11-ⅩⅩⅩⅦ ~長いお別れ~

「……ったく、最後の最後までこれかよ」

「頑張ってよ、男の子!」


 京華が茶化しているのは、蓮が苦い顔をしながら、大量の段ボールを抱えている姿だ。ついこの間こうやって、事務所に機材を運んで来たばかりの気もする。

 スタンドアップ・プロダクションの芸能事務所の移転作業に、紅羽蓮は駆り出されていた。理由は単純、考えうる限りで、一番力持ちだから。


「いやあ、しかし東京に舞い戻るとはねぇ! しかも六本木!」

「聞いた話だと、家賃、相当高いらしいよ」

「けっ。贅沢しやがって」


 舌打ちしながら、段ボールを車の後ろに積み込む。家具類などはトラックで送るが、機材などの精密機械を運ぶのは、さすがにトラックでは危険すぎる。なので、路場の車に積めるだけ積んで、運んでしまおうという作戦だ。


「それでは、私は先に行っています。東京で会いましょう」

「うん! プロデューサーも、気を付けてね!」

「はい。……では、紅羽さん」

「おう」

「……本当に、本当に。ありがとうございました」


 車の運転席で、動かし辛いだろうに。頭を下げて、路場は蓮に対し、最大限の敬意を払った。それに対し、蓮も手を挙げて応える。

 もう、彼と会うことはないだろう。というか、ないと思いたい。また彼が事務所に来るとき、それは芸能界の闇関連で、トラブルが起きた時だ。


「変な事件に巻き込まれるのは、もう、勘弁してくれな」

「……善処します。それでは」


 路場は助手席にも段ボールを乗せ、そのまま車を走らせる。心なしかのろのろと走る車は、絶対荷重積載量をオーバーしているので、警察に見つからないことを祈るばかりである。


「……この事務所も、長いようで、あっという間だったね」

「つーかほとんど来てねーだろお前ら。日本一周したり、合宿行ったりでよ」


 主にこの事務所を使っていたのは路場と社長の永井、そしてなぜか安里探偵事務所の面々だ。その内容は、デスクワークの手伝いである。


「別料金をもらっているとはいえ、結構疲れましたよ、主に目、肩、腰が」


 安里がそんな風に言うように、スタンドアップ・プロの仕事は、たった2人が回せる仕事では、到底なかった。バイトを雇う用意もなかったため、暇だった安里探偵事務所のメンバーが駆り出されていたのだ。事務所立ち上げの事情を知っていたこともある。おかげで愛は、エクセルとタッチタイピングが、かなり得意になっていた。



