9-ⅩⅨ ~灼怨の嫉妬繊維~

 そうして、文化祭を迎える日は、着々と近づいていた。


 ――――――そんな、とある日の夜。


「ねえ、いいでしょう?」

「ダメよ、ダメダメ」

「そんなこと言わずに。ね? いいじゃないのぉ」


 一組の男女が、公園のベンチに座っている。男は女の手を撫でて、仕切りに彼女の目を見つめている。一方の女も、口ではそういうものの、男の太ももを撫でているあたり、まんざらでもないらしい。


 男は中年、女は若い。だが、誰が見てもカップルである、という事は分かる、それくらいの年齢だ。女の格好が多少派手であるところを見るに、水商売をしているであろうことがうかがえる。


「新しい指輪買ってあげるからさあ、ね? いいじゃない」

「……ダメよぉ」


 ちょっと女の方は揺らいでいる。男の誘いを受けるのは、時間の問題だろう。

 男には金があった。それは、女を繋ぎとめるかけがえのないアイテムである。男は今までも、これを駆使して様々な女性と関係を築いてきたのだ。


 ――――――逆に言えば、それがないと女性が自分に振り向いてくれないことも、彼にはわかっている。そしてそれでもと女性と付き合っていくうち、彼の内面にとある変化が訪れた。


 ――――――自分なんかに抱かれようとする女など、所詮は「あばずれ」だ。


 そう思えば思うほど、美しい女を金で口説き、行為に及ぶことに抵抗はなくなっていった。次第に、従来自分が持っていたはずの女性への恐怖感も薄らいでいく。


 目の前の美しい女も、そうだ。


「ああ、ダメ」


 そんな風に言いながらも、みずからの手を胸元に差し入れている。少しでも気分を良くしよう、男に抱かれるためのモチベーションをあげるために、自慰に耽っているに違いなかったのだった。


「いいじゃない、もう、ね?(いい加減にやらせろ、この淫売が!)」


 口では優しく、心の中では罵倒しながら、男は女の唇を奪う。舌を絡めながら、女に気取られない程度に、強く彼女の身体を掴んだ。小心者の男には、これが彼女にできる精一杯の暴力だった。


 そして、互いの手が、それぞれのズボン、スカートの中にまさぐり入った時、男は幸福の絶頂にいた。


 どんなに金があり、裕福な生活を送っていても、美しい異性によって導かれる性的オルガズムに勝る幸福はない。それが男の持論だ。


 そして、その男の幸福感は、強いH・F・Eを周囲にばらまく。


 男の座っていたベンチに、何かが近付くのに、多幸感で朦朧としている男は気づかなかった。


********


 翌朝、公園の周囲はにわかに騒がしかった。


「……こりゃ、ひでえな」


 黄色いテープによる規制線が引かれ、群がる野次馬をよそに、内側にいる警察の面々は、ホトケとなった被害者の様子に顔をしかめる。


「……何がどうなったらこうなるんだ」

「知りませんよ。しかも、こうなったとして、その場所はここだけと来てる。つまり、いきなり現れた、ってことになります」

「ふーむ……」


 年配の刑事が、頭を掻きながらあたりを見回す。


 あまりにも奇怪が過ぎる。この事件が事故ではなく、何か意図的なものによる殺人であるという事は間違いないだろう。


 だが、これは人間同士の殺人を担当する捜査一課には、いささか荷が重い事件だ。


「……怪特は?」

「もう少しかかるそうです。それまでは、現場を保存しつつ手掛かりを探しても構わないと」

「……そうか」


 刑事は遺体から、周囲へと視点を変える。


 怪特。警視庁捜査第5課、怪人犯罪特別対応課。人間の犯罪では到底あり得ない、「怪人」による犯罪を取り締まるための課だ。


 怪人という存在の社会の認知度は、世間のお偉いさんが思っているより高い。というか、街中であんなに大暴れしていて、気づかれないはずがない。


 世界の共通認識として、「怪人なんてものは存在しない」という、臭いものに蓋をする理論がまかり通るのは、その理論を押し通すジジババが健在だからだ。彼らがみな死んだころには、怪人は世間で、嘘偽りなく当たり前になるだろう。


 特に最近は怪特担当の事件が増えてきている。だが、こうして第一に現場に駆り出されるのは、矢面に立つ捜査一課だ。そしてそのたび自分達ではどうにもできない無力感を味わうことになるのが、歯がゆい。


「何かありましたか?」


 若い刑事に声を掛けられ、はっと我に返った。年を取ると、感慨にふけることがよくある。昔はそんなこと気にしても仕方ないと、がむしゃらにやって来たものだが。


「いや、何でもない。考え事だ」

「にしても、異様な事件ですよねえ」


 後輩の刑事は、おえっと舌を出して遺体へと視線を移す。


 2つの死体とベンチは、真っ黒に焼け爛れて一つになっていたのである。

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