15-Ⅶ ~見えないからってやりたい放題~

(……なっ……!)


 その瞬間、愛は悟った。この女は、敵だと。


 警戒している愛の顔を見た女はニヤリと笑うと、ゆらりとベッドから降りた。そしてそのまま、蓮の隣へ座る。


 そして愛に見せつけるように、蓮の左耳を、パクリと咥えた。


「……あっ!?」

「うわ、びっくりした! なんだよ、変な声出して」


 大声を上げた愛に、蓮は目を丸くする。


「え、いや、その……」

「悪いけど俺も集中してるからさ。頼むわ」

「う、うん……」


 頷いた愛に蓮も納得してワークに取り組む間も、愛そっくりの女は依然として蓮の左耳をしゃぶりつくしている。そんなことをされている素振りは、蓮には全くない。本当に気づいていないようだ。


 本来、蓮は耳が弱点である。強靭な肉体を持ち、どんな攻撃でもほとんど効かない蓮の身体において、唯一と言ってもいい。耳を咥えられると、全身の力が抜けてふにゃふにゃになってしまうはずなのだが。


 その弱点を現在進行形で刺激されながら黙々と課題に取り組む蓮の姿は、いささかシュールである。


(……というかこの霊、蓮さんの弱点知ってるの……?)


 そこを狙うというのは、相当耳にフェティシズムを感じている人か、蓮の弱点を知っていて、あえて攻めるというパターンだろう。

 どっちかは定かでないが、蓮が全くのノーリアクションであることを見た女は、すぐに耳から離れた。

 弱点をついているのに蓮が無反応なのが気に入らないらしく、彼女は頬を膨らませてむくれ出す。今度は、蓮の頬をツンツンと突っつき始める。


「なあ、愛」

「っ! ……な、何?」

「ここなんだけどさ、これ、何だっけ。信長死んだ後の、後継者決めるやつ」

「ああ、清須会議のこと? それはね……」


 頬をつついていた手から離れ、蓮は身を乗り出して愛にワークを見せた。『「清須会議」にて、「豊臣秀吉」は「    」と対立した。』という、穴埋め問題だ。


「それで、対立してたのは……」

「それは知ってる。『柴田勝家』だろ? ドラマでも目立ってたからな」


 そう2人で話す後ろで、女はむむむ、と不機嫌そうな顔をしている。そして、蓮の後頭部を、ぽかぽかと叩き始めた。

 蓮の質問に答えながら、愛はちらりと女を一瞥する。

 愛には先ほど身体を見せつけただけで、その後一切の興味はないようだった。その後はずっと、蓮にちょっかいを出し続けている。


 だが、蓮がそれに気づくことはない。蓮の霊に対する感度は、ゼロを通り越してマイナスである。霊の存在に気づくどころか、霊は逆に蓮に憑依することもできない。もっとも、それは蓮が精神的にバランスを崩していないことが前提であるが。


 だが、最近の蓮はすこぶる好調だ。なんだったら、「今までで一番調子がいい」と自分で言うほどである。いったい何が理由であるかは、蓮自身にもよくわかっていないが。


 なので、女の攻撃は、全く蓮には効いていないどころか、知覚すらされていなかった。


(……まあ、感じてても、蓮さん「最強」だから、効かないんだろうけど)


 そんな風に愛が考えているとも知らずに、蓮は目の前のワークに黙々と取り組み、女は蓮の頭を叩き続けていた。


 やがて、蓮を叩き続けて手が痛くなったのか、女は蓮を叩くのをやめた。そして、とうとう直接的な手段を取り始める。


「……え、ちょっと!?」


 愛が思わず声を上げたのは、彼女が勉強している2人の机――――――蓮がワークを開いているちょうど真上に、ドスンと座ったからだ。


 つまりは、ほぼ蓮と密着している状態。愛の目からは蓮の姿は見えず、女の背中が見えるだけである。


(これじゃ、蓮さんが見えない……!)


 霊感のない蓮には全く見えていないだろうが、愛にははっきり彼女が見えている。霊視を弱めても消えない彼女は、愛の勉強にはとんでもなく邪魔だった。何しろ、愛が机に出したノートの目と鼻の先に、彼女の尻があるのだから。戸惑う愛だったが、女は背中の翼をパタパタとはためかせ始めた。


******


(……やっぱり全然集中できてねえじゃねえか。愛の奴)


 目の前であちこちに目線をやりながら百面相を繰り広げている彼女に、蓮はため息をついた。やはり、こういうのは所詮物語などの空想か、はたまた場所が悪いのか。今度は、図書館とかの方がいいかもしれない。その場合は静かすぎて、自分が寝てしまいそうだけども。

 ため息をつきながら、蓮は日本史のワークに取り掛かる。清須会議を愛に教えてもらって、そろそろ関が原から江戸幕府設立、江戸時代に突入しそうだ。


(……それにしてもコイツ、やけに変な顔してるな?)


