2-Ⅻ ~覚醒・ぶっちぎりのヤバい奴~

「……あー、いったぁ……」


 お腹を抑えながら、詩織はよろよろと教室に戻ってきた。保健室に行こうかとも思ったが、思えばそこまでのダメージではない。


(明日香の奴、あそこまで本気でやることないのに)


 葉金による修行禁止の鬱憤が溜まっていたのだろうか。それだったら自分もなんだけど、明日香のあれは別の鬼気迫るものがあった気がする。


 ひとまずカバンを持って、2人と合流しなければ。何をするにも3人一緒、と葉金にも言われている。明日香にボコボコにされたことも問い詰めなければならない。


 そうして、詩織が教室に入った時だ。


「あ、来た。待ってたよ、四宮さん」

「……紅羽くん?」


 教室の教壇で、翔が待っていたのだ。そして他には誰もいない。


「ど、どうしたの? 2人は?」

「いや、今日は用事があるって。あと、誰もいないし、せっかくだから教室で勉強もいいかなって」

「ええ?」


 そんな予定などないはずだ。詩織はカバンからスマホを取りだす。3人のグループラインにメッセージが入っていた。


『アンタ遅れてるんだから、みっちり個人指導してもらいなさい』

『葉金兄には、許可を取ってるから。遠慮なくやれ』


「許可は取ってる、って……」

「阿仁屋さんたちから、徹底的にやってくれって言われてるんだけど」

「て、徹底的?」

「四宮さんが一番遅れてるから、叩き込んでくれって」


 翔の眼鏡が、きらりと光る。思わず後ずさりしそうなほどの迫力だった。


 結局逃げられなかった詩織は、問題集に向かう。


「それで、前に復習したときにできなかったのは?」

「えっとね、これとこれと……ここは全部」


 言いながら情けなくなる。どうして、自分はここまでできないのか。

 紅羽くんだって、内心呆れているに違いない。そう思いながら、ちらりと翔を見た。


「そうか、この間違え方なら、単なるケアレスミスだな……。肝になる部分はできてるから、細かな間違いを失くすようにすれば……」


 真剣である。しかも、自分とは関係ない詩織のことに対して。


 なんだか、翔の顔をこうやってまじまじと見るのは、久しぶりな気がした。


「……あの」

「ん?」

「そんなにまじまじと見られると、流石に恥ずかしいんだけど……」


 翔が顔を赤らめていることに気づき、詩織もあわてて顔を逸らす。


「ご、ごめんなさい」

「いや、いいんだけど……。とりあえず、テストまで時間もないし、ケアレスミスの問題は飛ばそう。根本からわからない部分を、重点的にやっていこうか」


 そうして、翔と勉強を始めた詩織だったが。


 自然と、言われることが頭にすんなり入る。


(……なんか、こんなこと前にもあったような……)


