2-ⅩⅢ ~どうにも止まる気がない~

 蓮は、翔が帰ってきた様を見て驚いた。


「……お前、何があった!?」

「……いや、何でも……」


 そんなわけねえだろ、と蓮は言わざるを得ない。翔の髪はぼさぼさ、普段している眼鏡をはずして、制服も心なしかよれよれである。そして、翔はコンタクトなど持っていない。


「眼鏡どうしたんだよ!?」

「ああ、ここにあるよ」


 眼鏡ケースに収まった眼鏡をかけると、「ちょっとシャワー入ってくる」と風呂に行ってしまった。


 服を脱ぐ様子をちらりと覗くと、あちらこちらに青あざがある。蓮の頭の血管が切れる音がした。


「……どこのどいつだ……!」


 ぶっ飛ばしてやる。そう決意し、蓮が殺気立って家を出ると、穂乃花たちが立っていた。


「……なんだてめえら、どけ」

「そ、そう言うわけには……」

「お前ら、誰が翔をボコったか知ってんのか。だったら吐け」


 蓮は躊躇なく穂乃花の胸倉を掴んだ。ぐい、と力任せに引き寄せ、穂乃花をじっと睨む。


「ま、待って! その件については、もう終わってるのよ!」


 明日香が必死になって、蓮の腕につかみかかる。蓮はじろりと、明日香を睨んだ。


「あ? ……終わった?」

「紅羽くんは、もみ合いに巻き込まれただけで……」

「もみ合いって、なんの」


 蓮がそう言いかけたとき、不意に穂乃花を引きはがす手があった。蓮からしても信じられない力である。


 引きはがしたのは、詩織であった。だが、今までの彼女とはどこか雰囲気が異なる。


「……ところで翔くんは?」

「あ? いや、風呂入るって言ってたけど」

「そうですか。分かりました」


 詩織はそう言うと、ずかずかと家の中に入っていった。そして、するすると着ている制服を脱ぎ捨て始める。


「……はあああああ!?」

「大変、お兄さん! 詩織を止めないと!」


 あまりの奇行に、蓮の怒りもどこかへ吹っ飛んでしまった。とにかく、彼女を止めなければ。慌てて詩織を羽交い絞めにする。彼女はブラのホックに手を掛け、危うく下着も脱ぎ捨てる寸前だった。


 ぎろっと、機械のように首が回り、詩織は蓮を睨みつける。深淵のような瞳の奥に、蓮は思わずぎょっとした。


「何するんですか? 邪魔しないでください」

「いや、邪魔って、お前何する気だよ!」

「何って、お風呂に入るんですよ? お風呂なんだから、服を脱ぐのは当然でしょ?」

「だから、なんでお前が入るんだよ!」


「だって、翔くん、ケガしてるから。洗うの大変だろうし、洗ってあげないと」


 何を言っているんだ、この女は。頭のねじがぶっ飛んでいる。蓮は珍しく戦慄を覚えた。


 そして次の瞬間、詩織の身体が羽交い絞めからするりと抜けた。何事かと思えば、次の瞬間、骨がきしむ嫌な音がする。


 気づけば、詩織はもう、ブラを投げ捨てている。


(……自分の肩の関節を外して、ハメ直したのか!?)


 蓮が認識すると同時に、詩織の蹴りが蓮めがけて突き出される。すんでで躱すが、その蹴りの威力たるや、壁に丸い穴が空くほどの鋭さだった。


「……お、お前……!」

「邪魔しないでください。お義兄さん、私は翔くんの身体を洗ってあげたいだけなんです」


 彼女だけ、他の2人と自分の呼び方が微妙に違うのは、この際どうでもいい。ともかく、まともな行動原理でないことは確かだ。


 そして、どういうわけか、彼女は著しくパワーアップしている。


 一瞬で間合いを詰めてくると、ボディブローを蓮めがけて放った。ガードをする腕に、しびれを覚える。今まで相手してきた中でも、トップクラスに強い。


「……どうしても邪魔するつもりなのね……なら!」


 詩織は距離を取ると、左手をひねる。どこから出したのか、ブレスレットのようなものが腕に装着されていた。


 それを見た穂乃花たちが、慌てて声を荒げる。


「ま、待って! 詩織、それはさすがにダメよ!」

「普通の人相手に、それは……!」


 2人の静止も聞かずに、詩織は手を交差させて、印を結んだ。


「……蟲忍……変化……!」


 この時、蓮にはさっぱり見えていなかったが。


 彼女の周りにいた蟲霊が、粒子となって彼女の周りにまとわりついていた。そして、まるで繊維のように服となり、詩織の全身を包んでいく。


 鎖帷子に桃色の装甲。そして、蝶を象ったデザインのマスク。背中には、1対の日本刀が現れる。


「……翅忍・チョウニンジャー……推参!」


 蓮たちは、その変身を茫然として見ているしかなかった。


 明日香たちは、わなわなと震えて、膝から崩れ落ちる。


「……む、蟲忍流の秘伝奥義なのに……!」


 秘伝って。あの戦隊ヒーローみたいな変身がかよ。


 しかも、こんなしょうもない理由での初披露かよ。


 そう思った蓮だったが、変身した詩織の放つ殺気は尋常ではない。

 彼女の姿を見て、ふと思い出したのは、いつぞやの赤い鎧だった。


(……そうか、アイツもこの変身を使ってたわけか)


 納得する余裕があったのもつかの間。


 詩織は日本刀をすらりと抜き放つと、蓮との間合いを計り始める。

 そこには一切の隙がない。完全に殺す気であった。


 じりじりと間合いを詰める詩織に、蓮は全意識を向ける。


(こいつ……)


