12-ⅩⅩⅢ ~極道と常務~

「……しくじったらしいな。あの女、まだ死んでねえと来てる」


 煙草を吸いながら窓を見やるサングラスの男は、いかにもな風体であった。高い身長、ストライプの入ったスーツを着て、顔には大きな傷がある。


「す、すいません。地紋ぢもんのアニキ」

「まあ、仕方ねえ。轢き逃げっていうのは一発勝負だ。上手く行かねえこともある」


 男のデスクの向こうで、若い衆がぺこぺこと頭を下げている。なんとも弱弱しいその様に、男はため息がこぼれた。


「……やっぱり昔とは、時代が違うな」


 地紋ぢもん龍三りゅうぞうは、子分に聞こえないようにぼそりと呟いた。


ヤクザの寅不倶会とらふぐかいがとある悪の組織に壊滅させられたと聞いたのは、いつの事だったか。あの組織とは同盟とはいかないものの、地紋の運営する「地紋組ぢもんぐみ」と不可侵協定を結ぶくらいの関係ではあったのだが。


「俺たちのやれることと言ったら、せこいシノギばかりか……」

「アニキ?」

「何でもねえ。もう行け。集金の時間だろ」

「へい」


 子分がいなくなると、地紋は椅子に深く座り、天井を見上げる。本来なら、カタギの女に手を出すなんていうのは、彼の性分に合わない。合わないのだが、仕方ない。


(このシノギがダメになれば、地紋組は終わりだ)


 本当にしょうもないのだが。人間、生きるためには矜持プライドも捨てなければならない。今まっで数々のシノギをこなしてきた地紋だったが、とうとう地紋組で残っているシノギは、今やっている一つだけになってしまった。


(しかもそれも、終わりが見えてきている)


 シノギに必要不可欠なピースが、外れようとしている。そうなれば、もう完全に終わりだ。必死に作り上げてきた居場所がなくなるのは、彼の望むところではない。だから、こうして必死になってしがみついている。

 ふとスマホを見やれば、大量の着信。あまりにも多すぎるので、もう無視していた。


「……「終わり」とさえ聞かなければ、終わりじゃないからな」


 何が何でも、俺たちは生き残ってやる。

 スマホをデスクの引き出しにしまうと、地紋はパソコンの画面に視線を移す。引き出しの中のスマホには、再び着信の表示が照らし出されていた。


******


「――――――ダメだ、出ん!」


 米浦よねうらは苛立ちを隠せないまま、スマホをポケットにしまった。こういった電話は、会社の電話ではできない。通話記録が残ってしまうからだ。

 社長室に続く廊下を、米浦は今日も歩いていた。ただし、今日は社長を探してではない。社長から、直々に呼び出されたのだ。

 その理由は、米浦にはすぐにわかっていた。


「――――――社長、米浦です」

「どうぞ」


 社長室のドアを開けると、そこには久しぶりに見た若社長の顔があった。直接顔を合わせるのは、実に1週間ぶりにもなろうか。

 そして、社長と一緒にいる人物。それは第二営業課長の早良さわらだった。


「……い、一体何の御用でしょうか。私も色々と、忙しいのですが」


 せめてもの強がり、この場にいる一番の年長者として、毅然きぜんとした態度を心がける。


「第二営業課の、加藤美恵さんの件です」

「ああ、加藤くんの。いたましい……事件でしたな」

「ええ、全くです」


 早良は同意しているように見えて、その視線に米浦への敬意など感じられなかった。


「――――――事件の現場は、ご存じですか?」

「ええ。社内通知で聞きました。まさか、かつて担当していた商店街にいたとは。まったく、もう担当ではないというのにねえ」


 そんなに、古巣が忘れられなかったのか。早良に対し流し目で、少しゆさぶってやろうという、悪い気持ちが働いた。


「まったく、自分の仕事をちゃんとしないであんなところにいるから、巻き込まれてしまうんですよ」


 それが墓穴だと気づいたのは、早良の表情を見たことによる。大声で怒鳴ったりしないものの、彼の拳は怒りに震えていた。最初は、部下をコントロールできないでいた、自分の至らなさゆえかと思っていたが。


「――――――彼女は、良くやってくれていました。営業も、目標通りの実績を出しています。職務上、一切の怠慢はなかった。それは、私が保証します」


 その怒りの矛先が、自分に向いているということに、米浦は一瞬気付かなかった。


「加藤くんたっての頼みで、商店街に行くことは私が許可を出していました。ちゃんと、社内のスケジュールにも入れるよう指示していましたし、事実彼女もそうしています」


 社長が、ノートPCの画面を米浦に見せる。それは、事件当日の彼女のスケジュール。どこに何時に行くか、予定が詳細に書かれていた。そして、朝の時間帯には、「てくてくロード」とはっきり書かれている。更新日も、事件の前日。つまり、誰も触っておらず、彼女が入力したものに間違いない。


「――――――そ、それであれば、私はなぜ呼び出されたんです?」

「おわかりになりませんか、米浦常務」


 若社長の声は、低く、そして、冷ややかだった。


「――――――は?」

「この事件のそもそもの原因が、わからないかと聞いているんです」

「……それは……」


 そんな事、わかっているに決まっている。伊達にサラリーマンを何十年もやっているわけじゃない。


「加藤さんは、ずっと心配していたんです。組織を改編してから、と」


 心配していたことを、彼女は上司である早良に相談した。そして、第二営業部としての業務に支障が出ないことを条件に、彼女にてくてくロードへの視察を許可したのである。


「この事件は、第一営業課の職務怠慢が原因で起こったものです! あの人たちがちゃんと引き継いで仕事してくれれば、彼女は事件の現場に行くことはなかった!」

「それは彼女が決めた事でしょう。第一営業課は、しっかり業務に従事しています」

「……予定と実績が、伴っていないように見えますがね」


 社長が見せてきたのは、とある第一営業課の社員の予定。それは、担当する大衆店への営業活動でびっちりと埋まっていた。


「彼が会社にいなかったことは、私も、他の方も見ていますよ」

「ええ、会社にはいませんでした。ね」


 じろりと、社長が反論する米浦を睨む。20歳近く年下とは思えない、凄みのある眼光だった。


「電話確認してみましたが、営業予定の大衆店には、彼は来ていませんでした」

「は?」

「そして、こちらです」


 ぴらりと、一枚の写真を、社長は米浦に見せた。そこには、パチンコ店から出てくる、社員の姿がある。


「……これは……」

「まさか、パチンコ店内で商談をしていたとは……言いませんね?」


 そんなこと言えるわけがない。米浦は叫びそうになるのを、ぐっとこらえるしかなかった。


「――――――今回の件、第一営業課長含め、事実上の第一営業部を管理しているあなたにも、しかるべき責任を負っていただきます。ひいては、3週間後の臨時株主総会の議題に上げますので、そのつもりでお願いいたします」


 以上です、退室してください、と言われ、米浦は何も言い返すことができず、一礼して社長室を去る。最後まで、早良の突き刺すような視線は、背中に刺さり続けていた。


(――――――クソ、クソッ、クソッ!)


 廊下を早歩きする米浦の頭の中は、若社長や若課長に対する憎悪に満ち満ちていた。

 こっちだって、まさか加藤くんがひき逃げに遭うなど、思いもよらなかったというのに! それを、第一営業課俺たちの怠慢だなどと、言いがかりを……!


 沸々と煮えたぎる怒りを隠せないままデスクに戻った米浦は、歯ぎしりしながら再び電話をかける。電話は、やはり出ない。

 米浦は、スマホを机に叩きつけた。

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