1-Ⅳ ~安里探偵事務所への依頼人~

 結局、図書館に行っても大して勉強ははかどらなかった。結局午後の4時。もうバイトに行く時間である。


 蓮は図書館を出ると、再び駅へと歩いた。そこで電車に乗る。朝の混雑は何だったのかと思うくらいに、この時間の電車はすいていた。

 適当な席に座り、およそ2駅。朝に女の子を送った、桜花院女子高の最寄り駅に降りた。

 この駅周辺はなかなかに栄えており、今も学校終わりの学生を中心に、多くの人が歩いている。サラリーマンなどの仕事帰りが増えるのはもう少し先の時間帯だ。


 蓮は駅前のメインストリートを少し歩いたところで横道にそれる。それなりに大きい通りを歩くと、黒いビルがあった。

 白やグレーを基調とするビルの中で、黒いビルは悪目立ちをしていた。このビルの色はオーナーの趣味らしい。悪趣味だと蓮は思っている。


 1階には「唐揚げ・定食 おさき」という看板の店がある。蓮の行きつけの店だ。ただ、そこには入らず、その横のビルの入り口に入る。


 蓮のバイト先は、このビルの2階なのだ。


 わざわざエレベーターで行くような階でもないので、階段で登ると、「安里探偵事務所」と書かれたドアがあった。

 蓮は躊躇いなくそのドアを開ける。


「おはよっす」

「おはようございます」

「おはよう」


 そこにいたのは2人。


 黒髪に黒いスーツ姿で、新聞を眺める男。

 パソコンと向かいあう、おさげの緑髪の女。

 どちらも蓮と同世代と言えるほど若い。


 黒髪の男の名は、安里修一あさとしゅういち

 何を隠そうこの探偵事務所の所長であり、蓮をここにスカウトした張本人である。

 おさげ髪の女性の名は、朱部純あかべじゅん

 安里の相棒であるが、冷静沈着で常にポーカーフェイスの謎多き女性だ。

 蓮は所長の机の真正面にある応接スペースのソファに座ると、机に勉強道具を出した。


「おや、ここで勉強ですか? ここじゃ集中できないって言ってたのに」

「うるせえ、いつもの場所が使えなかったんだよ」

「あのプレハブ小屋がですか?」


 安里が、蓮の姿を新聞越しに眺めていう。この事務所での会話は、基本的にこの2人のやり取りが主だ。あとは、安里と朱部が少しで、依頼人が来ることは極僅か。探偵事務所なのに。だからこそ蓮も、堂々と客用の椅子と机で勉強しているわけだ。


「まあ、ソファをベッド代わりに使うよりかは有用ですけどね」


 安里が鼻で笑いながら、新聞に目を戻す。

 蓮は顔をしかめて安里の方を見た。

 ふと、安里の見ている新聞の紙面が目に入る。


「ブラジルでテロ組織壊滅……」

「ああ、このニュースですか」

「朝テレビで見たわ。あと、地震あったんだっけか」

「そうですねえ。うちは平気でしたけど」

「俺、気づかねえで寝てたんだよな」

「さすが蓮さん。震度6程度の地震なんぞではびくともしませんね」

「うっせえよ。……あ」


 蓮はふと、自分の足の汚れの事を思い出した。すっかり忘れていたのだ。


「そういやさぁ、朝起きたら足が汚れててよ」

「足?」

「なんでか知らんけど」

「寝ぼけてなんか蹴っ飛ばしたんじゃないですか?」

「んな、アホな……」


 あの部屋で、蓮が寝ぼけて蹴るようなものなど存在しない。


「なんか飛んできたのかもしれませんねえ」

「でもよ……」


 思い返してみても、窓なんて開けて寝てもいなかったはずだし。


「……いや、やっぱ開けてたかな」

「カラスでも飛んできたんじゃないですか? それで、寝ぼけて蹴り飛ばした、とか」


 そんな到底あり得ないような考えを巡らせていると。

 カチリと、事務所のドアノブをひねる音がした。


「あのー……」


 そうしておずおずと入ってきた姿に、蓮は見覚えがあった。


「「あ」」


 声を揃えて、彼女は蓮を指さす。

 黒いショートカットに、見覚えのあるえんじ色のブレザー。

 それは朝に運んだ、桜花院女子の女の子ではないか。


「いらっしゃい。……蓮さん、お知り合い?」

「おう、ちょっと」

「そうですか。まあ、座ってください」


 安里はそう言って、彼女を応接用の椅子に促す。蓮とは机を挟んで反対側だ。

 向かいに座った彼女と、蓮の視線がちらりと合う。蓮はどことなくいたたまれなくなって、ソファから立とうとした。

 だが、それを安里の声が制する。


「ちょっと蓮さん、どこ行くんですか」

「あん?いや、お前こそ早く座れよ」

「いや、座りますけど。蓮さんだって依頼人さんのお話は聞かないと」


 そう言い、安里は柔和な笑みを浮かべる。その笑顔には若干ながら陰があった。


(こいつ、人のリアクションで楽しんでやがる……!)


