1-ⅩⅩⅩ ~現れる黒幕~

 声は、パソコンを介して、はっきり聞こえるようになる。


 鋭い牙を剝いた「それ」は、激しい「呪い」をパソコンからまき散らした。あまりの不快な匂いに、愛は鼻を覆う。


「……あ、あなたが……「呪い」の正体なの!?」


「あー……? そうか、お前、確か「立花愛」だったな? 俺の「呪い」を受けて、ひっどい目にあった奴だ」


 ニマニマと画面上で笑う「そいつ」を、愛はじっと見据える。

 この謎の存在は、どうやら日本語で会話ができるらしい。


「……あなたは、何なの?」

「俺か? 俺はなぁ……お前らでいう、「悪魔」だよ」


 悪魔はニヤリと、画面内で笑った。


「悪魔……?」

「そう。まあ、一応名前もあるんだが。そうだな、お前らの言葉に直して発音するんだったら……『ネクロイ』って感じか?」


「ネクロイ……」


 ネクロイは、愛をじっと見つめる。その後ろには、妻咲が茫然としていた。

 やがて、PCの画面が、本当にブラックアウトする。

 はた目から見れば何が起こったかわからないが、愛にははっきりと分かった。


 ネクロイが、PCから離れたのだ。奴は今、天井に張り付いている。


「……驚いた。お前、魂の俺が見えるのか?」

「どうして、妻咲先生のPCに憑りついたの!?」


「質問を質問で返すんじゃねえよ!」


「きゃああああ!?」


 ネクロイの咆哮で、部屋にあった食器類が割れる。ポルターガイスト現象に、妻咲は動揺を隠せなかった。


「……見えるわよ。答えたから、それでいいでしょ」

「なんだ、随分肝が据わってやがるな」


 愛が妻咲をかばうようにしているのを見て、ネクロイは感嘆の声を上げた。


「……まあ、いいだろう。どうせこのまま生かしておくわけにはいかねえ。なんてことはねえ、単純にこっちに来た時、一番俺が憑依しやすかったのがこれだったってだけだよ」


 ネクロイは黒い触手のようなものを伸ばして、PCを指した。


「……あなたたち悪魔の、適応性ってやつね?」

「なんだ。知ってるのか」


 悪魔は本来、実体を持たない。いわゆる魂だけの生命体だ。

 その為、人間界で相応の実害をもたらすには、何かに憑りつく必要がある。その際に悪魔が縛られるのが適応性であった。


 適応性が1%でもあれば、憑依は可能である。そして、適応性が高ければ高いほど、悪魔の力は高まる。50%を境にパワーアップすると言われ、100%であれば本来の何倍もの力を発揮できる。それが適応性だ。


「……まあ、これでも、せいぜい30%ってとこだがな」

「……先生のPCから、出て行って」

「ああ、良いぜ?」

 ネクロイはあっけらかんと、そう言った。


 そして、次の瞬間。


 ネクロイが妻咲に跳びかかる。


「先生!」


 ぱっと見た時には、もう遅かった。


 妻咲の手が、愛の首にかかる。


「うっ……!」


「憑りつき先を変えればいいだけなんだからよぉ! お前もバカな人間だぜ、こうなることくらい予想しとけよなぁ!?」


 妻咲の手が、みるみる力を込める。その力は、人間の力量を超えていた。


 愛の脳から、酸素がみるみる失われていく。


「じゃあなぁ! 俺の楽しみを、邪魔されたくないんでよ、殺して魂を食ってやるよ!


