2-ⅩⅥ ~完全敗北・その後~

 詩織たちが目を覚ましたのは、安里探偵事務所であった。

 彼女たちを見下ろす黒いシャツの男がいる。安里修一だ。


「どうも、こんばんは。……随分、派手にやられたみたいですね?」


「あなたは……うっ!」


 起き上がった詩織は、激痛に悶えた。とてもじゃないが、上半身すら起こせない。


「無理はいけませんよ。命に別状はないとはいえ、全身に火傷を負ってますからね」

「火傷……」


 火柱が自分めがけて落ちてくる光景を思い出し、詩織は咽せ、たまらず嘔吐する。


 安里が「おやおや」といって、タオルを持ってきた。


「……あなたが、助けてくれたんですか?」

「いいえ? 僕は場所を貸しているだけですよ。助けたのはあっち」


 安里が親指で示すと、


 そこには椅子に座って、うたたねしている紅羽蓮がいた。


「……お、お義兄さん?」

「自分が情報提供した手前、気になったんでしょうね。それで見に行ってみたら、焼け野原で倒れている皆さんを発見した、というわけで」

「そ、そうだ。他の二人は?」

「安心してください。無事ですよ」


 詩織はふと、横で眠っている2人の姿を見やった。安堵したのか、目から大粒の涙がこぼれる。

 安里はその様子を見て、寝落ちかけている蓮の頭をはたいた。


「ほら、起きてください。あなたが連れてきたんだから、面倒見てくれないと」

「んが?」


 口からよだれを垂らして、蓮は目を見開いた。


「……どうも」

「おう。起きたか」

「助けてくれたみたいで。……ありがとうございます」


 詩織は超小声でお礼を言った。翔の件でまだ禍根はあるのだが、掘り返すほどの体力もない。


「しかし、何があったんだよ? あれ、どう考えてもただ事じゃねえだろ」

「……そうですね。穂乃花が説明するのが一番なんでしょうけど、起きないみたいだし。私から話します」


 そうして、詩織はぽつぽつと話し始めた。紅鬼らしき怪物にすんなり勝ったこと、葉金が現れ襲ってきたこと、紅鬼は葉金による嘘だったこと、そして蟲忍衆の里を葉金が滅ぼしたらしいこと。最後に、葉金に挑んでコテンパンにされたことも付け加えた。


「……そいつはまあ、その、大変だったな……」


 あまりのことに、それしか言葉が出ない。詩織は布団を強く握りしめ、涙をこらえていた。悔しさなのか、怒りなのか、悲しみなのか。彼女の中でも整理できない感情が、心の中で渦巻いている。どういう感情なのか、わからなかった。


