12-ⅩⅩⅠ ~使える? 蕎麦打ちレクチャー~

「――――――と、いうわけで。僭越ながら、皆さんのお料理の手ほどきをさせていただきます。よろしくお願いいたします」


 ぺこり、と。老人は商店街飲食店組合の面々に対し、深々と頭を下げた。長年のサラリーマンとしての習慣か、礼などの仕草はいちいちピシッとしている。


「ど、どうも。よろしくお願いします」


「更科」の店主も、つられて頭を下げる。安里より「達人」を連れてくると言われ、身構えていたが、来たのは自分より年上、少し華奢なお爺さんだった。


「料理の主は異なりますが、そちらの基本も押さえておりますので。まずは、私の作った一杯を食べてみていただけますか?」

「ああ、はい」


 老人は慣れた手際で蕎麦を打つと、あっという間に一杯の温蕎麦を作る。


「いただきます」


 ずずず、と蕎麦を啜り、店主は驚愕した。とても即席で作ったものとは思えない味である。


「……美味い!」

「こんな老人の味で良ければ、お教えしますよ」

「……よろしくお願いします!」


 再び、先ほどよりも勢い良く頭を下げる店主に、老人はにこりと笑った。


******


「私に、「達人」役を……ですか」


 事務所からまた戻って来たかと思ったら、意外過ぎる頼みをしてきた元主人に、先田さきた龍之介りゅうのすけはぽかんとしていた。


「それも、蕎麦屋のですか」

「先田さん、貴方確か、蕎麦打てましたよね。去年、年越し蕎麦持ってきましたし」


 え、そうだったの? と、蓮は心の中で思った。去年、蓮はこの安里探偵事務所で年越しをしたのだ。あの時は、どこかから出前でも取ったのかと思っていたが、この人の手打ちか。いや、美味かったけど。


「確かに、あれは自分が打ったものですが……私のは、単なる年寄りの趣味道楽でして」

「その延長で店やっている人が何を言いますか」


 とはいえ、今の先田は唐揚げ定食屋。蕎麦屋に蕎麦を教えるというのは、いささかハードルが高いだろう。


「せめて、料理屋さんとしての心構えとか、そういうのを教えていただけると……」


 この男を安里に提案した愛が、おずおずと頼み込む。先田はふーむ、と腕を組んで考え始めた。


「まあ、坊ちゃんとそのご友人の頼みとあれば、私も協力させていただきます。……ちょっと今からお蕎麦を作ってみますので、食べてみてください」


 そう言い、先田はてきぱきと蕎麦を作り始める。なんで唐揚げ定食屋に蕎麦の材料があるのかと言えば、先ほどの通り年越し蕎麦を作ったりするからだ。ほかにもパン作りの設備など、よく見たら色んな料理を作れそうな環境は整っていた。


******


 先田が手打ちで蕎麦を作るときは、こんな風に作る。


 まず最初に、秤でそば粉やつなぎ粉を計量してボウルに入れる。加水用の水も計量しておき、材料の分量を計り終えたら蕎麦打ちに入る。まずは蕎麦の生地の用意だ。分量を量ったそば粉とつなぎ粉を、ボールなどに混ぜて入れて用意しておく。


 水を加える前に、ボウルに入れたそば粉とつなぎ粉に混ぜムラがでないように、指先でしっかり混ぜ合わせて、そば粉とつなぎ粉を均一に混ぜ合わせる。そこに最初の加水(水を加えること)をして、最初の加水量は全体の2/3程度の水を全体に均等に加える。


 水を加えたら両手の指先で粉と水を合わせていく。

水分の多い場所に周りの粉をかけて、水が粉全体に均一に回るようにする。

この時にはなるだけ粉を強く握ったりしないようにして、水分の多い部分と水分の少ない部分といった様に、粉全体の中でムラができてしまうからだ。

時々手のひらと手のひらで粉を擦りあわせて粉をもみほぐしておくことも忘れない。


 水回しがうまくいくと粉が粟粒状になる。


「おい、なんかパサパサだけどいいのか? これ」

「大丈夫です。この時点では粉が水分を含んでいても、まだ少しパサパサパラパラといった感じになるんですよ」


 蓮の問いかけに先田はにこやかに答えながら、次の工程に進んでいた。


 最初に加水をして残った水をすべて入れ、この時、全体にまんべんなく均一に振りかける。

 加水すると同時、先田は手で素早く全体を混ぜた。そうすると段々と粉のかたまりが大きくなってくる。


 そして、次は生地を練る工程だ。先田はちらりと、こちらを見やる。


「……良かったら、皆さんもやりますか?」

「え、いいんですか!?」

「ええ、構いませんよ」


 そんなわけで、急遽蓮たちも蕎麦づくりを手伝うことになる。参加するのは蓮、愛、朱部、夢依の4人だ。安里は「キャラじゃない」とパス。先田が露骨に寂しそうな顔をしていたが、安里は無視していた。