 そう叫び、妻咲が高笑いした、その時。


 愛のブレザーのポケットから、黒い物体が飛び出した。それは、妻咲の口に入り込み、気道を塞ぐ。


「うぐっ!?」


 あわててネクロイは愛の手を離す。憑依しているときは、憑依元のダメージは少なからず自分にも反映されるからだ。窒息の苦しみは、ネクロイにも確実に与えられる。


「な、なんじゃこりゃあ!」


 ネクロイは慌てて、黒い塊を喉から吐きだした。


 塊は音を立てて、床に転がり落ちる。


「……ま、全く。何だってんだよ。こりゃ」


 その黒い塊をどかそうと、ネクロイは動こうとした。


 だが。


「……ちっ、やっぱりダメか」


 この女は適合性が低い。だから、わざわざ人間でなくて物に憑依したというのに。すぐに抵抗されてしまっては、自由に動くこともできない。


「……しかし、どうするかねえ」


 愛はまだ生きている。だが、殺そうとすると、肉体は激しく抵抗した。この女なりの意地という事か。


 しかし、このままでいるわけにも行くまい。


 ネクロイは一度妻咲から離れると、再びPCに憑りついた。


「……おい、おい!」

「……えっ?」


 意識がいきなり引き戻された妻咲は動揺していたが、すぐに電源を切ったはずのPCに映るネクロイの顔に気づく。


「な、何が望みなの……!?」


「その小娘を殺せ、お前がな」


 ネクロイの言葉に、妻咲は恐怖した。


「そ、そんなことできるわけないでしょう!?」

「お前がやらないなら、お前が嫌がることをするまでだ。……確か、綴編とかいうところだったよなあ? お前が犯されたのは」


 妻咲の脳裏に、嫌な記憶が現れる。抵抗むなしく組み敷かれる自分、異物が身体に侵入してくる不快感、そして、涎を垂らしながら自分を囲む男たちの匂い――――――。


「この小娘と同じような目に、お前も遭ってみるか? このPCからお前を犯す依頼をばらまくこともできるんだぜ?」

「い、嫌よ! それだけは、ぜ、絶対に嫌!」


 妻咲は、自分の肩を抱いた。震えが止まらない。


「だったらお前が、その女を殺すんだよ! ここに包丁がある。それで刺せば終わりだ」


 ネクロイの言葉に操られるように、妻咲は包丁を握る。そして、倒れている愛の前に、

立ち尽くす。

 あとは、包丁を彼女の身体めがけて振り下ろすだけ。それだけで、最悪の事態は阻止できる。


 そう。私は悪くない。悪いのはこの声の主。私じゃない。


 たとえ、教え子を殺すことになったとしても。


「……ここじゃ、できないわ」

「何?」

「ここで殺したら、結局私が犯人になる。それじゃあ、意味がないじゃない」

「……なら、どうするんだ」

「場所を変えましょう。彼女を手にかけるのは、そのあとよ」


 妻咲はそう言い、手早く準備を始める。ネクロイは呆気に取られていたが、やがて大笑いした。


「……は、ははははははははははははは! 面白い、いかれてやがるな! お前」

「……そうかしら」

「そうともよ! 面白そうだ、俺も連れて行けよ!」

「ええ、当然よ」


 妻咲はネクロイの入ったPCをカバンに入れ、愛を背負うと、部屋から出て行った。


 残っているのは、黒い塊が一つ。妻咲の身体に入りこみ、吐き出されたものだ。


 それはずぶずぶと形を変え、やがて人間の姿となる。安里修一だ。


「……やれやれですねえ。赤の他人を家に置いて行っちゃだめでしょうに」


 安里は立ち上がると、スマホを取りだす。かけた先は朱部だ。


「もしもし、朱部さん。すぐに車を回してください。ええ、場所は分かりますよね?僕の身体にGPSを仕込んでいるので」


 連絡を切ると、今度は蓮への連絡を入れる。

 だが、安里は溜め息をついて椅子にいったん座りこんだ。


「嫌だなあ……絶対怒るよなあ、蓮さん」


 妻咲先生は、愛を殺さない。


 彼女と「同化」してそう確信したからこそ、自分は事態が落ち着くまで死んだふりを決め込んでいたのである。

 とはいえ、わざわざ愛をさらわれた、となっては、蓮がかなり怒るであろうことは疑いようがない。なんだかんだ、一番愛を心配しているのは蓮に他ならないからだ。


「……ええい、報連相は大事ですからね」


 安里は、震える指で蓮への着信ボタンを押した。

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