1-Ⅻ ~普通科(平民)と特進科(お嬢様)~
長い長い上り坂を越えると、綴編の10倍はありそうな大きさの校舎が待ち受けていた。
「でっけ! さすがお嬢様校……」
「言っても、あの派手な校舎は特進科向けなんだよね。普通科はあっち」
愛が指さすのは、そんな校舎の向こう側。
何というか、コメントに困る普通の白い校舎があった。
「……お、おう」
「行こっか……」
そうして、二人は校舎へと入り、向かうは教室……ではなく、職員室である。
中にいたのは、数人の教師陣だった。
「あの、2―Aの立花ですけど……」
「ああ、昨日連絡来たわよ。大丈夫だったの?」
「あ、はい」
彼女の担任であるという、眼鏡の女教師に事情を話す。一応、昨日安里から事前に連絡は入れているものの、担任の反応は芳しくない。
「しかし、桜花院の50年の歴史の中でも初ですよ。他校の、しかも男子生徒と一緒に授業を受けるなんて」
「まあ、迷惑はかけないんで」
「……立花さんの命には代えられませんからね」
担任は渋々ながらも蓮の同行を許可してくれたので、今度こそ教室へと向かう。
教室に入ると、それまでの喧騒は鳴りをひそめ、ひそひそ話に変わった。
「ねえ、聞いた?立花さんの家、燃えたんだって」
「それに、痴漢にも遭ったって……」
「何か悪いものでも取り憑かれてるんじゃないの?」
蓮は噂に顔をしかめるが、当の愛はあまり気にしないようで、そのまますとんと自分の席に座る。
周囲の視線が一気に集まる。集まる先はもちろん、彼女の隣に座った紅羽蓮だ。
しばらくして、担任の先生が教室へと入ってくる。
「それじゃあ、HR始めます。……それで、皆さんもわかっているとは思うけど」
担任が蓮を手招きする。蓮はのそりと立ち上がると、教室の前へと出た。
「立花さんが、どうやら何者かに狙われているとのことで。彼女のボディーガードととして、特例で授業を受けることになりました。紅羽蓮さんです」
紹介を受けた蓮は、「どうも」とだけ言って、軽く頭を下げた。その様子に、担任が顔を引きつらせる。
席に戻ると、周りの女子たちは再びちらちらとこちらを見始めた。その様子に、蓮は舌打ちする。
(……見世物じゃねえっつうの)
まあ、それを口に出すわけにも行かず、結局このままHRは終わった。
そして、終わった瞬間に蓮は女子たちに囲まれることとなった。
「紅羽くんって、学校行ってるの?」
「立花さんの護衛って、どういうこと?」
「なんかスポーツやってるの?」
「どういう関係なわけ!?」
質問攻めである。うっすら予想はしていたが鬱陶しかった。とはいえ、愛が教室から離れない以上、教室から出るわけにも行かない。
「あー、まあ、学校は行ってるけど今日はサボりというか……仕事優先というか」
「仕事って、護衛がお仕事なわけ?」
「まあ、そうだよ」
「じゃあ、学校は?どこ行ってるの?」
「え、いや、綴編だけど」
そう言った途端、女子たちは一気に蓮から距離を取った。
「……マジ?」
「嘘ついてどうすんだよ」
「……行こ」
「うん」
女子どもは急に蓮の周りからいなくなってしまった。
「何だ?」
首を傾げる蓮のわき腹を、愛がつつく。何事かと思い振り向くと、耳打ちしてきた。
(昔、桜花院の女子生徒が綴編高校の生徒に襲われて、それ以来綴編は敵みたいな扱いなの)
ああ、なるほどな。蓮は納得した。
綴編の不良男子どもは、実は今ではまだマシになった方なのだ。昔、それこそ蓮が入学する前は、平気で犯罪を行うようなとんでもない高校だった。
それを、色々あって、理事長以下運営が変わったことで、学校は多少マシになったのである。蓮が入学したのはその頃なので、その前となると相当ヤバい時期だ。
「そりゃ、怖がったっておかしかないな」
「私も最初綴編って聞いてびっくりしたけど、でも、朝助けてくれたし……」
「道理であの担任の目がキツいわけだよ」
最初に職員室であった時の表情は、間違いなく敵を見る目だった。それはそういう背景があったからなんだろう。
そして、授業は始まったものの、隣で聞いている蓮は、あまりにも内容のレベルが高すぎて愕然としていた。
(……さっぱりなんだが……)
これが同じ高2の授業なのか。いや、蓮の場合はそもそも授業自体受けていないのでどうしようもないのだが。
彼の自習内容は、未だに中学3年生である。
意味不明な単語のオンパレードに、わかっていること前提で進む授業。多少聞いたことのある単語が出てくるのは、日本史くらいであり、その日本史もほとんどが聞いたことのない内容ばかりであった。
とりわけ訳が分からなかったのは、理科(化学)である。なんだ、molって。意味不明すぎて、魂が半分抜けていた。
