3-Ⅰ ~訃報~

「大体よお、手数料がどんどん高くなってんのが気に食わねえ」


 日付が変わり、蓮の怒りは、銀行強盗から銀行へと移り変わっている。


「この間上げたばっかりだろうが。なんでまた上げるんだよ」

「この間って言っても去年の事ですし、今回の増額だって事前に告知されてたでしょうに」


 冷ややかな目で笑うのは、安里探偵事務所の所長たる男、安里修一であった。家政婦さんが作ってくれたお昼のチャーハンを食べながらの一幕である。


「それに、そうしないと信金も維持が難しいんでしょう。今の時代、銀行だって存続は危ういんですから」

「つってもよ……」

「そもそも、そんなにお金、頻繁に下ろさなきゃいいんですよ。1回の手数料で引き出せるだけ引き出せば、トータルそんなにかからないんですから」


 蓮の一度の引き落とし額は、ほとんどが1万円、多くて2万ほどである。そんなちびちびと引き落とした結果、蓮のバイト代の数%はATMに呑まれていた。


「だって、一度に下ろしたらなんか、不安になるじゃん」

「そんなこと言って、ケチが裏目に出てますよ」

「うっせえわ」


 そう言って、蓮はふてくされてしまった。安里は困ったように笑う。こうなってしまうと頑固な男である蓮はなかなか機嫌が直らない。あくまで自分が相手だと。


 こういう時こそ、彼女の出番であった。


「どうしたの、蓮さん。むくれちゃってますけど?」

「銀行の事情に納得できないそうですよ」

「? それより、ほら。直し終わったよ」


 安里探偵事務所の家政婦として働く立花愛は、家事が得意である。


 実家が弁当屋なので料理はもちろん、洗濯、掃除、さらにはほつれた服の裁縫まで。さっきも昨日の強盗騒動できれいに穴が空いてしまった蓮のジャケットを直してもらっていた。


「おう。悪いな、直してもらっちまって」

「いいえ。お仕事ですから」


 そう言い、愛はぐいとジャケットを蓮に手渡す。蓮はジャケットに袖を通して、肩をまわしてみた。直してもサイズ等に問題はなさそうだ。


「助かった。おふくろに頼んだら、手が穴だらけになりかねねえからな」

「お裁縫、苦手なの? 蓮さんのお母さん」

「いや? ただ、トロいからケガしてんの気付かねえんだよ」


 以前母のみどりにアイロンがけを頼んだら、アイロンかけたて熱々のシャツを普通に手でならそうとしていた。慌てて止めたのだが、熱いことを忘れていたという。


 それでも、刃物を扱ったりとか料理はできるのだから驚きだ。


「そうなんだ……」

「だから助かったわ。もし帰って見せたら、「縫わせろ」ってうるさいしな」

「まあ、お役に立てて良かったよ」


 愛と話すだけで、蓮の機嫌は少しばかり良くなるので、安里としてはありがたい限りでいある。

 愛がいなかった時は、蓮のほとぼりが冷めるまでどこかに身を隠すか、勝手に出て行った蓮が戻ってくるのを待つしかなかったのだ。


(本当に、雇って良かったですねえ)


 安里はしみじみと、コーヒーを啜る。愛の淹れるコーヒーは、すっかり安里もお気に入りとなっていた。


 そうしみじみと、安里がコーヒーの余韻に浸っていた時だ。


 安里の携帯が鳴る。


「はい」


 安里はくるくると椅子を回転させながら、適当に「ええ」やら「はあ」やらと相槌を打っていた。


「なるほど。じゃあ、一度伺いますね」


 そう言って電話を切り、さっさと出かける支度を済ませてしまう。


「ちょっと出てきます。朱部さん、車」


「どこ行くんだよ?」

「ちょっとした会合です。蓮さんと愛さんはお留守番を」


 そう言って、安里と朱部は事務所から出て行ってしまった。


「……会合って?」

「知らねえ。俺だって全部に着いて行ってるわけじゃねえしな」


 安里が依頼もないのに出かけるとき。それは、大体が安里の「もう一つの顔」での活動の時だ。


 アザト・クローツェ。犯罪組織やら、世界征服を企む悪の組織に資金を融資する闇のスポンサーである。この活動をするとき、安里は決まってこの名前を名乗っていた。


 蓮は安里の融資の回収に付き添っていくことはあったが、こういった会合、というものにはどういうわけか連れて行かれたためしがない。別に行きたいわけでもないが。


「どーせ、ろくでもないことだろうよ」

「安里さん、変なことに巻き込まれないといいけど……」

「巻き込むことはあっても巻き込まれはねえよ、アイツに限って」


 そう言って蓮が応接用のソファに寝っ転がった瞬間、階段を駆け上がる音がした。


「? 忘れ物でもしたのかな」


 愛は首を傾げたが、ドアを勢い良く開けたのは異なる人物だ。


 下の唐揚げ定食屋、「おさき」のマスターのおじいさんである。


「あ、店長さん?」


 呼びかけて、蓮も愛も思わずぎょっとした。

 いつも穏やかな表情をしている店長が、真っ青な顔で息を切らしているのだ。


「……修一……さんは!?」

「たった今出かけたけど」

「何ですって!?」


 店長は慌ててスマホを取り出す。どうやら安里に連絡をしているようだが、どうにもつながらない。


「ダメか……! あの、紅羽さん、安里さんにかけてください!」

「え、俺? なんで?」

「あの方は、私の電話には出てくれないんです!」


 どういうことだ、とツッコミたいが、どうやらそれどころではないらしい。必死な表情に押され、蓮は安里に電話を掛けた。


 だが、出ない。さっき車に乗ったばかりだし、出てもおかしくないはずだが。


「……出ねえ」

「な、何かあったんですかね?」

「……いえ、おそらくは」


 店長はざっと事務所を見回した。そして、壁のカレンダーをちらりと見やる。


「……やはり、いましたか。私が頼んだのを見て、通話拒否されたんでしょう」


「……え?」

「ちょっと待て、店長、あんた「見てた」って……」

「紅羽さん、メールをお願いできますか。おそらく、あなたのメールなら一応ですが見てはもらえるでしょう」


 まあ、いいけど。蓮はそう言って、ラインを起動する。


 店長が伝えたいことを聞き、蓮と愛はぎょっとした。


 あまりのことに、言葉が出ない。

 だが、鬼気迫る表情に、ひとまず正気に戻ってメールを打ち込む。


 安里とのトーク画面に、短い一文が表示される。

 それは、入力した蓮本人ですら驚くべき内容であった。


『姉が交通事故で死んだ』


 外の雨の勢いが、突如として強まり始めていた。

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