11-ⅩⅩ ~真犯人~

 違和感があった。いつもなら、こんなことは到底ありえないことである。


 目の前の三角形に触れても、どこにも移動先がない。それはつまり、自分の移動圏内に、三角形が一切ない――――――そういうことになる。


 怪人ティンダトロスの怪人としての表情は、うかがい知ることはできない。だが、彼は間違いなく動揺し、焦っていた。


 ふと、ティンダトロスは自分のいる空間にある、丸い時計を見やった。壁にかかっている時計は、午前8時を指し示している。


 目的地である徒歩ドームまでは従来通り、三角形を通して移動しようと考えていた。共犯者である高島の細工を含め、三角形を通して、大幅にショートカットをする。


 ――――――そして、夢咲香苗を、殺す。


 脅迫状を送っても、目の前で人を殺しても、彼女は決して夢を諦めてくれなかった。其れならばもう、殺してしまうほかない。


 本来の彼の性格ならば、そんなことは到底思わなかったろう。しかし、彼も無意識のうちに、怪人ティンダトロスに人格が引っ張られてしまっていた。


 元々、変身に慣れていたわけではない。今までの人生でも、怪人となってから変身したことなど、数えるほどしかない上に、ごく最近のことだった。


 ティンダトロスは知る由もなかったが、本来怪人となった者は、何よりもまず自我を保つところから始めなくてはならない。異業となることは肉体はもちろん、精神をも変質させてしまいやすいのだ。

 より強力な力を持つ怪人であるからこそ、力に呑まれ、我を見失う者は多い。悪の組織としては、力を持っていても命令を聞けない怪人は、扱いに困ってしまう。


 人知れず、彼は獣の狂暴性に引っ張られつつあったのだ。


「……仕方、ないな」


 ティンダトロスは人間の姿に戻ると、軍人時代から愛用している日本刀を持った。戦後の厳しい時代を、先達から譲られたこの刀とともに生きてきた。


 刀をカバンに隠してカモフラージュし、この街で唯一の三角形がある空間を出る。てきぱきと着替えていると、背後に人の気配がした。


「……あなた、本当に、行くんですか?」


 妻が、不安そうに尋ねてきた。ティンダトロスは、彼女ににこりと微笑む。


「――――――もう、止まれんのさ。わかっているだろう?」


 妻の小さい肩に手を置き、彼は玄関を出る。聴力がすぐれている彼には、妻が泣いている声が、わずかながらに聞こえていた。

 その雑音に耳をそむけて、外に出た。


 ―――――そして、ティンダトロスは、目を見開く。


「――――――よぉ」


 自分の目の前、住まいのある敷地の門――――――そこに、見知った顔が立っていた。とげとげした赤い髪の、目つきの悪い少年である。


「いつ出てくるかわかんなかったからさ。久しぶりに徹夜したよ。ねみぃ」


 欠伸をしながらも、少年はティンダトロスから目を離さない。


「……蓮……!」


 そして、ティンダトロスは彼の名前を知っていた。


「ビビったろ? 俺も正直ビビったわ。街中の三角形をなくすなんてよ」


 三角形、という言葉に、ティンダトロスの肩がピクリ、と震える。その言葉で反応するということは……。


「……やっぱり、アンタが犯人だったんだな」

「やっぱり?」


 正直なところ。


 香苗に対し脅迫状が来た、という時点で、すでに蓮の脳裏には彼の顔が浮かんでいた。

 香苗がアイドルをすることに対し、マイナスの感情を抱く者。蓮には、この事件を知った時から心当たりがあったのだ。


「……町中の三角形をなくすなど、一体どうやって……!」

「これだよ、これ」


 蓮がそう言って見せたものに、ティンダトロスは驚愕する。

 三角形、ではない。角がなく、丸まっている。

 つまり、街中の三角形の、角を丸くしたのか。

 これは、ティンダトロスとしては、三角形に当てはまらない。具体的には、明確な「角度」がないと、空間移動はできないのだ。


「ま、それはそれで大変だったみたいだけどな。……その点、は楽でいい」


 蓮が言っているのは、現在いる場所だ。敷地は丸く、建物もすべて、角がない。蓮の記憶が確かであれば、内装にもすべてに明確な角度はなく、丸くなっていたはずだ。


 そんな設計を考えるのは、まるで「角度」を必要以上に恐れているようではないか。


「あんた、子供好きだもんな。万が一、あのイヌッコロで、ケガなんかさせるわけにもいかねえ。……だから、そういう風に「設計」した」


 子供がたくさん集まるこの場所だ。保護者にも、「子供がケガをしないように」という理由で説明はつく。まさか、そのケガの元が自分だとは彼らも思うまい。


「……香苗ちゃんのライブは、もうすぐだろう? どいておくれ。時間がないんだ。瞬間移動ができないんだから」

「バカ言ってんじゃねえ。行かせるわけねえだろ」


 蓮の言葉に、強い怒りが宿った。それは、幼馴染を傷つけようとする者への、純粋な怒りだけではない。


 こその、彼への激しい怒りだった。


「――――――アンタは、ここでぶっ潰す!」


 こぶしの骨を鳴らしながら、蓮はすごんだ。その迫力に、ティンダトロスは、思わず尻餅をつきそうになる。


 だが、彼も引き下がるわけにはいかなかった。これはひとえに、香苗への愛のためでもある。


「――――――アの子の幸せノためにも、アイドルなんテものはヤメサセナケレバナラナイんダ……!」


 彼は、人間の姿から、再び怪人・ティンダトロスの姿へと変貌する。以前蓮が見た時よりも、その瞳は狂気をはらんでいた。

 しかして蓮は怪人を、一直線に睨みつける。


 愛と狂気が混じり、暴走寸前の恩師を。


「――――――ハゲた頭、冷やしてやるよ、!」


「いぬかい幼稚園」園長、犬飼いぬかい征史郎せいしろう


 ――――――彼こそが、3人の男を惨殺した怪人、ティンダトロス。その正体であった。


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