幸いなのは、休み時間に誰も突っかかって来なかったことだ。綴編のブランドは、悪い意味で有効に働くらしい。
「……にしても、ほんと肝心のお嬢様と絡むことねえな、ここ」
「まあ、そもそも校舎からして違うしね……。あ、でも体育は一緒なんだよ」
「体育? なんで」
「多分、英才教育受けている人が多いから、じゃないかなあ」
「庶民相手の無双を楽しむってことか? 趣味悪っ」
「ど、どうなんだろうね……? あ、次体育だよ」
愛がそう言った途端、教室内の雰囲気が変わった。蓮の方をじろりと見ている。蓮は最初、何のことやらさっぱりだったが、愛が急に立ち上がって教室の外へと出た。
「……あ、着替えか」
合点のいった蓮は、同じくさっさと教室から出る。
女子トイレにて、愛が個室に入ると、蓮はその前によりかかった。ここならさすがに、誰かが襲ってきたところですぐに反応できる。
「ま、そりゃあ、男の俺がいりゃ着替えらんねえよな」
「普通はみんな、教室で着替えるんだけどね……」
衣擦れの音に少し心拍を上げながらも、蓮は周囲への警戒を怠らない。
2分もしないうちに彼女はジャージに着替えた。
「……あ、ジャージ」
「ん? どうかしたの?」
「いや、一昨日俺のジャージめちゃめちゃ汚れててよ。理由もわかんなかったんだけど……母さん洗ってくれたかな」
あとで確認の電話を入れよう。蓮はそう思った。
体育館に着くと、すでにお嬢様組は準備完了、といわんばかりに待ち構えていた。
今日の種目はバスケットボール。蓮はステージの上から眺めていたが、その実力差は圧倒的だった。さすが英才教育、と言ったところか。
だが、愛の運動神経もなかなかと言ったところである。お嬢さん相手に負けずに張り合っていた。シュートは入らないけど。
蓮が欠伸をしていると、不意にボールが目の前に飛んできた。それを、蓮は片手で受け止める。体育館が急にざわめいた。
「……なんだいきなり」
ボール越しにコートを見ると、見覚えのある金髪がこちらを見ていた。
平等院十華である。腰に手を当て、仁王立ちのように構えて蓮を見据えていた。
「紅羽蓮! あなた、立花さんの護衛という事は、さぞや運動が得意なのではなくて?」
「……まあ、人よりは得意だと思うけど」
「私と勝負しなさい! 1on1で勝負ですわ!」
びしっ、と蓮を指さす平等院に、周囲のお嬢様どもが歓声を上げる。
「……マジかよ?」
「大マジですわ。私、こう見えても国体候補なんですの」
ふふん、と豊満な胸を張る十華に、蓮はげんなりしながらもステージから降りた。
(まあ、適当にやりゃ満足するか?)
「じゃあ、ちょっとだけな。遊んでたなんて思われたら、安里に給料減らされちまうし」
「ハーフコートで、先に3点差つけた方の勝ちで。よろしくて?」
「はいはい、ハーフコートな」
そうして、蓮と十華はコートの中央より少し手前、スリーポイントラインのてっぺんに並んだ。
「先攻はお譲りしますわ」
「そりゃどうも」
蓮はもらったボールを一度つくと、じっとゴールを見る。周囲がどよめいたが、何の事かは気づかなかった。
そして、もう一度考えるように、ボールを地面についた。
「あっ」
けたたましい笛の音が、体育館に響いた。
「ダブルドリブルーーーーーーーっ!」
「……え?」
ふと、蓮は十華の方を見た。目の前で構える彼女は、あんぐりと口を開けている。
「……え、なんか反則なのか?」
蓮の言葉に、十華はわなわなと身体を震わせた。
「あ、あなた……まさか、バスケットのルール、知らないんですの!?」
「いや、ボールをゴールに入れりゃいいんだろ?それくらいは知ってるけど」
「ダブルドリブルは!? ボールは1回以上ドリブルして持ったら、後はドリブルしちゃいけないの、ご存じ!?」
「……そうなの? つーかダブルドリブルって、聞いたことあったけどそういう事か。知らんかったわ」
「……ま、まさか……トラベリングは?」
「なんだそれ?」
「マジですの!?」
十華の叫びが、体育館に響く。
お嬢様方が唖然とする中、愛は「あちゃあ……」と、頭を抱えていた。
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――――――小説をご覧いただきありがとうございます。
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愛「ホントにバスケのルール知らないの? 逆にバスケの何なら知ってる?」
蓮「えーと……【ディフェンスに定評のある池上】?」
十華「それ、漫画ぁっ!! しかもほとんどバスケ関係ないじゃない!」
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