「……いやあ、それにしても、名残惜しいよ。蓮ちゃん、お役御免だもんね」

「おう。やっと肩の荷が下りるわ」


 肩をぐるぐる回しながら、蓮は息を吐いた。段ボール運びをしていたこともあるが、それだけではない。今までDCSとかかわったすべての苦労が、この肩こりに繋がっていた。


 脅迫状から始まり、護衛という名のマネージャー業。心の折れた香苗を立ち上がらせるわ、ばらばらになったメンバーをかき集めるわ、ライブを影から守るわ……。

 この件で蓮の気苦労は、本当に絶えなかった。


「……本当に、今まで、ありがとう。紅羽くんがいなかったら、私たち、こうしてアイドルなんて続けられなかったよ」


 アザミが珍しく、堂々と頭を下げる。クールな彼女の行動に、その場にいた全員が、少し面食らった。


「……なんだよ、いきなり」

「それだけのことをしたんだよ。蓮ちゃんはさあ。……あー、やっべ、泣きそう、私……」


 京華は瞳を潤ませると、手で顔を覆った。


「待って! 見ないで! 泣くときの私の顔、めっちゃブスだから!」

「……そんな悲しむことでもねーだろ。東京なんて、目と鼻の先じゃねーか」


 なんなら徒歩市の電車から、東京なんて30分くらいである。会おうと思えば、いつでも会える距離だ。


「別に二度と会えねえってわけでもねーのに。何を大げさな……」

「それでもお別れってのは悲しいもんなの!」

「そうかぁ?」

「そうだよ! ほら、かなっちもなんか言ってやってよ!」

「ええ?」


 香苗は困ったように笑いながら、蓮を見た。蓮は一番、納得がいかない顔をしている。


「……お前、家から通えるだろ!」

「こ、これを機に、一人暮らし頑張ってみよっかなあって! それに、またお父さんが転勤したりしても、東京に住んでれば問題ないし……」


 香苗の理論に、蓮は口を結ぶ。いくらでも反論できる余地はあるのだろうが、蓮にそんな頭の回転能力はなかった。


「……まーその、あれだ。親御さんに連絡はしてやれよ。ただでさえ心配かけてんだから」

「うん。そうする」


 香苗がうなずき、会話が止まる。少しの沈黙が、ビルの前に流れた。


「……じゃあ、行こうか」

「うん、そうだね」


 香苗たち3人と蓮は、そろってぞろぞろと歩き出した。

 ここでお別れ、ではない。別れは最後まで、名残惜しいもの。


 東京行きの電車に乗る。それが、彼女たちと蓮との、長いお別れの合図だ。


*******


「……じゃあ、元気でやれよ。精々な」

「最後まで素直じゃないんだからもう、そこは「バイバイ」でいいじゃないのさ」

「柄じゃねーんだよ、そーゆーの」


 改札前で、本当の、最後の別れの一言を交わす。帰ろうとする蓮を見やり、京華とアザミは、互いにアイコンタクトを取った。


「待った!」

「……まだ何かあるのか?」

「最後に! 親愛のハグ! さあ、カモン!」


 京華が、両手を広げて待ち構えるしぐさを取る。普通なら美少女、しかもアイドルとのハグなどご褒美なのだろうが、蓮にとってはいまいち、色気を感じなかった。


「……ま、いいか。ほれ」


 そう言い、蓮は京華と抱擁を交わす。本気で抱きしめるわけにもいかないので、そっと腰に手を当てる程度にとどめた。


「……ん」

「あ? お前も!?」


 京華から離れて、アザミも同様のポーズを取っているのを見て、蓮は眉をひそめた。コイツ、こんなキャラじゃないだろうに。


「……ったく……」


 ぶつくさと言いながらも、蓮は彼女の要求に応えた。少しだけこうして、離れた後、蓮の視線は、自然と残る一人に向く。


「……お前もか?」

「えっ?」


 突然のことでぼうっとしていた香苗は、何をどうしたらいいのかわからなかった。だが、いぶかしげな眼をしている蓮の横で、京華とアザミが目で訴えてきている。

 ――――――やっちまえ。

 そう言われている気がした。


「じ、じゃあ……」

「おう」


 香苗が両手を広げると、蓮はずかずかとパーソナルスペースに入り込む。その足取りは、心なしか二人の時よりも軽い。気心が知れているからだろうか。

 特に何をいう訳でもなく、蓮と香苗は抱き合っていた。やがて、香苗の方から、蓮と距離を取る。


 ――――――その足さばきは、蓮にとって馴染み深いものだ。


「おっ」


 後ろに下がった勢いと共に、香苗は右手を後ろに引いていた。こぶしを握り締めて。

 ――――――そして、こぶしを蓮に向かって突き出す。


 乾いた音を立てて、香苗のこぶしは受け止められた。


「……いいパンチだ」


 蓮が、こともなげに香苗の右ストレートを掴んでいる。大柄な路場も吹っ飛ばせるような香苗のパンチも、蓮には全く通じない。なぜなら彼は「最強」だから。


「こいつがありゃ、どこでだって、お前は大丈夫だろ」


 蓮の言葉に、香苗はふっと笑った。そして、今度こそ本当に、蓮から離れる。


「……行ってきます!」

「おう」


 香苗たちは、改札をくぐって、駅のホームへと向かっていく。その姿を見やり、蓮も踵を返した。


*******


 駅のホームにつながる、下り階段に差し掛かるとき、香苗はふと振り返った。まるで、後ろ髪をひかれるように。

 そして、見やる。


「蓮さん!」

「……お前、なんでこんなとこに」

「安里さんが、依頼の相談があるから呼んできてくれって」


 距離があるせいで、あまりはっきりと聞こえることはなかったが、確かに見た。

 探偵事務所にいた、女の子だ。彼女は、先ほど自分がためらった蓮との距離を、いとも簡単に詰めている。


「香苗? どうしたの?」

「あ。……ううん、なんでもない」


 アザミに呼ばれた香苗は、急ぎ足でホームを下りる。もう、電車が来る。急いで乗らないと、戻れなくなりそうで怖かったので、エスカレーターも歩いて降りた。


 エスカレーターの下からじゃ、もう、蓮の姿は見えない。


(……さようなら)


 心の中でお別れを言ったタイミングで、電車のドアが開いた。香苗は一切の迷いなく、車両の中に乗り込む。


 東京の天気予報は晴れ。夜になれば、星も輝くほどの快晴らしい。

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