12-Ⅰ ~お弁当屋に若社長~

 紅羽蓮は、がっくりうなだれながら、道を歩いていた。せっかくの休みで、家を出るつもりなどさらさらなかったというのに。

 きっかけは15分ほど前、そろそろお昼に差し掛かろうというころ。

 平和な紅羽家に、つんざくような悲鳴が響き渡った。


「あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」


 何事かと思って部屋から飛び出した紅羽三兄妹が見たのは、うつぶせになって倒れている母のみどりの姿であった。


「どうした!?」

「……こ……腰が……」


 母は涙目で、腰をさすっている。うつぶせになっている彼女の下には、段ボールがあった。試しに妹の亞里亞が段ボールを持とうとすると、途端に目が見開かれる。


「うわ、何コレ重っ!」

「あ?」


 力自慢の蓮が、その段ボールを持ち上げる。確かに、一般的な女性が持つには、相当重い代物だ。


「どうしたんだよこれ?」

「送られてきたから、運ぼうと思ったんだけど……」


 送り主は、「株式会社唐文とうぶん社」。そして、荷物は「書籍」だった。蓮と弟の翔は、嫌な予感に目を合わせる。


「……これってまさか……」

「親父の、か?」


 恐る恐る、段ボールを開ける。中には、漫画がぎっしり詰まっていた。本というのは、段ボールいっぱいに詰まっていると、重さ的に凶器と化す。

 そして、段ボールを開けた瞬間、全裸の女の子の絵と目が合った。蓮は無言で、段ボールの蓋を閉じる。閉じ際に見えたメモには、「献本」と書いてあった。

 速攻で父の部屋に段ボールを放り込むと、ため息をついてリビングに戻った。


「……昼飯、どうすんの?」

「お母さん、なんか準備してる?」

「してな~い……」


 ソファでうつぶせになった母が、力なく答えた。腰には湿布が貼られ、ジョンが家主のピンチをかぎつけたのか、心配そうに周りをウロウロしている。


「……じゃあ、なんか買ってこねえとな」

「愛さんのところで買ってくればいいんじゃない?」

「……だな。ちょっと行ってくるわ」

「お願いね~。私、カツカレー」

「結構ごついもん頼むね、お母さん」


 母と亞里亞のやり取りを聞き流しつつ、蓮は家を出た。そうしてやって来たのが、愛の家でもある「お弁当のたちばな」である。


「ちわっす」

「ん? あ、紅羽!」


 引き戸の店のドアを開けた蓮を待ち構えていたのは、褐色肌の背の高い女。木星からの留学生、エイミー・クレセンタである。どうやら、レジも担当するようになったらしい。


「どうした? こんなところに」

「弁当買いに来たに決まってんだろ」

「……言っとくが、愛なら探偵事務所でいないぞ?」

「知っとるわそんなん」


 その探偵事務所は、蓮のバイト先でもあるのだから。互いのシフトなど、当然把握している。

 母のオーダーであるカツカレーと、あとは適当。4つもあるとなると、作るのにちょっと時間がかかるようで、番号札をもらって店の中で待つ。番号札と言っても、店には蓮以外の客はいないわけだが。


 そして、10分くらいたっただろうか。スマホを眺めて時間を潰していた蓮だったが、引き戸が開く音に、ふと顔を上げる。


「いらっしゃいませー」


 エイミーが声をかけたのは、40代くらいの男だった。その後ろに、若い女性が控えている。二人ともスーツを着ているところを見るに、サラリーマンのお昼休憩だろうか。


(……営業かな。ここ、住宅街だし)


 男は店の中をじろりと見渡すと、今度はメニューを見やる。


「……この中で、すぐに作れるものはありますか」

「すぐに、ですか? でしたら、からあげ弁当などありますが」

「では、それで」


 番号札をもらって、男は待つ。そうしている間に、蓮の家の弁当が出来上がった。


「はい、お待ちどうさま」

「どーも」


 弁当を受け取ってドアを開けた時、蓮はぎょっとした。


「いっ!?」


 弁当屋の前、しかも住宅街に似合わぬ、長い車が止まっている。いわゆる、リムジンカーという奴だ。どうみても、あの男が乗ってきた車である。

 思わず男の方を見ると、ちょうどからあげ弁当を受け取っているところだった。


「ありがとうございまし……え?」


 弁当を手渡したエイミーも、変な声を上げる。

 男がなんと、エイミーの目の前でからあげ弁当を開け始めたのだ。


「はあ?」


 蓮も驚きを隠せない。男は袋から割り箸を取り出すと、それをじっと見やる。そして、エイミーに、割り箸を差し出した。


「え?」

「不要です」


 そして、スーツの内ポケットから、銀色の何かを取り出す。それは、マイ箸だった。


(……持ち歩いてんの?)


 蓮とエイミーが奇妙な目を向ける中、男はとうとう、出来立てのからあげを口に頬張る。じっくり味わうように、ゆっくりと咀嚼し始めた。


「……ふむ。ふむ……」


 黙々と食べ、やがて呑み込む。なんだか、声を出すことができない、異様な雰囲気があった。


「……わかりました。ありがとうございます」


 男は弁当に蓋をした。そして、その様子を呆然と見ていた蓮に手渡す。


「私はもう結構。あとは差し上げましょう」

「「……はぁ!?」」


 いきなり何を言い出すのか。蓮もエイミーも、驚きを隠せない。


「君は見たところ学生でしょう。食べ盛りですからね、遠慮せずにどうぞ」

「い、いや、ちょっと待てよ! そんな急に……」

「そ、そうだよ、ちょっと待って!」


 たまらずに飛び出してきたのは、レジのエイミーだ。背の高い彼女は、男に詰め寄る。


「うちの弁当が、食えないっての!?」

「そういう訳ではありません。一口食べて、レベルはわかりました」

「レベル!?」

「ど、どうしたね、エイミーちゃん?」


 騒ぎを聞きつけた、「お弁当のたちばな」店主、つまりは愛の父が、厨房から出てくる。男は店主を一瞥すると、一礼した。


「失礼。騒ぎにするつもりはなかったのですが」

「誰のせいだ、誰の!」


 エイミーの言葉を無視して、男は店主に名刺を差し出した。名刺を見た店主は、目を白黒させる。


「美味フーズの、社長さん……?」

美味真保よしみまさやすと申します。現在、先代であった父の代わりに社長に就任いたしました、その御挨拶の真っ最中でして」

「は、はあ……」

「先日平等院市議のお宅に伺った際、お嬢様にお会いしましてね。市議から、お弁当屋を営んでいると、伺ったものですから」

「それで、わざわざ……?」

「いえ、別件だったのですが、途中で見かけたもので」


 蓮もエイミーもいまいちピンと来なかったが、どうやら相当偉い人であるということは間違いない。リムジンもそうだが、店主の態度がかしこまっている。


「……な、何か、うちの弁当がお気に召さなかったでしょうか?」

「いいえ。美味しかったですよ。ただ、私のとは違う、それだけです」

「目指す、ところ?」

「……失礼。これから、ご挨拶に行く予定がありますので」


 ごちそうさまでした、そう言って、美味という男は店を出て行った。残された蓮とエイミー、そして店主は、ぽかんとしながら走り去るリムジンを見送る。


 蓮の持っていた弁当は、すっかり冷めてしまっていた。

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