 詩織の脳裏に、幼い修業時代の記憶がよみがえる。


 アレは確か、蟲忍流忍術の基礎の基礎、蟲霊を見る訓練だ。3人の中で、詩織だけがいつまでたっても見ることができなかった。

 多くの先達が根気よく修行を着けてくれたが、一向に見えない。詩織は幼いながらいじけてしまい、嫌になって、集落の倉に閉じこもってしまったのだ。


 明日香たち同期も、先輩の蟲忍衆、それこそ葉金も、さらには長老衆まで出てきて総動員で詩織を説得したが、頑なに倉から出てこなかった。


 そんな彼女を外に連れ出したのは、詩織たちの面倒を見てくれていた、育て人のおばあちゃんである。


 彼女は、詩織を外に連れ出そうとしなかった。逆に、詩織のいる倉の中に入れてくれ、と頼んできたのである。


 ぐずりながらおばあちゃんを倉に招き入れると、おばあちゃんはにっこり笑っておにぎりを差し入れてくれた。ずっと倉に籠ってお腹がすいていた詩織は、夢中でほおばった。


 ひとしきり食べ終わった後、なんてないことを延々とおばあちゃんに愚痴った。


 やれ、修行がきついだの、長老が臭いだの。葉金が怖い、とも言った気がする。おばあちゃんはそれを、うんうんと頷いて聞いていた。


 そして、おばあちゃんのとどめの一言があったのだ。


「でもねえ、しいちゃん、ババはしいちゃんができるようになってくれたら、それはよう嬉しいのよぉ」

「……ほんと? ばあちゃん、嬉しい?」

「うん。嬉しいよぉ。ホントにねえ」


 そうして、おおよそ5時間ほど閉じこもっていた詩織は、おばあちゃんに抱かれて外に出た。そして翌日に、今まで全然できなかったのが何だったのか、あっさりと蟲霊が見えるようになったのだ。


 周りは大層驚き、おばあちゃんは大層喜んでくれた。

 そのおばあちゃんも、数年前に眠るように亡くなり、久しく忘れていた。


 そのおばあちゃんの雰囲気が、なんとなく翔と重なったのだ。


「……ね、ねえ。紅羽くん」

「ん?」


 不意に、詩織のペンが止まった。そして、翔の顔をまっすぐに見つめる。


「……私が……勉強できるようになったら、嬉しい?」


「当たり前じゃない。これだけ教えてるんだし、できるようになってくれたら教えた甲斐があるよ」


 詩織の頭の中で、何かがはじけた。それが、頭の中のモヤモヤしたものを、すべて吹き飛ばしていく。スカスカになってさえわたった頭の中に、今なら何でも入る気がした。


「……そっか。そっかあ~」


 詩織の顔が、次第ににやける。翔は、困ったような顔で詩織を見ていた。


「……ねえ、ちょっとお願いしてもいい?」

「何? できる範囲ならいいんだけど」


 少したじろぐ翔の顔を、詩織はまっすぐ見据えて離さない。


「私がいい点とったら……呼び方。「しいちゃん」にして?」


「……え」

「い・い・ね?」

「……は、はい」


 据わった目で見つめる詩織の迫力に、翔は頷くしかなかった。


 こうなった詩織は、もう誰にも止められない。


***************


 それから数日後の、定期テスト当日。


 テストは国数英に、化学と世界史の5教科なのだが。


 すべてのテストで彼女は70点以上を叩きだした。


 特に、英語と国語では80点台後半という好成績である。これは3人の中でもトップの成績だった。


「っしゃあああああああああああああああああああっ!」


 ファミレスで盛大にガッツポーズを決める詩織の様子に、明日香と穂乃花は茫然としている。


「……いや、何があった、何が」

「……私もびっくりだよ」


 穂乃花の言葉は混じりっけない本気であった。詩織が赤点回避できれば御の字、まさか負けるなどとは思っていなかったのだ。


「……ふっふっふ。ちょっと負けられない理由があってね」

「負けられない理由?」

「私、人の期待にはばっちり応えるタイプだから!」


 詩織はどや顔でそう言った。明日香と穂乃花は、顔を見合わせる。


 そして、学校の試験後の葉金による確認テスト。


 その結果に、葉金は目を丸くしていた。


 穂乃花はまあいい。彼女は地頭がいいから、ちゃんと勉強すれば成果が出るのは必然である。

 明日香も、勉強を苦手としながらも努力家だから、この結果は、まあ、納得できる。50点台だが。


 問題は、気分屋で一番テスト直前でくすぶっていた詩織の点数だ。


「……全科目……満点……だと!?」


 葉金の顔に冷や汗が垂れる。今までそんなものを誰にも見せたことはなかったが、今回ばかりは隠し切れなかった。


 一方の詩織は、ふふんと豊かな胸を張っている。


「どうよ葉金兄! 私だってやればできるのよ!」


 葉金は何度も詩織を見やった。問題を解いている間も、特に不正はしていなかった筈。問題が流出したことも考えたが、肌身離さず問題のUSBは持っていた。漏れるはずがない。


