15-ⅩⅩⅩⅩⅠ ~神を救うは赤い髪~

「……で、何だあれは」


 蓮は起き上がるサキュバス・アイを見やっていた。あんな大きな生物がいたら、「何だあれは」と言いたくなるのも当然である。


 だが、その場にいる全員が、答えに窮してしまう。特に愛なんかは顔を背けて、蓮の方を向こうともしない。


「……? 何だよ?」

「なななななん、何でもないよ!? 本っ当に、何でもないからっ!!」

(……何でこいつがこんなに狼狽してるんだ……)


 ちぎれんばかりの勢いで手を振る愛に、蓮は怪訝な顔をしながら、再びサキュバス・アイを見やった。どうやらあれは、詳細はわからないが愛が関係しているものらしい。


「……とりあえず、アレ、どうにかしてほしいんですけど」

「俺が?」

「むしろ蓮殿でないと、アレはどうにかできないと思うんです」

「ええ? 何で」

「それは、聞かないでくれると助かる」


 エイミーが肩を竦める視線の先には、小さくなっている愛の姿があった。そういう感じのあれかよ。


「……わかった、わかったよ。で、どうすりゃいいんだ?」

「それはですねぇ」


 安里がごにょごにょと、蓮に耳打ちする。その説明を聞き、蓮は無茶苦茶に怪訝な顔をした。


「……はぁ?」


 素っ頓狂な声を上げてしまうほどに、蓮には意味の分からない作戦だった。


******


 神を含む天使の多くは、突如地獄から飛来したサキュバス・アイの尻に敷かれていた。尻餅から起き上がったサキュバス・アイのお尻があった場所には、ぺしゃんこになった天使たちが数多く倒れている。

 いや、天使たちだけではない。サキュバス・アイが生み出したはずの「何者か」たちも、いくらか巻き込まれて潰されていた。


「が……は……っ」


 神も、巨大生物の尻に押しつぶされ、地面に埋まっていた。防御結界を張ろうとしたが、間に合わなかった。息はあるものの虫の息。全身の骨がバキバキに砕け、内臓も潰れている。全身血まみれだが、かろうじて生きていた。

 回復魔法をかけて傷を癒そうとするが、魔力を練るたびに身体に激痛が走る。通常の回復よりも、スピードははるかに遅い。


(……まさか、地獄の門から抜け出すとは……信じられん!)


 驚愕の意志はあったが、声に出すことはできなかった。口の中いっぱいに、血がたまっていたからだ。

 そして、尻餅から起き上がった邪神が、こちらを見ている。


(ま……まずいぞ、これは……!)


 邪神の眼光が、まっすぐに、倒れている神たちをとらえている。先ほどの戦いもあってか、眼光からは強い敵意を感じる。殺す気満々だ。

 このままではやられてしまう。だが、身体が動かない。ほかの天使たちもみな押しつぶされているし、何より小さい天使ではあの邪神には太刀打ちできない。メタトロンも、回復魔法が不十分なのに加え、先ほどの邪神の尻餅の衝撃を受けたことで、動くことができない状態だった。


 邪神の腕が触手となり、神たちの方へと伸びてきた。自分たちのサイズよりも何倍も大きな口が、涎を垂らし、牙をむき出しにしながら近づいてくる。このまま、自分たちを食らうつもりなのか。


(……こ、ここまでか……!!)


 世界の調和を保つ神として、邪神を封じ込めることが彼の生まれた意義である。それが、こんな形で終わってしまうとは……!


(ああ、終わりだ……。世界は、滅びる……!!)


 すまない、私の力が至らないばかりに。

 この世界に生きるすべての命に謝罪しながら、神は閉目する。


 ――――――しかし、最期の時はいつまでたっても訪れなかった。


 気になって目を開けると、邪神の顔がこちらを向いていない。伸ばしていた腕をぴたりと止めて、神たちとは違う方向を向いている。


(……な、何だ?)


 もはや邪神に、神たちへの興味は一切ないようだった。触手が引っ込むと、邪神はそのまま、ズシンズシンと、振り向いた方向へ歩いて行ってしまう。


 いったい何が起こっているのか? あおむけで倒れている神にはわからない。


 だが、うつぶせで倒れていたメタトロンは、何が起こったのかを見ることができた。

 邪神が向かった先。そこには崩れたビルがあり、その屋上に、一人の人間が立っている。


 とげとげした赤い髪の、目つきの悪い男だった。


******


 蓮は以前も、巨大生物を相手取ったことはある。沖縄に行ったときに見かけた、巨大海獣ニライカナイだ。あの時も、たった一人で足止めをすることになった。

 今回の怪物は、そのニライカナイよりもデカかった。


 二足歩行であるく、黒い体毛の怪物。4本の腕に、バカでかい角。そして、リスみたいにモフモフな尻尾。


(……すげえ迫力だなぁ)


 じっと怪物を見やる蓮が抱いた感想は、そんなもんである。普通なら「怖い」「死ぬ」「やばい」などの恐怖を抱くのだが、蓮はそういったものを一切感じなかった。

 それは蓮がこの怪物に殺される、というイメージを一切していないのもあるが、実際はちょっと違う。


 そもそもこの怪物が、蓮に敵意を全く抱いていなかったのだ。


「……クルルルルル……♡」


 怪物は蓮の元へ、喉を鳴らしながら近づいてきた。ズシン、ズシンと足音を立てながら、常に喉を鳴らしている。今まで聞いたことのない、甲高い音だった。


******


 ピピピ、と、安里のスマホが音を立てた。翻訳アプリが、先ほどのサキュバス・アイの声を翻訳したのである。


「……なんて、言ってるんですか?」

「見ます?」


 安里は、愛だけにちらりと、スマホの画面を見せる。その内容を見て、愛は両手で顔を覆った。


「おい、なんて言ってるんだ?」


 エイミーは愛に問いかけたが、愛は顔を覆ったまま答えない。

 安里も困ったように笑うと、翻訳アプリをアンインストールした。


「……さすがに、乙女の秘密ですよね、これは」


 それは、本人以外の誰にも、見せるわけにはいかない内容だった。


 蓮にバレなくて本当に良かった。愛はひたすらに、そう思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る