2-Ⅲ ~紅羽蓮は、ネバネバが苦手である。~
「借用書、誰か持ってっちゃったみたいですね」
「あ?」
アジトの残り物を漁っていた蓮と安里は、彼に貸していたお金の借用書がないことに気づいていた。
「どうすんだよ、じゃあ」
「いや、別にあれコピーだしいいんですけどね。原本は事務所にあるし。それより、何かいいものありました?」
「いや、何もねえな。売れそうなもんはこれっぽっちもねえぞ」
「まあ、元々零細な組織だったので仕方ないですかねぇ」
「そんなとこに1000万も貸すなよ……」
そう蓮は言うが、この安里の悪趣味だけはどうしようもない。
「だって、面白いじゃないですか? 「悪の組織」にお金を貸す、って、なんかより悪っぽくありません?」
これが、安里最大の悪癖だ。元々実家が金持ちなのか、巨額の金をこいつは持っている。そしてそれを、無駄遣いすることが好きなのだ。
その一環として、こいつは「黒い足長おじさん」という活動を行っている。要するに、悪いことをする奴らに金を融資するのだ。
この結果はピンキリで、大量の金を回収することもあれば、今回のように突然消えて丸事パーになることもある。収支を安里は気にしていないが、それでもギリギリプラスだ。
おまけに、回収できないときには組織の技術やら人員やらを担保にするから、悪の組織の力が一点に集まっている。
今回消えた回収先は、いわゆる世界征服を企む怪人たちのコミュニティだったわけだ。そいう連中は血の気も多く、回収に来ても力づくで追い返そうとする。
そういうわけで、最強である蓮の出番というわけだ。
「……ダメだ。金になりそうなもんなんかないぞ」
「そっちもですか。こっちもです」
結局ひとしきり漁ったが、めぼしい収穫はない。
「お疲れさまです、帰りましょうか」
「そうだな。そろそろ帰ってもいいだろ」
蓮は腕時計をちらりと見た。時刻は19時50分。帰るころには20時を過ぎるので、問題ないだろう。
「それにしても、翔くんにお友達出来て良かったですねえ」
「……まさか、女ばっかりとは思わなかったけどな」
「ま、びっくりしますよねえ。ちなみに蓮さんは、女性を家に連れ込んだことは?」
「あるわけねえだろ」
蓮はぴしゃりと安里の額を叩くと、今度こそアジトを出た。
当然、こんな活動のことは家族はもちろん、愛にも言っていない。言えるわけがなかった。
***************
「あ、翔くんのお兄さん?」
「あん?」
土日で珍しくバイトが休みだった(残業が溜まっていたので無理やり振休にさせた)ので、図書館で勉強しようと思ったら、昨日見た顔が並んでいた。
「お前ら……」
「どうもー。こんにちは」
緑色の髪の子、確か、穂乃花だったか?
彼女が、ぺこりと頭を下げる。
「なんだ、アンタらも自習か?」
「ええ。そうなんです。……もしかして、お兄さんも?」
「まあ、そんなとこ」
「……たしか、この辺で一番の不良校なんでしょ? 勉強するの?」
橙髪の明日香が首を傾げる。多分悪気はないのだろうが、頭を掴んでやりたい気分になった。ちょうどいい位置に頭もあるし。
それをこらえて、蓮は「別にいいだろ」と返す。
それから4人は、別にはっきり言ったわけでもなく、一緒に勉強していた。目的も同じなのに、わざわざ顔見知りで離れるというのもどこか不自然だったのだ。
「……ねえ、これってどうやるんだっけ?」
「……わかんない。ねえ、コレの日本語訳は?」
「アイマイミーマインって何? 曖昧?」
蓮の隣で、3人は質問の応酬が繰り広げられている。
最初は無視していた蓮だが、だんだん気になって仕方なくなってきた。
(……こいつら、バカすぎないか?)
翔のクラスメイトという事は、通っている高校は第一高校なわけだ。そして、第一高校は地元の中学の成績トップが集まるような進学校である。
先ほどからちらちら聞いていれば、蓮でもわかるようなレベルの問題すら解けていない気がする。中1レベルの英語すらわかっていないのでは?