 疑えばきりがないが、疑いようもなく詩織自身の実力である。


 そして、極めつけは。

 解答用紙を見ていた詩織が、ふと首をひねったのだ。


「ん? あれ、葉金兄、この問題、答え間違ってるよ?」

「……何?」

「ほら、ここ」


 詩織は問題用紙片手に、葉金と内容を見あう。


「あ、これ、葉金兄計算間違えてるよ。私もだけど」

「……本当だ」


 そうして、詩織の数学の点数は100点から98点になった。葉金は目を白黒させて詩織を見る。


「……お前、本当に詩織か?」

「何それ、ひどくない!?」


 詩織は不満げに葉金を見る。あの気まぐれでシノビらしからぬ性格の詩織が、ここまで自分を翻弄するとは。


「とにかく、葉金兄。これで、任務は再開できますね?」

「ん? ああ、そうだな」


「「「……やったあーーーーっ!」」」


 3人は一斉に立ち上がり、ハイタッチをする。


「……まあ、今回は合格だったが、これで満足せず、勉学に励めよ」

「もちろん!」

「次の定期テストは、いい点とるんだから!」

「葉金兄も、問題用意しといてよ!?」


 3人が間髪入れずに放った言葉に、葉金はふっと笑った。


「……次は、相手できればな」


 そう言って、葉金は部屋から出て行った。


「……相手できればな? どういう意味だろ」

「任務がなかったら、じゃない? 葉金兄だって自分の任務があるんだろうし」


 詩織と明日香が言い合う中、穂乃花だけは葉金のいなくなった戸を見つめていた。


 そして、翌日。詩織はかなり上機嫌で、教室のドアを開けた。


「おっはよーーっ!」


 おおよそ忍者とは思えない、大きな挨拶である。

 だが、クラスに違和感を感じる者は一人もいない。


「お、好成績だった四宮!」

「四宮ちゃん、おはよー!」


 明るい性格の彼女は、すっかりクラスカーストの上位である。


 詩織は挨拶もほどほどに、荷物を置くと、つかつかと本を読んでいる翔の席へとやってくる。


「おい、四宮が紅羽の所に行ったぞ」

「まあ、教育係だったからな」


 そうして、周囲も納得していたのだが。


「……翔くん。お・は・よ?」

「お、おはよう四宮さん……」


 彼女の首が、異様なほど直角に曲がる。その目は暗く据わっていた。


 そして。


「全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点全教科70点以上国語英語80点……」


 まるで呪文のように、何かを呟き始めた。ものすごい早口で、延々と同じ言葉を発し続けている。


 その場にいた全員が、凍り付いた。一方の翔も、最初こそ凍り付いていたものの、彼女の意図を理解したらしい。


「あ、ええと……、し、「しいちゃん」?」


 彼女の首が、一瞬で元の状態に戻った。そして、とろけるような笑顔を見せる。


「うん。おはよう、翔くん♡」


 その場にいた全員が、異様な光景を見つめていた。

 明日香と穂乃花は、昔の光景を思い出す。


おばあちゃんと一緒に、詩織が倉から出てきてしばらくの間のことだ。

 詩織はすっかりおばあちゃんに懐き、片時も離れようとしなかったのである。食事も、お風呂も、寝る時も。部屋を分けてもこっそり忍び込んでは一緒に寝ていたのである。

 そして、明日香たちがおばあちゃんと仲よくしようものなら、ものすごく不機嫌になった。癇癪を起こして、それはもう大変であった記憶がある。


 あの時は、単純におばあちゃん子だと思っていたのだが。


(……もしかして、かなり面倒くさいことになった?)

(……だよね、どうしようか……)


「くそう、紅羽ああああああああああああ! お前、四宮さんと何があった! 吐けコノヤロー!」


 一方、クラスの男子たちも阿鼻叫喚となり、翔を囲んで問い詰めていた。

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