8-Ⅹ 〜オンボロホテルでの闘い〜

 女は裸のまま、首にナイフを向けている。その表情には余裕があった。恐らく、こういうことに慣れているんだろう。


「……た、助けて……!!」

「随分なお礼だな」


 ベッドから起き上がり、蓮は座って彼女たちを見据える。


「……宝石、持ってるはずよね。出しなさい」

「あ?」

「宝石よ。持ってるんでしょ?」


 蓮はちらりとニックを見た。だが、ニックは首を横に振っている。アイツが漏らしたわけでもないようだ。


「……知らねえけど」

「嘘言うんじゃないわよ! リチャードが持ってるって言ってたわ」

「私たち、これでも殺しとか平気でできるんだから。本気でやるわよ」


 女たちはニックの首のナイフを、首筋に強く当てる。薄皮が切れて、じんわりと血がにじみ出した。


「ひ、ひいいいいいいいいい!!」


 悲鳴を上げるニックを見やりつつ、蓮は頭を動かす。


 ――――――宝石って、涙のコハクの事だよな。


 それの事をなんでリチャードが知っているのか。そして、なんでそれを狙っているのか。知っているのは盗んだHと、蓮達だけのはずだが。

 ダニエルたちが話したのか?


「おい、聞いてるの!?」


 女が金切声のような声を上げる。

 そして、次の瞬間には、女の顔面に蓮の足の裏がめり込んでいた。


「――――――キーキー騒ぐなよ。うるせえな」


 女は派手に吹っ飛び、床に転がる。


「なっ……!!」


 咄嗟にもう一人がナイフを向けようとしたが、その瞬間にはもう、蓮の拳が腹に突き刺さる。


「……うげええええっ!」


 女は口から吐瀉物を噴き出しながら、倒れる。そうしたところで、ニックもやっと腰が抜けたようで、尻餅をつく。


「……おい」


 ゲロ吐いてうずくまっている女を蹴り飛ばし、蓮は彼女の髪を掴む。


「宝石の事、どうやって知った?」

「し、知らないわよ」


 蓮は女の腹に一発、蹴りを入れる。女の口いっぱいに胃液が溜まり、またも吐き出した。


「どうやって知った?」

「ほ、本当に知らないわ……! リチャードが、「アイツらなんかいい宝石持ってるな」って言ってて、取ってやろうと思って……」


 なるほど。二回もゲロ吐かせて同じこと言うってことは、本当なんだろう。


「なるほどな」


 蓮は彼女の首に手刀を当てると、女はそのまま白目をむいて気絶する。


「こ、殺したのか?」

「なわけねえだろ」


 女二人を引きずり、ベッドに寝かせる。片方の女性は鼻回りが血まみれになり、もう片方は口元に吐瀉物がこべりついて白目を剥いている。手加減はしたが、多分内臓のいずれかが内出血しているのだろう。腹に、青あざができていた。


 そして、この二人を改めて見て気づいたことがある。


「……こいつら、注射使ってやがる」


 恐らくは覚せい剤の類か。ダニエルもドラッグやってたって言ってたし。

 しかし、何とも不健康な。煙草もそうだが、吸ったりする奴の気が知れない。蓮の周りには学校の不良どもでも一部くらいしか吸う奴がいないので、煙草に対して良いイメージがなかった。


『蓮さん、彼女たちが知ってるとなると……』

(ああ、わかってるよ)


