れた霊力者は、写真などなくとも、その魂の真名がわかるという。


 女の幽霊は、黙ったまま頷いた。

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