「蓮さん」


 安里が蓮の肩に手を置いた。目配せすると、二人は事務所の仮眠室を出た。


 詩織はとうとう我慢できなくなり、声も隠さずにむせび泣いた。


 蓮も安里も、彼女の涙に顔を俯けた。

 その表情は伺い知れない。


 それからほどなくして、ほか2人も目を覚ました。が、明日香と穂乃花も現実をうまく受け止められずにいるようで、しばらく茫然としていた。


「……よっぽど信じてたんだな、その、葉金ってやつの事」

「そりゃ、生まれた時から一緒だったし」

「ふーん。まあ、俺も親父とかの言う事、結構信じたりしてたしな」


 最も、その親への過度な信頼は、買い物で道を間違えまくる母のおかげで早々になくなったが。


「特に葉金兄は、何事も完璧にこなす人だったから。この人に着いて行けば間違いない、って、みんな勝手に思ってたのかもね」


「……例の蟲忍衆の集落、調べてみたら、数日前に大規模な火災があったみたいです。家屋は全焼、ほとんどが行方不明ですね……」


 安里が調査結果を詩織に見せると、彼女の顔色は明らかに悪くなった。


「……知り合い、いたんだろうな」

「そりゃそうでしょうよ」


「私たちは一番下の世代だったから、下の子はいないけど……面倒を見てくれた人とかは、いっぱいいたから」


「まあ、行方不明ってだけですからねえ。死んでない可能性もありますよ?」


 慰めってわけじゃないですけど。安里は付け加えた。そうならそうとはっきり言えばいいものを。


「……それで、お前らはこの後どうすんだよ?」

「……どうしたらいいんでしょうね。戻るところもなくなっちゃったし、そもそも任務もなくなっちゃったし。……せっかく、忍として認められると思ったのになあ……」


 再び、詩織の目から一筋の涙がこぼれる。


「……そこまでは俺だって責任持てねえよ。……ただ、まあ、そうだな」


 蓮は両手を組んで身体を伸ばしながら、首を鳴らした。


「……俺からすりゃ、お前らは忍者でも何でもねえ、ただの弟のダチだってことだよ。……お前はちとグレーだが」

「……翔くんの……?」


 翔の名前を出した途端に、目に光が差し始める。単純な奴である。蓮のささやかな嫌みも、意に介していないようだ。


「ま、アイツには迷惑かけっぱなしだからよ。だから、その、あれよ」


 ここで言い淀んでしまうのが、紅羽蓮と言う男である。詩織は思わず笑ってしまった。


「力になる、とか、素直に言えないんですか? お義兄さん」

「その呼び方やめろよな。他と違ってなんか怖いんだよ」

「翔くんだったら、何のためらいもなく「力になる」って言ってくれますよ?」

「……あー、アイツだったら言うわ。正義感強いもんなあ」

「だからお義兄さんはダメなんですよ。やっぱり翔くんだなあ」

「なんだテメー」


 そこまで言い、蓮は言葉を止めた。詩織は悲しそうな笑みを浮かべている。


「……お義兄さん、私のお願い、聞いてくれますか?」


 蓮は詩織の頭に手を置く。


「依頼なら受けるぞ。探偵だからな」


 詩織は言葉を返さず、蓮の手を払いのけた。かなり強めに。


***************


 多々良葉金は、まだ町に残っていた。誰もいないビルの屋上にて、ペットボトルの水を飲んでいる。

 ただ、ぼんやりと、目的もなく、町を眺めている。


 こんなことは、随分と久しぶりだ。今まで、何の目的もなくいる時間と言うのがまるでなかったからである。


 幼いころから修行に励み。任務に励み。はたまた後進の育成に励み。思い返せば、あっという間の22年である。


 蟲忍衆を滅ぼすという、最大の目的を達成した今、彼は抜け殻同然と言ってもよかった。これからどうやって生きるのか、それを極力考えないようにしていたから、と言うのもある。


(……俺はこれから、どうやって生きるべきか)


 喧騒をただ聞きながら、葉金は思考を鈍重にさせる。


 彼の蟲霊である百足が、心配そうに彼の周りをまわっていた。


(……心配するな、大丈夫だから)


 蟲霊に触れ、安心させる。そのまま、葉金は寝転がった。コンクリートの床だが、その硬さが心地よかった。


 空は、雲がまばらにかかる、青と白の模様のようで、なんだか見ていて可笑しくなる。


 不意に、自分の頬が緩んでいることに気が付いた。思えば、任務中に笑うことなどほとんどなかったのに、詩織たちと闘った時は、どういうわけかにやけが止まらなかった。


「……成長、していたなあ」


 それこそ赤ん坊のころから知っている彼女たちだ。まるで妹、下手すれば娘に感覚は近い。子供は子供どうしで暮らしていたから、実質葉金は父親代わりだった。


 そんな彼女たちは、逞しく成長していた。これほど嬉しいことはない。


 不意に、葉金のスマホに着信が入った。グループラインだ。

 見れば、詩織たちとのグループである。


『葉金兄さん、見ていますか?』

『私たちは生きています』

『とどめを刺すなら、夜にゴルフ場跡に来てください』

『私たちも、あなたを倒します』


 葉金は、笑みを浮かべた。


(やはり、生きていたか)


 そして、むくりと起き上がる。その俊敏さに、蟲霊が着いていけないほどだ。


 彼はビルの屋上から消えると、人ごみの中に消えていった。

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