4-ⅩⅩⅩⅤ ~抜歯!!~

「これで一安心ですね」

「ひっでえ……」


 虫歯の中の惨憺たる有様を見て、蓮はおえっと舌を出した。


 虫歯菌を鬱にして鎮静化させるなど、医学的にあり得ないだろうに。というかあいつら、みんなまとめて自殺しそうな雰囲気なんだが。


「まあ、歯の外で彼らは生きられないでしょうからね。抜く以上遅かれ早かれ死んでしまうことは確実なので」

「……ちっ」


 蓮は舌打ちするが、次の工程が残っている。とはいえ、蓮の出番はまだだ。


「次は、親知らずを露出させます。そのために、歯茎を切開する必要があるんですね」


 ニライカナイの親知らずは、歯茎に7割方埋まっていた。親知らずを抜くためには、歯をなるだけむき出しにしてから脱臼させ、一気に引き抜く手を使う。


 そのために、必要なものは。


「夢依。もう一つの……「ルノワール」を出してください」

「やあああああああああああっと俺の出番かヨ!?」


 やたらハイテンションなぬいぐるみが、夢依のフードの上でやいのやいのと騒いでいる。


「待ちくたびれたゼぇ! 斬りたくて斬りたくて仕方なかったんだヨォォォォォ!」

「はいはい。……じゃあ、夢依」

「う、うん。……「ルノワール」!」

「いよっしゃァァァァァァァアァァァァァ!!」


 そして、再び夢依はぬいぐるみに包まれた。

 だが先ほどとは異なり、彼女の等身が高くなる。さながら黒いジャケットにマントを、さらには黒のシルクハットという、まるでいつぞやの西洋の紳士たる姿だ。


「イイイイイイイイイーーーーーハアアアアアーーーーーーーー!!! 斬るぜ斬る斬るぜ斬るぜ斬るぜェェェェェェェェェェ!!!!」」


 ただ、中身は全く紳士とはかけ離れたそれみたいだが。それも安里の皮肉趣味なのかもしれない。


「……おい、どうしてあんな中身になったんだよ」

「いやあ、平成のジャックザリッパーと言われていた死刑囚の人格がちょっと混ざっちゃったのかもしれませんね」

「……ちょっと? あれで?」

「願望だけで実行に移さないだけまだマシですよ」


 それでいいのか……とも思ったが、そもそも実行に移したから死刑囚になるわけで。それなら、多少はマシ……なのか? と思わず思ってしまう蓮である。


「それじゃあ夢依、お願いしますよ」

「うん」

「行くぜェェェェ!」


 ルノワールが叫ぶと、袖部分が黒い刃へと変貌した。そして歯から飛び降りると、回転しながら落ちていく。切り刻むと言うからナイフ的なイメージだったが、実際の光景は黒い丸ノコのようにも見える。


 しばらくして、真っ赤な噴水が蓮たちのいる高さまで噴きあがった。さらに、明らかに歯茎であったろう肉片までまき散らしている。

 恐る恐る下を覗き込んでみると、まるで黒い刃の竜巻だ。それが甲高い笑い声を上げながら、歯茎の壁を削り取っていく。


「うわあ……」

「おー、こうやって見ると爽快感がありますねぇ」

「血と肉片さえなければな……」


 そう言いながら見下ろしていた蓮達だったが、5分も経った頃にはすっかり飽きて歯の上でスマホをいじっていた。なにしろただただ肉を切り刻んでいるだけだから、代わり映えがないのである。

 そうして、夢依が蓮たちのいる歯の上に戻ってきたのはそれから20分後だった。だが、先ほどのような軽快なジャンプではなく、巨大な手でぜえぜえ言いながらよじ登ってくる。