 イヤホンから聞こえる安里の声に、蓮は辟易しながら腕を伸ばす。


「おい、ニック。お前は服着て、隠れてろ」

「え?」

「……これからゴロゴロ連中が来るぞ」


 蓮はニックとHを、ベッドの下に押しやる。そして、女たちの横に座った。

 それと同時、ゴロツキ達が大勢、蓮たちのいる部屋に駆け込んできた。


「おう、やっぱり来たかあ」

「……宝石、あるんだろ? 出せよ」


 ナイフを構えて、男がにやつく。


「……リチャード、だっけ? あいつが何で宝石のこと知ってんだ?」

「知らねえよ! だが、お前らが宝石を持ってて、そいつを買い取ってくれるって話だぜ」


 ずかずかと蓮に向かってくる男は、ナイフの切っ先を蓮の目に向かって向ける。


「いいから、とっとと出せよ」

「まあそう言うなよ、お茶でも飲むか?」


 蓮は全く動じる様子もない。そして立ち上がると、男は彼の後ろにいる女たちを目撃する。


「なっ……!?」


 リチャードお抱えの女たちだったんだろう。彼女たちの惨い姿に、男は思わずひるんだ。

 そして、蓮はその隙を見逃さない。

 ナイフを持つ右の手首を掴むと、後ろ手にひねる。


「ああがっ!?」


 男がナイフを落としたと同時、それを拾って男の首筋、それもうなじのあたりに刃を突きつけた。


 目にもとまらぬ早業に、その場にいる全員が唖然とするしかない。


「あ……、あ……」


 男の方も、何が起こったのかもわからずに困惑している。ただ、蓮がナイフを押しこめば自分は死ぬ。それだけは、気配からビンビンに伝わってきた。


「……一応、聞きたいんだけどさ」

「な、何だよ!?」

「俺たちの空港のチケット取るって話、どうなってる?」

「そ、そんなもん取ってるわけねえだろ! 俺たちだって、そんな余裕ねえし!」

「ふーん。あっそう」


 まあ、こんなボロいホテルに押し込める時点で歓待、という感じではないわな。

 蓮はナイフを首から離してやると、代わりにナイフの柄で喉を突く。男は喉を押さえて、もだえ苦しんで倒れた。


「……さてと」


 蓮はゴロツキ達を見やった。どいつもこいつも、ナイフや武器を構えている。中には女もいるじゃないか。


 顔を潰した女の髪を掴むと、蓮は彼女を持ち上げた。それだけで、ゴロツキ達は動揺する。女相手でも容赦しない。そのメッセージが、彼女の血まみれの顔面に込められていたのだ。


「連れて帰ってくんない? ベッド取られて邪魔なんだわ」

「……て、てめえ!!」


 ゴロツキの何人かが、蓮と戦う姿勢を取る。

 仲間をやられたから、という義侠心だろうか。そんなもの、襲われたこっちには一切関係ないんだが。

 ナイフと鉄パイプの猛襲を、蓮は女で防ぐ。咄嗟に手が止まったゴロツキ達の一人に女を押し付けると、別の男の腹に前蹴りを入れる。


「ごはっ!」


 ゴロツキは、壁を何枚も突き破って吹っ飛ぶ。そして、3つほど隣の部屋の床に、背中から叩きつけられた。


「……マジかよ、壁うっす」


 蹴り飛ばした足をそのままにして、蓮はぽつりと呟いた。


 そして、男の持っていた鉄パイプを拾う。身構えるゴロツキ達だったが、蓮はそれを武器にすることはしない。


 代わりに、鉄パイプを両手で持つと、腕の力だけでぐにゃりとひん曲げる。


「なっ……!」


 連中の顔色が、一気に青ざめた。そりゃ、普通そんなことができる奴などいない。いたとしても、相当の力自慢が顔を真っ赤にしてようやくできるような芸当だ。少なくとも、「レイダーズ」ではリチャードですらこんなことはできない。


 それをこの男、顔色一つ変えずにやったのだ。


 それを投げ捨て、カランという音がする。


 それを皮切りに、ゴロツキ達は部屋からわっと逃げ出し始めた。


「おい、起きろお前」


 蓮は目の前に倒れている、さっき首を突いた奴を小突く。男はぼんやりと起き上がると、すぐに自分を見下ろしている蓮に気づいた。


「ひ、ひっ……」

「こいつと、あと向こうの部屋で伸びてるやつが一人。連れて帰ってくれ」


 そう言い、蓮は残っていた一人の女を抱えて、男に預ける。男は首を押さえながら、よろよろと壁に空いた穴に向かい、そして帰ってこなかった。

 蓮は両手を払うと、ベッドに寝転んだ。そして、ため息をつく。


「……もう出てきていいぞ?」


 蓮の声とともに、ニックとHがベッドの下から出てくる。あまりにも蓮が印象的だったせいか、誰も彼らの存在には気づかなかったようだ。


「き、君……」

「いやあ、お強いねえ」


 Hが拍手し、ニックはドン引きしている。蓮は欠伸をしながらも、目を閉じることはなかった。


「……でも、女に手を上げるのは感心しないな。男たるもの、紳士じゃなきゃ」

「知るかそんなもん」


 Hの言葉を、蓮はバッサリ切り捨てる。


「……こう言っちゃなんだけど、蓮って、結構野蛮だよね」

「あのな、一応殺さない程度には手加減してんだよ、こっちだって」

「手加減……?」


 ニックが首を傾げる。このリアクションもなんだか久しぶりだ。

 Hはにこやかに笑いながらも、明らかに蓮への警戒を強める。だが、それは身の危険より、女にも手を上げる卑劣漢としての警戒のようだ。


「ところでよ。……実際問題どうすんだ、これから」


 連中が空港の手配をしていないとなると、車も壊れて八方塞がりだ。手持ちの金でロスに行くという手もあるが。


「……リチャードの所、行くか?」

「え、殺されるぞ!」

「大丈夫だろ、死ぬとしたらあいつらの方だし」


 蓮は至極真面目に答える。まあ、殺すつもりはないが。少なくとも襲われたら完膚なきまでに叩きのめすくらいはすると思う。


「冗談じゃない、ただでさえ追われてるのに、罪状増やされたらたまらないよ」


 Hは困ったように肩を竦めて笑う。おどけてはいるが、おそらく切実なんだろう。


「……にしたって、話は付けなきゃなんねえだろ」

「だ、だったら俺も一緒に行くよ。一人でいるの、怖いし……」


 怯えるニックに、蓮は溜め息をついた。


「……じゃあ、一緒に行くか」


 怯えるその姿は、まるで子供のようだ。向こうの方が年上だろうに。

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