1-Ⅹ ~眠れない夜には話でも~

 事務所メンバーは全員、事務所で一晩を明かすこととなった。


 安里はビルの上にある安里個人の部屋で。蓮は事務所の応接スペースで。

 愛と朱部は一緒の部屋で眠る。


(…………眠れない)


 愛は身体を起こす。今も不安で仕方がない。手がわずかながら震えている。

 朱部が信頼できないわけではない。だが、今日はいろいろなことがありすぎたのだ。


 痴漢に触られ、石を投げられ、襲われ、家が燃やされ。今まで起こってきた出来事のなかでも、考えられる限り最大の不幸が一気に押し寄せるようで。


 これから、どうすればいいのか。また、誰かを巻き込んでしまうのか。


 そんな不安が、愛を怯えさせ続けている。


 眠れない愛は、こっそり部屋を出た。ビルから出るわけではない。が、のどが渇いたこともあり、2階の事務所に向かう。


 小さくノックして入ると、灯りはすっかり消えていた。暗くてよく見えない中、備え付けの冷蔵庫に向かう。


「……何してんだ、お前」

「ひゃっ!?」


 愛が驚いてスマホのライトをかざすと、そこには蓮が立っていた。


「お、起きてたの?」

「まあな。ベッドが違うと寝づらくてよ」

「……ちょっと、わかる」


 事務所の灯りを点けると、二人は揃って応接室のソファに腰かけた。手には冷蔵庫から取り出した、キンキンに冷えたお茶が握られている。


「眠れなくなりそうだね」

「そうか?」

「寝坊したらどうしよ。遅刻できないのに」

「ああ、内申に響くんだったか?」

「そうなの。普通科って厳しくって。先生もみんな特進科よりの人たちだから、私たち風当り強いんだよね」

「……大変なんだな。お嬢様校ってのも」

「紅羽さんは? 高校生でしょ? どこ?」

「俺か……」


 蓮は少しためらったが、観念したように口を開いた。


「……綴編」

「……え? 綴編?」

「おう。あの綴編だよ」

「うっそ、不良校じゃない!」


 愛は思わず声を荒げた。綴編の評価はこんなもんなのである。


 やれ、暴力事件を起こしただの、やれ、犯罪組織と繋がっているだの。様々な噂が飛び交い、そのいずれもが本当であるというトンデモ高校だ。


「やっぱり、学校の中をバイクで走ったりするの?」

「んな奴いねえよ。階段下りれないし」

「じゃあ、教室ごとに縄張りになってる、ってのは?」

「それはホント。……食いつきいいな、お前」

「なんだかんだで、結構気になるし……」


 それから蓮は、愛に不良校あるあるをぽつりぽつりと話し始めた。普通は綴編に通っていると言うと引かれるので言わないのだが、愛の食いつきはなかなかに良いため、ついつい口が滑る。


「それでよ、いっつも勉強の邪魔してくるやつがいて……」

「紅羽さん、勉強してるんだ」

「教師がビビって来ねえから自習だけどな。弟が頭いいから、兄貴として立つ瀬がなくてよ」

「兄弟かあ。いいなあ、私一人っ子だからなあ」

「碌なもんじゃねえぞ?妹なんか、受験生なのにゲームばっかりしやがって」

「その心配は、お兄ちゃんっていうかお父さんじゃない?」

「うち、オヤジいねえんだよ。単身赴任でアメリカ行ってて」

「アメリカ?すごいね」

「だから俺がオヤジの代わりみたいなもんだよ。おかげで俺にだけ冷たいんだよな」

「そ、そうなんだ……」


 愛にはその感覚はいまいちわからなかった。父はまじめに働いていたし、自分が言わなくても必要以上のお節介を焼いている、という感じはなかったけれども。


「……あの、安里さんの、「アレ」は、蓮さんも知ってたの?」

「あ? 「同化」のことか?」


 蓮の返事に、愛は頷いた。


「私、すごく驚いちゃったんだけど……。なんというか、驚こうにもスケールが大きすぎて、驚けないまま話が進んじゃったというか……」

「まあ、普通はビビるよなあ。アイツ、わざわざあんな調べ方しなくてもいいだろうに」

「そうなの?」

「あいつの「同化」な、触れればいいんだってよ。……大方、電車の映像もカメラじゃなくて、アイツが見たんだろうな」

「……え? カメラじゃないの?」

「電車の中にカメラなんてついてないだろ。あれ、多分アイツの目で見たのをそれっぽく映しただけだぞ」

「ど、どういうこと?」


 愛の様子に、蓮は溜息をついた。そりゃあ、安里の能力は到底すぐにわかるものでもない。蓮でも慣れるのに2週間はかかった。


「まあ、わかりやすい例だと……おっ」


 蓮は事務所のカーテンを開ける。外は真っ暗だった。

 だが、愛はその窓の違和感にすぐに気づいた。


「……あれ?ガラスが直ってる」


 愛が事務所に来た時に、最初に割られた窓ガラスが、何事もなかったかのように貼られていた。そこには割れた痕跡どころか、傷一つない。


「アイツ、直したこと言っとけばいいのに……」

「安里さんが、直した……?」


 愛はしばらく考え、やがてはっとしたように立ち上がった。


「……まさか、安里さんが「同化」して直したんですか……!?」 


「その通りですよ」


 突如として聞こえた安里の声に、愛はぱっと振り向いた。だが、そこには誰もいない。

 事務所の床が黒く変色し、そこから見覚えのある男の姿が現れた。

 上で寝ているはずの安里修一である。


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」

「まあまあ。眠れないんですか二人とも?」

「まあな」


 驚く愛とは対照的に、蓮はお茶を口に付ける。


「あ、安里さん、まさか……?」

「そりゃあ、僕、無機物とも「同化」できないなんて言ってないですし」

「それなんだよな。お前、いつ俺の乗ってる電車触ったんだよ」

「前に一緒に乗ったことあったじゃないですか。その時ですよ。あとはこっちから、朝の様子を「電車になっている僕」に思い出してもらったわけですね」

「……あの、ちょっと聞きたいんですけど」

「何ですか?」

「安里さんって、今まで行ったことがない場所ってありますか?」


 愛の問いかけに、安里はにっこりと笑った。


 つまりは、この世界において安里修一に覗けないものはないという事だ。

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