15-Ⅵ ~裸のドッペルゲンガー~

 互いの学校はつつがなく終わり、また一緒に勉強する時間がやってきた。今日は蓮が先に家に帰っているので、愛が彼の家に勉強しに行くという具合だ。


 朝と同様にインターホンの前に立った愛は、あの時と同じく自分の頬を叩いた。


「よ、よーし。今度こそ、平常心、平常心……」


 そう決意した愛の脳裏に浮かぶのは、今朝の蓮の姿。頭の上に、明らかに女性のものであろう胸が乗っかっていた……ように見えた、あの光景。


「お前、まだ気にしているのか? 俺も朝に小僧を見ていたが、そんなもんはなかったがなあ」

「そ、そうですよね」


 顎をさすりながらつぶやく夜道の言葉を聞き、愛は自分を奮い立たせる。そして、震える指で、インターホンを押した。


『おう。待ってろ、今開けるから』


 蓮の声がして、すぐに蓮がドアを開ける。その頭に、女性の胸はない。


「……お疲れ様」

「おう、お疲れさん。ほら、上がれよ」


 蓮も何度も愛を家に招いて慣れてきたのか、その足取りは滑らかになってきた。今日はもう、おやつや飲み物は部屋に用意しているらしい。すんなりと、階段を上がって蓮の部屋へと向かっていく。


(……愛、わかってるな)

(わかってますよ。勉強に集中、集中……!)


 そんな風にこっそりと意気込みながら、愛は蓮が開いたドアから、蓮の部屋に入る。


 ――――――その瞬間、彼女は背負っていたカバンを、どさりと取り落とした。


「……え?」


 蓮の部屋には、先客がいた。先客は、蓮のベッドの上で、涅槃のような姿勢で横たわっている。

 一糸まとわぬ、妖艶な女。背中からは蝙蝠の羽が生えてパタパタと動いており、頭にはヤギの角が生えている。そして、ふりふりと動くしっぽ。そんな人間にはないパーツを持った女が、微笑みを浮かべて待ち構えていた。


 それだけでも叫び声をあげそうなのだが、愛がそれをできなかったのは、彼女の貌である。


 白く、長い髪。黒髪にボブくらいの髪の長さである愛とは、全く逆である。


 ――――――だがその貌は、まぎれもなく立花愛じぶんのものだったのだ。


「なっ……!?」


 竹刀袋の中にいた夜道の目にも、その姿ははっきりと映っていた。むしろベッドにいる彼女は、夜道が愛に憑依した時の姿に近しいものがある。

 2人そろってぽかんとしていると、蓮は首を傾げた。


「……何してんだ、お前?」

「え? あっ、えっ!?」

「早く入れよ。いつまでも突っ立ってないで」


 そういい、愛を少し押しのける形で、蓮は先に部屋に入っていく。その視界には裸の愛そっくりの女がいるはずだが、蓮は全くのノーリアクション。そのまま、彼女のいるベッド手前に座った。


(蓮さん、気づいてない?)


 となると、見えるのは愛と、夜道さんだけ……? 愛はちらりと、夜道を一瞥する。目が合い、小さくうなずいた。


 ――――――つまり、あれは霊だ。

 ならば、蓮が気づくことはまずないだろう。彼は一般の人よりも、霊感は低いから。であれば、ひとまずは安心―――――――。


(いや、できないよ!? 全っ然!!)


 自分そっくりのいやらしい女が視界に入っているのだから、さっきまでずっと考えていた平常心など、とっくに吹き飛んでいる。

 どうにかして視界から消せないだろうか。目を閉じ、体内の霊力をコントロールして、もう一度目を開ける。すると、女の姿はぼんやりとしたものになっていた。


(ダメだわ、完全には消えない……!)

(霊視を希釈してもダメか)


 霊力を視神経に集めることで、普段見えないものも見えるようにする「霊視」という技術。これは、逆に視神経の霊力を散らすことで、普段見えるものを見えないようにすることも可能だ。これは霊能力者が生きていくには必須スキルである。霊が一緒に見える世界は、生き辛いことこの上ない。

 愛もその応用で、普段の視界よりも霊を見えにくくしてみたのだが――――――すぐに、元の視界に切り替えた。


(……中途半端に消えるくらいなら、はっきりと何やってるか分かった方がいいもの……)


 とりあえずすとんとクッションに座り、互いに勉強道具を取り出す。今日は、日本史、生物、倫理の範囲に取り組むつもりだ。

 蓮が取り出しているのは、市販のワーク。科目は愛と同じく、日本史である。表紙にでかでかと書かれた、織田信長が特徴的だ。



「蓮さん、今度は日本史?」

「おう。それで、日曜に大河ドラマも見ろって、キューに念押しされちまった」

「今の大河ドラマって、家康だったっけ?」

「戦国時代だからな。……あ、安土桃山時代って言った方がいいのか」


 そんなことを言いながら、蓮がパラパラとワークをめくる様子を、愛はじっと見守る。厳密にいえば、その後ろにいる愛そっくりの女も含めてだが。


 そして、愛そっくりの女は、とうとう立ち上がった。


(……なっ……!)


 その姿に、愛は絶句してしまう。立ち上がったことで、改めて彼女の姿が愛の目に入ってくるわけだが。


 ――――――同じ貌なのに、その体は全く異なっていた。


 まず、背が高い。ベッドの上に立っていることを鑑みても、おそらく蓮よりも高身長だろう。愛は蓮よりも少し背が低いので、そこがまず違う。

 そして、スタイル。彼女は裸なので一切のごまかしもない。引き締まったウエストに、うっすらラインの出ている腹筋が、磨き上げられた身体の美しさを際立たせている。


 そして何よりも、バスト。どう見ても、本物より大きかった。


(……これは、何というか……)


 男の願望を具現化したようだと、夜道は思う。高い身長、すらりとした体型でありながら、豊かな胸。現世によみがえって観察した、現代の男の好みに一致している。


 そんな自身の肢体を、女はまるで愛に見せつけるように立ち上がっていた。蓮よりも高い身長でベッドの上に立っているので、天井に頭が付きそうである。

 そして彼女の目線からすれば貧相というほかない、愛の身体を服越しに見下ろし――――――。


 女は、「はんっ」と、鼻で笑った。

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