 互いにタイミングを計り、家の中に静寂が訪れ、家の外にいたジョンが異様な格好をした人が家の中に気づき、吠えた時。


 蓮の拳と詩織の刀が、激しくぶつかり合った。


 刀と拳は激しい衝撃波をまきちらし、リビングのものが吹っ飛ぶ。

 刀が拳に耐え切れず、根元から折れた。


 そのまま右拳が、詩織の側頭部を捕らえる。


 殴打の寸前、もう一本の刀が蓮の体を貫こうとするが、それは刀身を左手で掴んで止めた。


 そのまま、詩織を頭から床に叩きつける。


 床に大穴が空き、詩織の首から下は完全に埋まっている。蓮は大きく息を吐いた。


 しばらくぴくぴくと動いていたが、やがて詩織は動かなくなり、変身も解けて元のパンツ1枚の姿に戻った。

 蓮が握っていた刀身も、まるで鱗粉のように消えてなくなる。


「……何だってんだ、こいつは」


「し、詩織!」


 それまで呆けていた明日香と穂乃花が、慌てて詩織の下へと駆け寄る。


「……殺しちゃいねえよ。こいつ、そんなやわじゃねえだろうし」


 言葉通り、詩織はどうやら息はしているらしい。完全に気絶しているようだが。


「あ、あの……ごめんなさい……」


 穂乃花が、家の有様を見て言う。壁と床には穴が空き、オッパイ丸出しの女が埋まっている。家具なんかも吹き飛んで、ほとんどめちゃくちゃだ。


「……ほんとだよ。母さんにどう説明すんだよ、コレ」


 蓮が茫然としていると、ガラガラ、と脱衣所の扉が開く音がした。


「……うわあ!? どうしたのコレ!?」


 風呂上がりの翔が、素っ頓狂な声を上げる。


「翔くん!?」


 その瞬間、さっきまで気絶していた詩織が、床から頭を引っこ抜いてがばっと起き上がった。


「うわあああああああああ!」


 その場にいた全員がぎょっとする。さっきまで完全に伸びていたはずだ。彼女はトップレス姿であることなど気にもせず、翔に駆け寄っていく。


「翔くん、大丈夫? どこかケガしてない?」

「うわ、しいちゃん!? な、なんでうちに、っていうか、なんでそんな格好してるの!」

「私ね、翔くんが心配で、背中流してあげようと思って……」

「わ、わ、わあ! 大丈夫だよ、大丈夫だから、服着て!」


 翔の叫びが響くころ、蓮はスマホを手に取っていた。


「……あ、もしもし? 安里か?」


 まずはこのリビングの惨状を何とかしないといけない。


***************


「あのねえ。僕はねえ、修理業者じゃないんですよ」


 安里が怪訝な目で、蓮を見やる。そうは言いつつも、壊れた家具やら部屋はみるみる直っていった。


「それにしても、あのピンク髪の子が、そこまで……」

「あの、ほんとにごめんなさい。うちの詩織が……」

「ああ、なんかもう、いいや。で、何があったんだよ?」


 蓮が穂乃花に聞いたところ。


 翔がクラスの男子連中に、詩織をあだ名で呼んでいることを囲んでいじられていた。そこまでは良かったのだが。

 ほかのクラスのチャラい連中が、翔のことをいじりに来たのだ。そいつらは詩織のことをいたく気に入っていたそうな。


「それで、詰められ方が、ちょっと乱暴で。紅羽くんのあちこちをどつくみたいなやり方してたから、詩織がそれを見て怒っちゃって……」


 今まで見たこともないほどの鬼気で、チャラ男どもをなぎ倒していったのだそうだ。


「……そりゃ、そうなるだろうよ」


 蓮は腕をさすりながら、先ほどの詩織の強さを思い出す。理由はバカバカしいが、実力は過去闘ってきた奴の中でも最強に近い。言ってしまえば、先日ボコボコにした悪魔ネクロイなんぞ、ハナクソみたいなもんである。


 そして、肝心の詩織と言えば、翔の看病をせっせとしている。とんでもないことをしないか、明日香たちが見張っていた。


「しかし、まさか躊躇なく風呂入ろうとするとはな……」

「思うに、情操教育が未発達なのかもしれませんね」

「は?」

「ちゃんとした性教育を受けていないんじゃないか、という事ですよ」


 んな、バカな。蓮は首を傾げたが、安里の顔は真剣そのものである。


「だって、高校生だぞ? そんなことあるかよ」

「ほんの3ヵ月前まで、限界集落で偏った教育を受けていたんですよ? その可能性は十分にあります」


 そんなこと言ったって、むしろそんな限界集落だったら、早いうちから教えるんじゃないのか。その方が、集落的には子供を作りやすいだろう。


「あるいは、作為的に教えを受けていない、ですかね」

「さすがにそこまで言ったら陰謀が過ぎるんじゃねえの」

「そうですかねえ」


 まあ、年端もいかない若者を怪物退治に遣わすような集団だ。何を考えているのかなど、蓮にはさっぱりである。


「……ところでよ、蟲忍衆のこと、何かわかったか」

「そうですねえ……ちょっと」


 安里が蓮に、さっと耳打ちする。安里が同化できない蓮には、直接伝えるしか情報伝達の方法がないのだ。


 そして、耳打ちの内容に、蓮が目を丸くした。


「……おい、それって……」

「ね? だから言ったでしょ?」


 そういう事かよ。蓮は舌打ちした。

 となると、彼女らの事情も、なんとなくだが理解ができてしまう。


「……で、どうするんだよ」

「事前の準備はしてあります。それで、蓮さんにも協力してほしいんですが」

「……何すりゃいい」


 ほかに誰もいないリビングで、蓮は安里の提案を聞き、頭を抱えた。

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