第323話 森の中の木葉


「何がトイレ掃除だ。テオ、見てみろ」


 セスの視線の先、トラブルの腕には注射のあとがハッキリと見て取れた。


「トラブル、これどうしたの? ケガ?」

「バカ。注射のあとだろ」

「注射? ああ、いつもの貧血の注射かー。何が問題なの? セス、トラブルを離してよ」

「新しい注射痕ちゅうしゃこんだ。トイレで隠れて打っていた理由わけを言え」

「隠れて⁈ ちょっとセス、離さないとトラブルが喋れないよ」

「口を読む。早く言え」


 トラブルはセスから逃れようと、セスの手首をつかみ返す。


「セス! 痛がっているよ! 離してよ!」


 テオもセスの腕をつかむ。


「セス、話を聞きましょう。離して下さい」


 ゼノが頼んでもセスは手を緩めない。


 セスの手に力が入り、トラブルの注射痕ちゅうしゃこんから血がにじみ出て来た。


 トラブルの顔が苦痛にゆがむ。


「血が! セス! 本当に止めて!」


 テオの悲鳴にも似た声を聞き、セスはトラブルの腕を放り投げる様に離した。


 トラブルは壁に背中を付けたまま、ズルズルと床に座り込む。


 にじみ出た血が腕を伝って流れ落ちた。


 ジョンはおびえてノエルの後ろに隠れる。ノエルはギュッと末っ子の手を握りしめた。


「血を止めないと!」


 テオはトラブルのリュックを探る。


 トラブルはテオの手からそれを奪い、アルコール綿を取り出して自分の腕から血液を拭き取った。絆創膏を貼り、上から指で押さえる。


「トラブル、大丈夫?」


 テオが話し掛けてもトラブルはセスから視線を外さなかった。


「セス、何のマネです? 説明して下さい」


 ゼノに言われ、セスは「お前が説明しろ」と、トラブルに向かい言う。


 トラブルは腕を押さえたまま、セスを見据みすえた。


「説明できないよな? 俺はな、真実しんじつの中の嘘も見抜けるんだよ。トイレは真実で、掃除は嘘だ。なぜ嘘をいた⁈」

「セス、めてよ。僕達が心配しない様に言ったんだよ。なんで、そんなに怒っているの?」


 テオは床に尻をつくトラブルを守る様に、セスの前に立つ。


 セスは、まるでテオが見えないかの様にトラブルを見下ろした。


「代表から、真実で真実を隠す方法を教わったんだろ? しっかりと教えてもらわなかったのか? 教わっていたのに、なぜ今、嘘をいた? 教わっていないと言うのか?」

「セス、何の話をしているの?」


 テオを無視してセスは続ける。


「答えろ。代表と話す時間はあったはずだ。俺対策を教わっていないとしたら、俺の、この違和感は何だ⁈」

「いったい、何の話を……」

「あれが、すべてだと言うのか⁈ 何も隠していないと⁈ そんなバカな!」

「セス⁈ どうしたって言うのさ!」

「答えろよ。答えてくれ……」


 セスは頭を抱えて、床に膝をついた。


 テオは恐る恐るセスの両肩に手を掛ける。


「セス、大丈夫?」


 セスは顔を上げ、テオの肩越しにトラブルの手話を読んだ。


「ああ、すまない……」


 テオは、ん?と、トラブルを振り返り「何か言った?」と、聞いた。


 トラブルは冷たい顔をして、セスを見ている。


「テオ。トラブルは『黙れ』って言ったよ」


 ジョンがトラブルの手話を読んで伝えた。


 トラブルの冷たい表情がジョンに向かう。


 ジョンは再びノエルの後ろに隠れた。


「黙れ? トラブル、セスは何を黙らなくちゃいけないの? 2人は何の話をしているの?」


 テオは不安な顔をトラブルに向ける。そのテオの後ろで、セスが手話をした。


「ん? セス、今、手話をした?」

「いや、していない」


 セスは、そう答えたが、テオはジッとセスを見て「今の嘘は、僕にも分かったよ」と、低く言う。


 テオは立ち上がった。


 床に座ったままのこわばった表情の2人を見下ろして、勇気を縛り出す。


「僕に聞かれたくない話なんだね。分かった。2人で話して。僕は平気だから」


 一息で言い、控え室を出ようとする。


(テオ……!)


 トラブルは壁に頭を付けたまま天を仰いだ。


(どうする……どうすれば、この場を取りつくろえる? 昨夜の事を言うわけにはいかない。セス、そこまで嘘に敏感に反応するなんて、なぜ……? 普段から、嘘をかれているわけではないのに。普段から……普段……)


「待て。待ってくれ」


 セスがテオを引き止めた。


「すまない。これは俺の問題なんだ。こいつは関係ない。ただ、前に相談していた事があって、それが解決していなくて……こいつに当たってしまった。こいつには守秘義務があるだろ? だから、黙れと言ったんだよ。俺がき出してしまうと、お前らに説明しなくてはならなくなるから……お前を追い出そうとしたんじゃないんだ」


 いつもクールなセスの、すがる様な顔を見てテオは言葉を和らげる。


「……分かった。でも、真実で真実を隠すって前にセスが言っていた事だよね? トラブルに何か隠されているの?」

(第2章第173話参照)


「いや、それは……」


 セスが言葉に詰まっていると、トラブルが指をパチンと鳴らした。


セス、あなたが本当の事を言われても嘘を感じる理由が説明出来るかもしれません。


「何⁈」

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