第576話 肴は炙ったイカでいい〜


 代表の言い分はこうだった。


「休んでいた分、働いてもらう」


 確かにトラブルは完全復職していた。歩き方に多少のぎこちなさは残っているものの、バイクのAT車に乗り、何の問題もなく通勤している。


 しかし、優秀なスタッフ達は気が付いていた。


 テオの為に連れて行くと。


 元々、メンバー達が医務室にたむろしている光景は多くのスタッフが目撃していた。マネージャーが「また!」と、連れ戻しに行く姿も日常になっていた。


 トラブルが復職してから、その光景が変わった。


 テオだけが医務室に出入りしている。しかも自動昇降機付きの車を購入したと知り、誰もがその理由に思い当たった。


 噂にはなっていたが本当に代表公認だったとは。しかし、監督始め優秀なスタッフ達はそれ以上何も言わなかった。


 ただ1人、反旗はんきひるがえした者がいた。


 トラブル大好きユミちゃんだ。


「トラブルが行くなら私も行く!」


 会議室に乗り込んで来たユミちゃんに、ソヨンはオロオロとするばかりで、会社創設時の初期メンバーである古株ふるかぶユミちゃんを引き止められるスタッフはいなかった。


「ユミ! バカな事言うな!」

「誰がバカですって⁈」


 例のごとく代表と夫婦漫才が繰り広げられる。


「お前には、お前の仕事があるだろう! 練習生はどうするんだよ!」

「そっちはソヨンにやらせて!」

「お前なー。練習生達を裏切るのか⁈」

「裏切ってないわよ! ハゲ!」

「ハ、ハゲ⁈ ハゲてないぞ!」

「今にハゲるわよ!」

「お前なー。今まで信頼して顔を預けて来たんだぞ⁈ カメラテストもある時期にチーフメイクが抜けて、戻って来られると思うのか?」


 ユミちゃんもまた、プロ意識の高い優秀なスタッフの1人だった。


 仕事とプライベートトラブルを比べ、唇を噛んで代表をにらみながらではあるが仕事を選んだ。


「ああ、トラブル。やっと毎日逢える様になったのに、またお別れだなんて……私達の運命なのね。ああ!」


 毎日の様に、ユミちゃんの芝居掛かったセリフが社内のあちらこちらで聞かれ、その度に抱き付かれたり投げキッスに付き合わされるトラブルに、同情の目が向けられる。


 アイドルの恋人を同伴させるのは気分は良くないがメンタルの弱いテオの為だし、ユミちゃんが付いてくるよりはマシだ、が、共通認識となる。


 それにトラブルである。


 世話になっていない者はおらず、何か問題がぼっぱつしても『どうにかしろトラブル』を発動すれば、トラブルがどうにかしてくれると誰もが信頼していた。


 ハワイの長期撮影に向けて着々と準備が整って行く。






 いつもより早く宿舎に帰って来られた日の夜、テオはトラブルの家に泊まりに行き、ジョンはセスに勧められるまま日本酒を飲んで眠りに付き、ゼノはセスとノエルの長い晩酌に見切りをつけて部屋に引っ込んだ。


 久しぶりに酒飲みの2人になり、セスはイカをサッと直火であぶる。


 醤油にマヨネーズを添えて七味唐辛子を振り、ノエルの前に置いた。


「これ、七味? 珍しいね」

「ああ、日本から取り寄せた。美味いぞ」

「日本って唐辛子が辛いんだっけ。へー、一味じゃないんだー」

「イカで醤油とマヨネーズを混ぜて食ってみろ」


 ノエルはセスの言う通りにしてイカをしゃぶってみる。


「ん、美味し。あ! 辛い!」

「そこで焼酎を流し込むんだよ」

「うわ〜、いくらでも飲めちゃうよ」

「だろ? ハワイで新鮮なシーフードで作れば、おかずにもなる」

「セスが一軒家って提案したんだよねー? 料理担当になるって決まってるのに嫌じゃなかったの?」

「別に料理は嫌じゃないさ。作業風景は撮影しても面白くないし、暑い外では俺は日陰でジッとしているから。撮れ高確保だ」

「自分の為って事ねー。納得」


 ノエルはあぶったイカを口に入れる。


 セスはノエルがどこまで気付いているか気になっていた。この機会に聞いてみようと思い立つ。


「ノエル……」

「セスは全部分かっているの?」


 逆に聞かれ、セスは思わずうなずいた。


「結婚式はいつなの?」

「俺達がハワイに飛んだ翌日だ」

「彼女は白だったって事だね」

「ああ……お前、力が増したのか?」


 エンパスの力。


 それは人や物に共感して気持ちを知れる力。

(第2章第325話参照)


 しかし、ノエルは首を横に振った。


「ううん。代表がハワイの話を持って来た時にゼノを意識していたからさ。何だろうなぁって思ってたんだー」

「そうか……ゼノを忙しくして意識をもとおんなから遠ざける為と、帰って来た時に全てが終わっていれば諦めが付くと踏んだらしいな」

「ゼノが映画みたいに、式場に彼女を奪いに行くとは思えないけどねー」

「まあな。……代表はゼノを守る為なら何でもするさ」

「でも、トラブルは? 何で急にトラブルを連れて行くって言い出したのか分かる?」


 他意なく聞くノエルをセスは警戒した。


「……お前の考えは?」

「何で、そんなに身構えるの? 聞いちゃいけない理由があるの?」

「ノエル、俺をさぐるのは止めろ」

「探ってないけど……聞いちゃいけないなら聞かないよ」


 言ってしまおうか……セスの迷う心が流れ出てくる。


「セス? 僕が知らない方がいいなら別に……」


 ノエルは目を見て、そしてさとってしまった。


 セスは咄嗟とっさに目をらすが遅かった。後悔しても仕方がない。


「……そういう事だ」

「それを代表に話したの?」

「ああ」

「それってルール違反だよね?」

「分かってる」

「……でも、命を守る為に?」

「イム・ユンジュに不用意な妊娠は避けろと言われていただろ」

(第2章第259話参照)


 ノエルはもう一度セスの目を見る。


「セスには結末まで分かっているんだね」

「大体はな」

「それを早めようとしているの……」

「早めるつもりはないが、早まるだろうな」

「2人が別れたらセスも会えなくなるんだよ⁈」

「ああ」

「いいの⁈ だって、セス! セスはこんなにも……」


(こんなにもトラブルを愛しているのに)


 その言葉を飲み込む。

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