 しまった、と蓮は思った。よりにもよってこいつに見られてしまうとは。


 安里は探偵などという仕事をしているからか、人のわずかな感情の機微に聡い。そしてそれをネタに人をいじることが大好きなクソヤロウなのだ。


 弱みを一度握られれば、死ぬまでいじられる。


 蓮は観念し、座りなおした。安里もにっこりと、その隣に座る。


「さてさて、では改めて。当探偵事務所の所長をやっております。安里修一です」


 そう言い、安里は彼女に名刺を差し出した。黒い紙に白抜きの文字という、変わった名刺だ。


「あ、ありがとうございます」

「で、お名前は?」


「はい。立花愛たちばなあいと言います」


「……失礼ですが、桜花院女子の生徒さんですよね?」

「え、はい。そうですけど」


 愛が答えると、安里は彼女をじっと見つめる。

 彼女はその視線にやがて耐えられなくなったのか、蓮の方へと視線を変えた。


「あ、あの、あなたもここの所員さんなんですか?」

「お、おう。……これ」


 そう言って、蓮も名刺を差し出した。こっちはこっちで、赤い紙に白抜きの文字と言う変わった名刺だ。

 ここで働く際に、真っ先に作らされたものだ。ちなみにデザインは安里だが、色を決めたのは蓮である。


紅羽あかばれんさん……?」

「おう。……まあ、力仕事担当ってことで」


 鼻の頭を掻きながら、蓮は答えた。あまり彼女とは目を合わせようとしない。


「……蓮さん、仕事ですよ」

「わかってるよ」

「?」


 安里に小突かれ、蓮は愛を見据える。

 やれやれと息を付くと、安里は口を開いた。


「それで、ご依頼内容は?」


 安里の言葉に、愛の身体が強張る。

 顔色が一気に白くなり、眉が下がる。

 これだけでただ事ではないことは明白だ。


「……実は……」

「実は?」


 そこまで言いかけたところで。


 事務所の窓が割れる音と同時に、何かが彼女めがけて飛んでくる。

 彼女の顔面目掛けてまっすぐ飛んできた「もの」は、しかして彼女の顔面へと届くことはなかった。飛んできたと同時に、蓮が手を伸ばしてそれを掴んだからだ。


「おおー、ナイスキャッチ」


 安里は呑気に拍手している。


「……なんだこれ?」


 掴んだ物を、蓮は見やる。なんてことはない、ただの石ころだ。ちょうど投げやすいサイズの。だが、ただの石ころ、と言う時点で人の頭に当たろうものなら、どうなるかは想像に難くない。

 そして、安里探偵事務所が過去に石を投げられたことは初めてだ。


「……こいつは……」

「あ……っ、紅羽さん!? だ、大丈夫ですか!?」

「朱部さん」


 愛が蓮へ声をかけたのと、安里が朱部へ声をかけたのは同時だった。

 安里が言うよりも、朱部は動いていた。机の引き出しを開けたかと思えば、何かを取り出しながらすぐさま窓へと駆け寄る。


「……え、銃……!?」


 愛が驚くのも無理もなく、朱部が取り出したのは黒い拳銃だった。

 そして窓から手を伸ばし、表情一つ変えずに引き金を引く。

 パン、と乾いた音がして、何も聞こえなくなった。


「仕留めたわ」

「え!?」


 愛が慌てて窓から外を見ると、外では男が一人倒れていた。銃で撃たれたのか。


「え、あれ、え、え、血は……?」


 その男は遠目ながら、一切血を流していない。普通撃ち抜かれれば、どこかから出血するはずだが。


 いや、そもそもなんで銃なんて持っているのか?

 目を丸くする愛に、朱部が銃を見せる。


「麻酔銃よ」

「蓮さん。回収」

「あいよ」


 安里に指示された蓮は割れた窓から颯爽と飛び降りた。


「ええっ!?」


 愛は再び外を見る。ここ、2階なんですけど……。

 蓮は何事もないように男の肩に手を回して、事務所のあるビルの中へと入っていく。


(……な、何なの? この人たち……!)


 愛の混乱をよそに、安里と朱部は割れた窓ガラスを眺めていた。


「……とりあえずガムテと段ボールで何とかしましょうか」

「修理代は見積出して、あの男に請求でいいわね?」

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