2-Ⅴ ~あっさり壊れる日常気分~
事務所から出た蓮は、先ほどの愛の笑顔を思い出していた。ただ物を渡しただけであるが、彼女の笑顔は、何というか、気分がほっこりする。弁当を買った時もそうだった。
なんとなく、町をぶらぶらと歩く。夕暮れに差し掛かるいつもの町並みだったが、蓮にはどことなく明るく見えた。
(……こういうの、悪くねえなあ)
考えてみれば、こういう青春らしいこととはすっかり無縁の高校生活だった。片や悪の組織とやりあったり、片や不良とやりあったり。やりあってばっかりである。それもこれもすべて安里修一という男のせいなのだが。
だが、立花愛という「普通の女の子」が絡むと、こうも変わるものか。すっかり諦めていた「普通」というものを実感できるのは嬉しいものだ。特に、蓮のように存在そのものが「異常」であることを自覚する者にとっては。
(……ま、映画のセンスは普通じゃねえけど)
あれさえなければなあ、などと考えながら町をふらりと歩いていると、見覚えのある顔が蓮の前に、ふっと現れた。
緑色の髪をした彼女は、リボンを揺らしてふっと笑う。
「……お前……」
「どうも。紅羽くんのお兄さん」
確か、穂乃花だったか。一度に3人も出てきたものだから、結構名前すら曖昧である。だが、彼女は今は1人だ。
「今日は翔と勉強は無しか?」
「いいえ、勉強会はしてますよ。詩織ちゃんと明日香ちゃんは、特にヤバいですから」
「……お前は?」
「実は私、結構勉強できるんです。2人と一緒にいたいから合わせているだけで」
ふふん、と笑う穂乃花に、蓮は顔をしかめた。
「だったら、お前が教えればいいじゃねえかよ」
「私、教えるの下手なんです。それに、紅羽くん、教えるのすっごく上手なので」
納得できるような、できないような。蓮は頭を掻く。
確かに、翔は人にものを教えるのが好きだ。将来の夢は教師になることだと公言しているくらいだし。彼女たちに教えているのも、その一環だろう。
「で、お前はこんなところで何してんだよ」
「あなたに用があるんです」
ずい、と穂乃花が蓮との距離を詰めた。豊満というほどではないが、そこそこのボリュームの胸が、蓮の腕に当たる。
こういうことをする女は、大体碌な話を持ってこないことを、蓮は知っていた。
「……何の真似だ」
「来てもらえますか? あんまり人のいるところじゃできない話なんです」
穂乃花は小声で蓮に耳打ちした。そして、そのまま蓮と腕を組むように位置を変えると、一緒に歩き出す。
「こうすれば、高校生のカップルっぽく見えるでしょ?」
穂乃花はそう言い、蓮を見てはにかんだ。
そうして、彼女と歩いて入ったのはカラオケボックスである。
「何か歌いますか?」
「別にいい」
「じゃあ、私歌いますね。飲み物、持ってきますか?」
「自分で持ってくる」
蓮はそう言うと、カラオケの部屋を出た。
(……何だってんだ、アイツは)
穂乃花の様子に、違和感を感じずにはいられなかった。何か考えがあって蓮に近づいたのは間違いないだろうが。
(……軽く脅かしゃ吐くかね)
特に意味もないが、拳を握っては開く。もちろん、相手は弟の同級生だ。ひどいことをする気はない。
だが、変な噂を立てないように約束はさせないといけない。蓮の警戒心は高まっていた。
(……愛の奴だったら、こんなことないんだけどなあ)
折角「普通」を実感していたのに、すぐこうである。蓮は溜息をついた。
そして、蓮がカラオケの部屋に戻ると、穂乃花の姿はなかった。
トイレでも行ったか、という蓮の考えはすぐに消え失せる。
穂乃花はドアのすぐそばに張り付き、蓮を待っていたのだ。
どういうわけか、鎖鎌を構えて。
「……は?」
振り下ろされる鎖鎌を躱し、蓮は後ろへ下がった。
穂乃花の動きには一切の無駄がない。ただがむしゃらに振り回した、というわけでもなさそうだ。
「……さすがね」
「お前、俺のこと知ってんのか……?」
「アザト・クローツェっていえばわかるかしら?」
その言葉に、蓮はピンとくる。借用書にアイツが書いていた名前だ。
という事は。
「お前が、アイツら殺した犯人ってことか」
別に同情するつもりも、義憤もない。連中だって犯罪者であり、罪のない人に何か悪いことをしているだろう。なにせ悪の組織なのだから。
今の穂乃花の目は、完全に蓮の見慣れたモノになっていた。殺しという一線を越えた者がする目だ。
穂乃花は答えず、鎖鎌を両手に構えて距離を詰めてくる。上下左右から降り下ろされる鎌を、蓮は最小限の動きで躱していた。
(……どうする)
ここはカラオケボックスだ。幸い店員も近くにはいない。こんなことをしていれば大パニックだろう。それは避けたい。
さらに幸いなことに、彼女の動きは狭い場所という事もあってか、あまり早いとは言えなかった。正直、蓮なら止まって見えるレベルである。
が、問題は翔の同級生であるという事、ここに限る。あまり手荒な真似をして、翔に何らかの形で迷惑をかけるかもしれない。
(どうにか、穏便に済ませらんねえかなあ)
考えながら、蓮は振り下ろされた鎌の切っ先をつまんだ。
「……あっ!?」
穂乃花の身体の動きもピタッと止まる。鎖鎌を動かそうとしても、動かないのだ。
「……な、なんて力なの!?」
彼女が言うと同時に、蓮が鎖鎌の鎖部分に手をかける。鎖の両端に鎌が付いているので、鎖を引っ張れば両方の鎌を彼女の手から奪える。
ついでに言えば鎖は彼女の後側に回っていたので、鎌を奪うと同時に足を引っかけてやった。
「きゃん!」
可愛い声を上げて穂乃花はすっ転んだ。2つの鎌は蓮の後ろへ飛び、壁に深々と突き刺さる。
蓮は飛んでいった鎖鎌に眉をひそめた。
「あ、ヤベっ!」
蓮は鎖鎌を引っこ抜き、穂乃花のカバンに隠した。そして倒れる彼女を背負い、慌てて部屋を出る。
壁にかなり大きな傷を作ってしまった。店にばれたらしこたま怒られるだろう。そして、店員に顔を見られている以上、このカラオケボックスにはもう来られない。
蓮は溜息をつきながら、足早に店を出て行った。
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