2-Ⅶ ~蟲忍衆とは~

 痛烈な平手打ちの音が、部屋いっぱいに響いた。

 頬を抑えて、穂乃花がうずくまる。それを、詩織と明日香が正座して見ていた。


 穂乃花の前に立つのは、大柄な男である。黒い髪に鋭い目つき。だが顔つきはどこか華奢であり美しい女のようであった。筋肉質の体に違和感を感じるほどだ。


「……馬鹿な真似をしたな」

「……ご、ごめんなさい」

「手柄を焦ったか?」


 男は穂乃花をじっと見降ろす。その目にあるのは、静かに煮えたぎる怒りだ。


「……そ、それは……」

「お前は、あのままだと殺されていただろう。あの場にいた男は……おそらく、俺より強い」

「え、葉金はがね兄より!?」


 正座していた詩織が膝を伸ばす。葉金はがね、と呼ばれた男が睨むと、詩織は「ごめんなさい」と姿勢を正した。


「……今後は、個人行動の一切を禁ずる」

「ええ!?」

「でも、情報収集とかは、分担した方が……」


「先走るような奴らは、互いに見張らせなければならんだろう」


 葉金は、そう言うと踵を返した。


「どちらに?」

「長老衆への報告だ。現状、成果なしとな」


 葉金の言葉に、3人は顔を俯かせる。

 葉金は去り際、振り向かずにドアの前に立ち止まった。


「……お前たちの初任務だ、長老衆も期待している」


 3人は改めて正座し、葉金の背中を見つめる。


「……しっかりやれ、「蟲忍衆むしにんしゅう」としての自覚をもってな」

「「「はっ!」」」


 3人同時に頭を下げると同時に、葉金の姿はなくなっていた。


***************


「蟲忍衆?」


 事務所の掃除をしながら、蓮たちは穂乃花の正体について調べていた。


「ええ。クナイから調べてみたのと、愛さんの言っていたカマキリの霊ってやつですね。それで調べてみたら、それっぽいのがありましたよ」

「どうやって調べるんですか? そんなの」

「彼らに痛い目にあわされた悪の組織があるみたいで、そこの情報をちょっと」


 そのちょっとに、どれだけおぞましく冒涜的な過程があるかは、誰も突っ込まない。踏み込んだ先はそれこそ深淵だ。


「しっかし、聞いたことねえぞそんな奴ら」

「伊賀とか、甲賀とかならわかるんですけど」

「そんな有名じゃないみたいですねえ。全盛期は戦国時代みたいですが、江戸時代に太平の世となってからはだいぶ落ち込んだみたいです」


 パソコンにデータを入れたらしく、安里の後ろで全員でパソコンの画面を眺める。


「どうやら、特殊な訓練を受けることで、主に特殊な虫の霊を使えるようになるみたいですね。憑依だったり、変化だったり、色々できるみたいですよ」

「へえー」

「すごい人だと、蟲の霊を巨大なエネルギーとして扱えるみたいです。こうして見ると、結構な組織が蟲忍衆に滅ぼされているみたいですね」

「すごい人ね……」


 蓮は先ほどの赤い鎧をまとったやつを思い出す。穂乃花は正直そこまで強いとは思えないが、アイツは別格だろう。


「しかし、なんでまた俺たちを狙って……」


 そこまで言いかけて、蓮はやっぱりやめた。心当たりがありすぎるのだ。


「でも、こんなストレートに命狙ってくるのは初めてですね。はっはっは」

「笑い事じゃないですよ!?」


 我慢できずに愛が突っ込んだ。


「いや、まじめな話。僕、確かに恨まれたりはしてますけど、手を出そうものなら大変なことになるってことは、みんな知っているはずですからね」


 安里は椅子をくるりと回して、蓮の方を向く。


「……あ?」

「アザト・クローツェだけでも、結構その筋では有名なんですがね」


 なんか嫌な予感がする。


「おい、お前まさか……」

「アザト・クローツェには超・超・超強力なボディーガードが付いているんですよ」

「てめえ、まさか……!」


 安里の襟をひっつかんだ。


「人の名前勝手に……!」

「その名も……怪人レッドゾーン」


 蓮の手がぱっと離れ、その拳は後ろの壁に叩きつけられる。

 事務所の一面が、木っ端みじんに吹き飛んだ。


「あーあー、せっかく直したのに」

「……余計なことしやがって!」

「本名でやるわけないじゃないですか。僕だって通称なのに」


 そう言っている間に、後ろの空間は黒い板で覆われ、あっという間に見慣れたガラス張りの壁へと変貌する。


「じゃあ、あれか? あいつらの狙いは、俺かお前か、ってことか?」

「そうなんじゃないですか? 翔くんの知り合いだってことだし、同化してないから詳しくは分かりませんが」

「……ってことは、翔に近づいたのも……!?」

「さあ、僕にはわかりませんよ」


 安里が言うと同時、蓮は荷物をまとめて事務所を飛び出した。


「……行っちゃいましたね。ま、終わったころに連絡入れましょうか」

「あ、安里さんは大丈夫なんですか? 蓮さん、行っちゃいましたけど」

「ああ、大丈夫ですよ」


 愛の言葉に、安里はにこりと笑った。


「なので、夕飯作ってください。カレーがいいです」


***************


 猛ダッシュで家に帰ると、翔はリビングでくつろいでいた。


「翔! 無事か!?」

「兄さん?」


 蓮は翔に近づくと、あちこちをぺたぺたと触る。


「な、何何…?」

「なんか、体調が変とかないか? なんかされたとか……」

「な、何言ってんの?」


 どうやらなにもされていないらしい。ひとまず安心だ。


「いいか、翔。よく聞けよ」

「な、なにさ」


「あの女3人な。俺を狙ってるからお前は近づくな」


 翔が思い切り怪訝な顔をする。上手く伝わらなかったのだろうか?  蓮は首を傾げた。


「……どうしたの、兄さん」

「いや、だから!」

「男子校だから女っけないのは分かるけどさ。あんまり自意識過剰になるのも、どうかと思うよ?」


 逆に肩に手を置かれて諭されてしまった。完全に勘違いしている。

 いや、そもそも普通は「狙ってる」って言ったら、「好き」ってことか。


 訂正する前に、翔は自分の部屋へと引っ込んでしまった。


「……兄貴、カッコ悪」


 通りすがりの亞里亞に言葉で刺され、蓮はがっくりと肩を落とした。


 いずれにせよ、今夜からは寝ずの番をしないといけないだろう。

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