第8話 【アメリカ横断編】ロードムービー・オブ・最強さん。

8-プロローグ ~ラブコメ主人公みたいなことしやがって!~

 紅羽家の面々は、異様な光景に目を丸くしていた。


 というのも、この日、紅羽蓮あかばれんの食べるスピードと量が普段と比べて、尋常ではなかったのである。

 確かに今日の夕食は餃子であり、高校男子たるもの大量に食べても全くおかしくはない、とはいえだ。いくら何でも、30個を無言で食べ続けるのは、フードファイターもかくやという姿勢だろう。


「……どうしたの、兄さん。そんなに急いで食べて」


 弟の紅羽しょうがそう言うと同時、蓮は味噌汁を一息に飲み干してしまった。普段黙食気味の蓮ではあるが、一言も発さずに食べきってしまうのは珍しい。


「ごちそうさま」


 すっくと立ちあがり、自分の食器をさっさと片付け、二階へ上がってしまう。


「どうしたんだろ、兄さん」

「さあ……」


 家族一同は首を傾げながら、残った餃子を頬張る。

 大量にぶち込まれているニンニクとニラの香りが、たれやラー油を押しのけて口の中に広がっていた。


*********


 部屋に戻った蓮は、ベッドに飛び込む。


 ――――――よりにもよって、なんで餃子なんだ。今日に限って!!


 もぞもぞとしながら、蓮は顔を真っ赤にする。

 思わず食べられるだけ食べてしまったが、今思えばそんなに食べるんじゃなかった。

 むくりと起き上がっては、また寝っ転がってを繰り返す。そして、貧乏ゆすりが止まらない。


「――――――クソっ!!」


 スタミナが、溢れてしょうがない。

 蓮は舌打ちすると、ずかずかと部屋を出る。向かう先は、「開けずの間」だ。


*********


 すべての原因は、今朝にさかのぼる。


「蓮さん、おはよう」

「おう」


 駅の前で、立花愛といつも通り会い、同じ方向の電車に乗る。お互いの高校に行く電車が同じなのだから、何の不思議もない。


 そして、蓮たちの乗る徒歩駅は始発から3番目と乗りが浅めだ。なので、電車内の席もそこそこに空いている。

 だが、今日はいつもより人が多いようだった。ホームで待っている時点で、普段より気持ち人が多い。


「……なんか、人多いな?」

「朝、雨降るって予報あったからじゃない? 普段自転車の人とか、電車に切り替えたんでしょ」


 なるほど、今は降ってないが後でずぶ濡れも嫌、という人が、電車に流れたわけだ。なら歩いていけよ、というのはさすがに酷だろう。公共の乗り物を使う権利は、誰にでもある。

 電車に乗ると、いつもはどちらも座れる席がまばらだ。二人近くに座ることも普段はできるのだが、今日は一人分しかない。


「おい、お前座れよ」

「え? いいよ、蓮さん座ったら?」

「俺はいーの。足腰強いんだから」


 実際、強いなんてもんではないのだが。なにしろ、その気になれば電車よりも速く走れるのだから。だが、そんなスピードで走れば周りに迷惑だし、何より女の子と一緒に登校など、男子高校生にとってはちょっと役得であるからそんなことはしないのだ。


 だが、この気遣いは逆に、愛にはむっとなったらしい。


「……だったら、いいから座ってよ」

「あ? だからいいって……」

「私の足腰のために座ってって!!」


 このとき蓮は知る由もなかったが、愛は最近太りが足に来ていたらしい。バイト先の探偵事務所の下にある定食屋「おさき」の料理を研究と称してしょっちゅう食べているのは知っていたが。始めたという剣道だけではカバーできなくなってきたのか。


「ね!?」

「お、おう」


 結局愛に押されて、蓮はその席に座ることになる。自分の目の前で呑気にスマホを触っている愛の姿に、蓮は溜め息をついた。


(……そういや、初めて会った時もこんな混んでたっけか)


 愛と初めて出会ったのも、この電車の中で、自分が席に座っていた時の事だった。あの時は彼女は背を向けて、何なら痴漢の被害に遭っているという、今とは随分と状況が異なるが。今こうして電車に平気な顔して乗っているのは、彼女の心の傷もだいぶん癒えたという事なんだろう。


 そう思っているうちに、電車はゆっくりと走り出した。よくもまあ、これだけの人数を乗せて走れるもんだと、2~3回乗るたびに思う。


 そして、次の駅に着いた時、人がかなり乗ってきた。始発から愛が下りる駅までは、乗る人が殆どである。あっという間に、電車はぎちぎちになった。


「……ほんとに人多いな、今日」

「ねー」


 そう言う愛の顔には、若干の後悔が滲んでいた。だから素直に座っとけばよかったのに。

 