「あ、お帰りなさい」

「……あれ、元に戻ってる」


 返り血塗れの夢依は、何も言わなかった。だが、すさまじいほどの仏頂面が彼女の機嫌が悪いという事だけを鮮明に伝えてくれる。


「……何があったんだ?」

「……ルノワール、満足したら勝手に引っ込んじゃった」


 どうやら、刻むだけ刻み満足してしまったらしい。とんだ斬り刻みジャンキーだ。


「ま、しばらくはおとなしくしているでしょう。案だけ派手に斬ればね」

「しばらくって、どれくらいだよ?」

「3日くらい?」

「みじかっ!」


 ため息をついて、改めて下を覗き込む。

 どうやら親知らず周辺の歯茎はあらかた削られたようだ。先ほどまでは半分までしか見えなかった歯が、今はだいぶむき出しになっている。こうやって見ると、結構デカいのは間違いなかった。

 そして、刻まれた歯肉は大量の血とともに、歯茎一杯にたまっている。歯はまるで血の池に浮かぶ島のようだった。


「では、ここまでくれば、ようやく蓮さんの出番です」

「え、俺?」

「ここまで来といて、何の出番もないとお思いで?」

 

安里の指示を一通り聞いて、蓮は心底いやな顔をした。だがやらないと終わらない。蓮は口の入り口付近まで、助走の距離を取る。


 軽く伸脚をしてから、勢いよく走りだす。駆けだすスピードはどんどん上がり、一瞬で車並みのスピードにまで加速した。

 血の海の手前で、蓮は勢いのままジャンプし、空中で1回前宙を決める。


 そして、回転の勢いを足したまま、跳び蹴りの姿勢を取った。


「……うおらあああああああああああああああああああ!!!」


 本当は叫ぶ必要は全くない。だが、叫ばなければいけない気がした。この技を決めるときには。


 直前で寸止めし、勢いが大幅に殺された蹴りが、親知らずへと直撃する。親知らずは大きく傾き、下からブチブチと何かがちぎれる音がする。


 蹴りの勢いのまま後方へとジャンプし、蓮は安里たちの下へと戻ってきた。歯はどんどん傾き、血の湖の中へと沈んでいく。この様子だと、歯中にいた虫歯菌たちは、ことごとく血で溺れ死ぬだろう。


 本気で蹴るわけにはいかなかった。何しろ本気で蹴れば、歯を貫通してそのまま自分が血の海にドボンだ。


 そして、親知らずが完全に傾くとき、歯の根元らしき部分が見えた。どうやら蹴りの勢いで根元の歯茎ごと引きちぎってしまったらしい。


「あ、抜けちゃった」


 安里は倒れる歯を見ながら呟いた。

 安里曰く、蓮の跳び蹴りは歯を脱臼させるくらいを想定していたらしい。脱臼させた後に蓮たちは脱出し、ボーグマン・ギガントで歯を引っこ抜くくらいの算段だったのだ。


 そして、そういうくらいにとどめるのには理由がある。具体的には避難しておいた方がいい理由があったのだ。


 血の湖の水位がどんどん上がってくる。それどころか、はた目に見えるニライカナイの下も、みるみる赤黒い水に浸されていくのが見えた。

 そして、間欠泉のごとく、血が湖の底から噴きあがってくる。


「うわーーーーーーーーーーーーっ!」


 噴き出た血により、蓮たちのいる下の歯までの水位が見る見るうちに上がってくる。蓮は安里と夢依をひっつかむと、慌てて走り出した。


「ちょっとー、蓮さん勢い強すぎですよ」

「うるせえあれでも手加減したんだよ!」

「助走長すぎたんじゃない?」


 そんなことを言いあいながら、蓮は思い切り唇を踏んで、口の中から大ジャンプを決めた。


「グオバアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 蓮たちが脱出したと同時、ニライカナイの口から大量の血が溢れ、町へと降り注いだ。


 傍から見れば怪獣が突然吐血したように見えるだろう。だが、これはただ歯が抜けただけ、というのは、誰も知らないことであった。

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