「粘土遊びの感覚でできますから。順番にこねていきましょう」


 ボウルに入った生地をこねていると、段々と生地にツヤが出てきた。


「あまり長時間こねていると手の温度で生地が温かくなってしまいますので、少しこねたら交代してくださいね」

「……おお、結構かてえ」

「ホントだ。私も、お蕎麦はさすがに初めてだから……」


 蓮も愛も、まるで職業体験のような気分で蕎麦生地をこねる。夢依も、まるで紙粘土のように、こねこねと生地で遊んでいた。ひとしきり蓮たちが生地をこね終えると、先田が最後にそば玉を整えていく。

 整え方は、まず一点に穴を集中させ三角錐の様な形を作る。次にボウルの中で生地の側面を押えながら生地を回転させて、表面を整えていった。

 ある程度穴が一点に集中したら、三角錐のてっぺんを手のひらで押さえながらつぶしていく。すると――――――。


「……思いのほか、小さいんですね?」


 ポツリと感想を述べたのは愛だった。先田が練り終わったという生地は、少し小さい円形である。ただし、その形は遠目から見ても、きれいに仕上がっていることは一目瞭然だ。


「ここからが、皆さんもテレビなんかで見たことあると思いますよ」


 先田はそう言い、打ち粉と麺棒を用意し始めた。いよいよ、蕎麦つくりっぽくなってきたと、全員が息を呑む。

 最初にテーブルに軽く打ち粉をふり、生地を手のひらで押しながら円形状のまま薄くしていく。均一な厚さでかつ、きれいな円形だ。直径約20cm程度だろうか、伸ばしたところで、先田はいよいよ麺棒を手に取る。

 生地に少々打ち粉を振ると、先田は円を麺棒で延ばし始めた。左手で生地を少しずつ回転させながら、彼は生地を伸ばしていく。そうすると、一回りしたころには一回り大きくきれいな円が出来上がっていた。

 次に、生地に打ち粉をふってから、麺棒に巻きつける。麺棒に生地を巻きつけたら、手前から上の方に、手の甲にほんの少し力を加えながら転がしていく。上まで行ったらまた戻して転がす、を、3~4回程度繰り返す。

 数回転がしたら180度回転させて生地を広げていく。その生地を再び麺棒に巻きつけてから、また同じく、麺棒に巻き付けて転がしていく、を繰り返す。

 転がして伸ばしたを90度回転させて広げると、円なのだが横が細って伸びている、奇妙な形になっていた。


「……なんか、どら焼きみてえな形だな?」

「ここから、また同じようにやって伸ばしていくんですよね?」

「その通りです」


 先田の言葉の通り、再び生地を麺棒に巻きつけて伸ばす作業が始まった。そこまでいくと、最初は円形だった生地が、ひし形になっている。先田は出来上がった生地を、麺棒できれいな四角形になるように延ばしていった。


「さてと。……では、いよいよ」


 先田はそう言うと、包丁を取り出した。いよいよ、麺を切る工程である。

 伸ばした生地の半分に、くっつき防止のためにたっぷりと打ち粉をふると、先田はまず、生地をたたみ始めた。

 上半分と下半分に重ね、その生地を3等分にたたむ。この時も生地の半分に打ち粉をふってから、いわゆる三つ折りにする。

 そして、いよいよ切る作業開始である。作業するまな板の上に軽く打ち粉をふり、まな板の上に打ち粉をふる訳は、ふった打ち粉の厚みで生地とまな板の間に隙間をつくるためであり、包丁で切った時の切り損じが出ないようにするためだ。


「本当はというものを使うと均等に切りやすいんですが、今回は手元にないので、手で切りますね。ちょっとばらついたらすみません」


 先田は口ではそういうものの、包丁で切る手さばきはさすがプロ。蓮の目から見たら、正直誤差などほとんどわからない。


「はい、これで麺は完成です。あとは、茹でていただくだけですね」

「「「おおおおおお……!」」」


 そうして、麺つゆにて茹でた先田の手打ちそばに、ありあわせの具材をトッピングしていく。てんぷら粉はさすがになかったので、急遽コロッケ蕎麦になった。


「はい、お待ちどうさま。コロッケ蕎麦です」


 間近で作られたそばを、蓮たちは啜る。


「……うっめぇ……!」


 あまりの美味さに、蓮は思わず声を洩らしてしまった。正直、「更科」の蕎麦など、比較にもならない。


「ホント、美味しい! このお蕎麦……!」


 愛も驚愕するほど、蕎麦の香りが豊かで、茹で具合か食感もばっちりであった。そして何より、一緒についているコロッケがめちゃくちゃ美味い。


「ははは、喜んでいただけて何よりですよ。……いかがですか? 坊ちゃん」

「……ん」


 先田の視線が、店のカウンター席の端っこで、無言で蕎麦を啜る安里に向く。


「……まあ、美味しいと思いますよ。僕も」

「ありがとうございます」


 そのやり取りの裏に、何があるのかは、蓮にはわからない。だが、なんとなくこの2人の関係を知っていると、察することがある。


「なあ、この蕎麦の作り方って、もしかして……」

「……ええ」


 先田はそれだけ言って頷き、黙々と蕎麦を啜る安里を見やっている。


 ――――――この手打ち蕎麦は、安里の実母、安里朝美から教わったものだったのである。

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