13-Ⅸ ~真夜中の攻防~

 ――――――とても、奇妙な男だった。

 路地裏の街灯にうっすら照らされているだけなのだが、はっきりとわかる。まるで闇に、ぼうっと浮かんでいるようだ。


 そして、なんでかわからないがホワイトボードを持っている女の子。見たことはないが制服を着ているところから、女子高生であることがわかる。立ってはいるのだが、その目はぼうっとしており、口も半開きだ。まさに、心ここにあらずだ。


「――――――何してるんだイ、君。こんなところで」

「こっちのセリフだよ、オッサン」

「オッサンはひどくないかイ? 私、まだまだ若く見えると思うんだけどネ」


 言葉を交わしつつ、両雄は睨み合う。蓮からすれば、この男のやっていることは不審者以外の何物でもなかった。


「その女、なんかしたのか」

「……いや、何も?」

「嘘つけよ! 涎垂らして突っ立ってるとかおかしいだろ」

「涎?」


 ちらりと男が女子高生の方を見やる。……しかし、彼女は口こそ半開きなものの、よだれなど垂らしてはいない。


「なんだ、垂らしてないじゃないか―――――?」


 そう言い、振り向いた途端。

 男の腹を、蓮の足が貫通した。


「――――――いっ!?」


 状況に反して、驚いたのは蓮である。いくら彼だって、まさか人体を貫通するような威力の蹴りを放つつもりはなかった。


(そんな強く蹴ってねえぞ!? ……いや、っていうか……)


 蹴った手応え(足応え?)自体がない。突き破ったのではなく、すり抜けたようだ。


「……やれやれ、危ないじゃないカ君ィ。あれだネ、いわゆる、不良という奴だネ?」


 男はニヤリと笑うと、そのまま蓮との距離を詰める。そして、蓮の顔をじっと見たかと思えば、彼のブラウンの瞳が光った。


「――――――ここで見たものは、すべて忘れる」


 それから、5秒。互いに見つめ合い、沈黙が流れた。


「……アレ?」


 声を上げたのは男の方である。瞬きをして瞳の光が消えたと思えば、すぐさま、蓮から距離を取った。


「……何だよ、イケメン自慢か? この野郎」

「……っ!!」


 男は咄嗟に、蓮を突き飛ばした。「うおっ」とのけぞる蓮に対し、距離を取りざまに、身を引いて蹴りを放つ。蓮よりも身長が高く、すらりと長い脚はリーチがある。顔を後ろにそらしていても、蓮の顎をとらえるほどの射程だ。


「あぶねっ」


 矢のように伸びた蹴りだったが、しかし蓮の顎をとらえることはなかった。伸びた足を、蓮がすんでのところで掴んだのである。


「――――――何っ!?」


 同時、男の全身に嫌な汗が噴き出した。握られた足から、不快な圧力が身体に流れ込んでくる。

 蓮の掴んでいた足は、突然に消えた。黒い霧のようになり、蓮の手からするりと抜ける。一瞬のうちに、男の足は両方とも地についていた。


(……この男……!)


 男は顔に脂汗を滴らせながら、蓮をじっと見やる。

 当の蓮は、不機嫌そうに男を睨みつけている。だが、不用意に踏み込みはしなかった。男をさっき蹴った時の、すり抜けた感覚から、不用意に近づけずにいる。


(私の魅了チャームが、効かないとは……!!)


 今まで長い事生きてきたが、こんなことは、男にとって初めてである。魅了に対し、対策を講じてくる者は数知れずいれど、最初から一切効かないというのは、初めての経験だった。


((……コイツ、何者だ……!?))


 規格外の2人は、互いに内心では驚愕していたが、表情には見せなかった。目の前の相手に、動揺していると思われたくなかったのである。


******


「……待った!」

「あん?」


 こぶしを構える蓮に対し、男は掌を向けた。


「仮に君と今ここで事を構えるとしても、このまま続けるのはマズいと思わないかネ?」

「何言って……あ」


 男の言葉の意味を、蓮はちらりと視線をそらして理解した。

 男の影響だろう、ぼーっと突っ立っている女が、そこにいた。このまま仮に戦ったとしたら、彼女は逃げることもできない。


「ネ?」

「……ちっ。何しやがった、コイツに?」

「ちょっとお願いがあってネ……」


 彼女の持っていたホワイトボードを手に取ると、男は懐にしまった。

 そして。彼女の耳元に、ぼそりとささやく。


「――――――はい。わかりました」


 両省の言葉を吐くと同時、女子高生は突然、自分の服を脱ぎ始めた。


「はぁっ!?」


 慌てた蓮だが、彼女は止まらない。あっという間に、上着を脱ぎ捨て、上半身はインナーのブラのみになってしまう。さらには、ブラのホックにまで手をかけようとしていた。


「何やってんだ、お前!」


 慌てて蓮は、彼女の脱衣を止めようとする。彼女の手を押さえたと同時、男が路地裏の奥に逃げていくのが見えた。


「あ、待て! テメエ!」

「フハハハハッハハハ、さらば!」


 男はダッシュで逃げてしまい、あっという間にいなくなってしまった。蓮も、追いかけようと思えば追いかけることができたのだが、今なおブラのホックを外そうとしている女性を放っておくわけにもいかない。


「……やめろっつってんだろうが、このっ!」


 およそ女子高生らしからぬ力で、女性はブラを外そうとしていた。男としては役得なのかもしれないが、どう考えたって普通じゃない。だって、ものすごい鳥肌が立っている。12月の真夜中、気温は氷点下ではないものの、一桁台である。


 そうして、5分ほど膠着状態が続いていたところ、彼女の力が不意に緩んだ。


「……あれ?」


 女性のうつろだった目に、光が戻った。同時に、肌を刺すような寒さに、彼女の身体が大きく震える。


「……寒っ!? 何、え!? 私、なんで裸に……」


 そして、後ろで自分の手を握っている、とげとげした髪の男の存在に、一瞬遅れて気が付いた。


「――――――きゃああああああああああああああああっ!?」

「え」


 いきなり叫ばれてびっくりした蓮だったが、すぐさま状況を理解した。この状況は――――――!


「……っち、違う! 俺はそんなんじゃ……!!」

「嫌あああああ! 痴漢よおおおおおおおおっ!」


 泣き叫ぶ女性に、蓮はたじたじとなるほかない。弁明しようにも、状況的にはどう見ても蓮が彼女を無理やり脱がせたようにしか見えなかった。


「……だああああ、もう! 違うってぇのぉ!」


 叫びつつ、蓮も先ほどの男同様、猛ダッシュで路地裏から逃げ出した。

……逃げ出すしか、なかった。

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