 ちらちらと気にしないようにしていたが、どうにも気にかかって仕方がない。愛の顔が。蒼白になったかと思えば、真っ赤になったり、大きく目を見開いたり、はたまた視線を逸らしたり。一体全体、何がそんなにおかしいのだろう。


(……鼻毛でも出てるかな、俺)


 そう思って自分の鼻毛をチェックしている蓮は、到底気付くわけもない。


 まさか自分が現在進行形で、裸の女性にされていることになど。


******


(や、や、や、やめてえええええええええええええ!!)


 顔を真っ赤にして、愛は心の中で叫ぶ。そうするほかなかった。

 女の背中越しだが、はっきりとわかる。彼女が両手で支える胸が、思いっきり蓮の顔面を挟んでいることが。ぽよん、ぽよんと、弾ませるように押し当てていた。


 蓮は全く気にしている素振りもなく、鼻を触っているが――――――。愛からわずかに見える彼の視線は、下。つまりは女の、股間部分を凝視している。蓮の名誉のために弁明しておくと、見ているのは女の股間の先にある日本史のワークだ。


 だが、愛にとってはたまったものではない。自分の貌でこんなことをされるだけで、なんだか自分が見られているようなむずがゆさと恥ずかしさがこみ上げてくる。


 蓮には見えていない。見てないんだろうけど、その視線はやめてほしい。だが、蓮が見ているのが勉強道具である以上、素直に「やめて」とも言えない。


(うううううう、一体なんでこんなことに……!)


 ちょっと涙目になりながら、とにかく愛は目の前の課題をこなす―――――――わけがない。というか、こんな状況で勉強に身が入ろうはずもない。

 女もぱふぱふが効果なしと見るや、ようやく蓮の正面を陣取るのをやめた。そして蓮が身体を「うーん」と伸ばしたすきに蓮の背後に回り込むと、両腕をまわして抱き着く。


 抱き着いた彼女は、蓮の匂いをすんすんと嗅ぎ始めた。


(うわあああああああああああああああああ! 何やってんのぉ!?)


 女はそのまま手を、蓮のTシャツの襟に差し込んだ。服の上から、または直に、蓮の胸や腹などを這うように触れる。そうしていくうちに、彼女の表情は恍惚としたものになっていった。


(……なんか、見覚えあるぞ、これ……)


 竹刀袋から覗いていた夜道は、その様子に既視感を覚える。

 こんな感じの光景を、ついこの間見たような――――――。


 そんなことを夜道が思慮している間に、女は蓮の首筋をそっと撫でた。そして口を開け、角や翼に見合う、ギザギザの歯をむき出しにする。


(え、ちょっと、何する気――――――)


 愛が思わず止める手を出そうとする前に、女は蓮の首筋に歯を立てた。


(いやホントに何してんの!?)


 ガジガジと噛むのは、甘噛みであることは愛や夜道にも分かった。女は恍惚としながら、蓮の首筋に満足すると、今度は頭を嚙み始める。


 その辺りが、愛の限界だった。


 ガタン! と机に足をぶつけながら、愛は勢いよく立ち上がる。何の脈絡もなく立ち上がったので、蓮の視線がワークから愛に移った。


「……どうした?」

「……タイム!」

「タイム? ……ああ、トイレか。行ってらっしゃい」


 蓮に促された愛は足早に部屋を出ようとする。ちらりと蓮の方を見やれば、女は蓮の頭に胸を乗せていた。

 それは、朝に見た光景と合致する。つまりは、朝からこの女は存在していたのだ。


 そのことを胸に秘めつつ、トイレに向かった愛は、こっそりと夜道に習った技を使う。己の魂を幽体として肉体と分離させる、幽体離脱の術だ。


 わざわざトイレに行き、この術を使った理由。


 それは。


「――――――な  ん  で  だ  ――――――――――――っっっっ!!」


 どうしても、叫ばずにはいられなかった。


 だが、蓮に聞かれるわけにも、いかなかった。


 なればこそ、蓮が絶対に感じ取れないように。


 幽体離脱して家の外に出て、思いのたけをぶちまけるほかなかったのである。

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