最初は「そんなこともあるか……」と思ってスルーしていた蓮も、桃髪の詩織が放った一言、「分数の割り算ってどうやるんだっけ?」は聞き捨てならなかった。
じろりと蓮が3人を見ると、どうやら3人も気づいたらしい。
ちらりと蓮を一瞥すると、3人そろって席を立ってしまった。
蓮はその様子を見やったが、すぐに自分の勉強に意識を集中させるうちに、3人のことは記憶から消えていた。
***************
図書館帰りに、なんとなく気になって蓮は「お弁当のたちばな」を訪れていた。夕飯時少し前だけあって、結構人がいる。店の前の駐車場も、一杯になっていた。
店に入ると、まばらながら人がいた。車に乗っていた人も含め、弁当待ちだろう。
「いらっしゃいませ……あ!」
ちょうど出来立ての弁当を持ってきた愛と、目が合う。彼女も今日は探偵事務所は休みだったのは、シフトを見て確認済みである。
「蓮さん? どうしたの?」
「……いや、晩飯、なくてよ。買いに来た」
嘘である。なんとなく会いに来た、というのが気恥ずかしすぎて、咄嗟に出たものだ。
「そう。じゃあ、ご注文どうぞ?」
「えー……じゃあ、これとこれ」
適当に目についた弁当と総菜を頼んだ。何のメニューかは気にしてもいない。
代金を払って席に着くと、蓮はちらりとカウンターでお弁当の受け渡しをしている愛を見た。
いつも見る制服姿とは違い、白い割烹着の上にエプロンを着けている。頭には三角巾を着けていて、なんだか新鮮であった。
「……さん、蓮さん!」
ぼーっと見つめていた蓮だったが、愛に呼ばれてはっとなる。
「な、なんだ? できた?」
「あの。……ちょっといいかな?」
愛に尋ねられ、蓮は首を傾げた。
そして、そのまま店の奥へと連れて行かれる。
「……ああ、君が紅羽くんだね」
店の奥の厨房前にて、小太りのおじさんが蓮の前に現れる。見覚えがあった。愛の父親だ。前に彼女の家が爆発したときに、蓮が救出したのだ。
そういえば、それから顔を合わせたことはなかった。彼らの看護は、安里たちが行っていたのだ。
「娘から聞いたよ。……私たちがいない間、愛を守ってくれたそうだね」
「あ、ああ。まあ」
「本当にありがとうよ。……大事な一人娘でね、何かあったらと思うとぞっとするよ」
そう言い、愛の父は蓮の手を何度も何度も握る。蓮はちらりと、愛の方を見た。
(どうしても会ってお礼を言いたいって、聞かなくて)
困ったように、愛は笑いながらささやいた。そういう事か、と蓮も納得する。
「いや、まあ、その……無事でよかったっす」
「本当になあ! 美味い弁当、用意するから待っててくれ」
愛の父はそう言い、厨房の奥へと引っ込んでいった。
「お父さん、キッチンの設備もよくなって上機嫌みたい。結構お客さんも戻ってきてるから」
「そっか。良かったじゃん」
「……うん。じゃあ、待ってて。すぐ用意するから」
愛もそう言って、店に戻っていってしまう。
そら、仕事中だものな。蓮も店の前の席でぼんやりと待っていた。
そして、待つこと5分ほどで、蓮の注文の弁当ができた。
「お待たせしました。ネバネバスタミナ弁当です!」
蓮の顔が引きつった。大量のオクラととろろそば、おまけにセットで納豆まで付いている。メニューをろくに見ずに、適当に決めたのがまずかった。
蓮は、ネバネバ系の食べ物が苦手なのだ。
キャンセルしようにも、目の前の愛の笑顔と、奥からちらりと見えたお父さんの顔を見たら、「やっぱキャンセルで」というわけにも行かない。
引きつったままの顔で受け取り、家に帰ってから激しく後悔した。
さらに後悔すべきは、愛がそれで蓮の好物がネバネバ系だと勘違いしたらしい。
探偵事務所で夕食を食べるとき、愛は上機嫌でキッチンに入っていった。
「なんかいいことあったんですかね?」
「さあ……」
安里に聞かれても、蓮にはさっぱりだったが、愛が出してきた料理を見て、蓮は愕然とした。
「できましたよ。納豆とオクラの和風スパゲッティです!」
「おお、美味しそう!」
安里が舌鼓を打つ中、蓮はちらりと愛の方を見た。
ものすごく、蓮のリアクションを楽しみにしている顔である。
「あれ、でも確か蓮さんってオクラとかにがっ」
安里が余計なことを言いそうになるのを、すかさず拳で制する。そして、意を決してスパゲッティをかきこんだ。
蓮の作戦は、「ネバネバを実感する前に食べる」だ。前の弁当も、それで半分は食べて、後は母に土下座して食べてもらった。
一瞬で食べ終わり、口を拭った。少しネバついていて、気を失いそうになる。
「……ごっそさん……」
「あ、お代わりもあるよ?」
蓮は目の前が真っ暗になった。
結局、探偵事務所のネバネバディナーはこの後3日続き、愛にネバネバ嫌いがバレることなく何とかやり過ごしたのだった。
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