 まあ、次の駅では自分が下りるので、そこでおそらくこいつは座るだろう。

 5分も立たないうちに、電車は蓮の降りる駅に着く。満員なので、少し早めに荷物を持っておくのがポイントだ。

 電車が完全に停車したところで、蓮は席からすっくと立ちあがる。


 そこで、事件が起こった。


 蓮が立ち上がろうと、前傾姿勢を取った瞬間。


「わあっ!」


 目の前が、急に真っ暗になった。


 一瞬、蓮の思考が止まった。一体何が起こったのか、それを理解しようとするが、拒む自分がいる。


 恐る恐る、目の前の真っ暗な視界に光を入れようと、顔を後ろに下げる。

 見慣れた色の制服、そして、そのうえで顔を真っ赤にして硬直している愛の顔があった。


「……え、いや、その……」


 パクパクと口を動かす蓮だったが、愛は愛でそれどころではない。困った顔をして、ただ蓮の顔を見下ろすばかりである。

 結局、蓮は電車から降りるタイミングを逃した。


*********


 次の駅で足早に降り、何が起こったのかを冷静に考えてみた。


 おそらく、蓮のほかにもいたのだろう。あの駅で降りる人が。そして、それが電車内の、ドアとドアの距離から最も遠い辺り、つまりは座席のあるエリアの中央辺りに陣取っていたのだ。

 その人が、降りようと人をかき分けてドアに向かう。愛は下りないので、必然と身体を外側に傾けてその人を通そうとする。それだけなら問題ない。


 問題は、その人がちょっと図々しい人で、どいた人をさらに押し出してしまうタイプだったことだ。

 結果、愛はその人に押された。蓮は、元々込み合っていたのもありそれに気づかなかった。

 そして、立ち上がろうと前傾姿勢になった蓮の頭と、押された愛の上体が、急接近してしまったのである。

 いや、急接近どころかぶつかっているわけだが。


 電車に乗ってから降りるまで、互いの顔は合わせられなかった。

 駅を出て綴編高校に向かう反対方向の電車を待つ間、蓮はしきりに自分の顔を触っていた。


(……あの、鼻先がすっぽり収まる感覚……)


 普通なら、鼻を挫いてもおかしくない。だが、蓮の顔面はそんなことはなく、顔面の突起にフィットする形でくっついたのだ。


(……やっちまった……!!)


 確かに、鼻回りとか、ちょっと柔らかかったかもしれない。太ったそうだし、そのあたりにも脂肪があった……のかも。

 顔面の感触を忘れられないまま、蓮は天を仰いでいた。


*********


 そして、現在。午後11時に差し掛かろうというのに。

 蓮の顔面の感触は、まだ消えていなかった。そりゃ、そう簡単に忘れられるはずもない。

 学校で勉強していた時も、不良どもの喧嘩をBGMに昼寝していた時も。ほほに触れた柔らかい感触が、頭から離れない。


「……ダーリン、聞いてる?」


 数学教師の九重ここのえ先生に訝し気な目で見られたりもしたが、蓮の思考には入っていなかった。なんなら、今日勉強したことも、「πパイ」しか印象にない。

 こういう日に限って、やけに目について仕方なかった。コンビニの菓子パンコーナーにあった新商品の「アップルパイ」など、嫌がらせかと思ったくらいだ。


 とにかく、蓮の頭の中は、今日「ぱい」でいっぱいだった。事務所のバイトが、自分が休みのシフトで本当に良かったと思う。事務所で再会したら、死にたくなっていただろう。


 それはいいのだが、家に帰っても、シャワーを浴びても、飯を食べても、あの感触を忘れることができずに、ベッドで悶々としていたのである。

 そして、紅羽蓮の悶々は、頂点に達しようとしていた。


(……持ってくるか?)


 蓮は立ちあがると、部屋を出ようとする。この感情を何とかするためには、何はどうあれスッキリするしかない。

 というわけで、向かうのは「開けずの間」だ。またの名を、「お父さんの部屋」という。あそこなら、この気持ちに見合ったブツがあるだろう。


 そう思い、締め切った部屋のドアノブに手をかけた瞬間だ。

 突如、ベッドがきしむ音がした。さらに言えば、先ほどまであるはずもない、人の気配がする。


「――――――――あ?」

 

 素早く振り返ると、ベッドをゆがませている男が一人。

 それが誰か、というのを認識する前に、蓮はすでに動いていた。

 男は緩やかな金髪で碧眼の、いかにも美少年、という感じだ。青いスーツに身をやつし、ベッドの上に立ち膝で座っている。


「あ――――――」


 男が何か言う前に、蓮は彼の胸倉を掴む。

 このまま、窓の外にでも放り投げてやろう、と思ったのだ。


 だが、放り投げる瞬間、男は額に人差し指を当てる。

 そして、掴んでいた男を放り投げた時には。

 蓮の放り投げた男は床に激突し、倒れた。


 そして、さらに。


「――――――――ええっ!!?」


 小太りの男、その上にまたがる女。そして、その奥にあるドアから、ナイフを持って現れている坊主頭の男。


「―――――――ああ?」


 状況を理解することが、蓮にはできなかった。


*********


「兄さん、どうしたの?」


 珍しくドスンドスンと音がしたので、翔は兄の部屋をノックする。基本的に紅羽家の人間は個室にいるとき、ほとんどの場合何かやっているのであまり干渉はしないのだが。

 兄が普段やっていることは、大体が寝ているか自習だ。そんなに音が出るようなことをしていることはない。


 ノックの返事はない。翔は首を傾げた。もう一度ノックするも、反応はゼロだ。

 寝ているのかな。でも、寝る前に歯を磨かないといけないという我が家のルールを、長男たる兄が守らないことはないはずなんだが。隙を見せれば、亞里亞がだらけてしまう。


「――――――入るよ?」


 そっと扉を開けると、そこに蓮の姿はない。

 蓮のスマホを含んだ私物が机の上に転がってはいるものの、肝心の持ち主は部屋からきれいさっぱりいなくなっていた。

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