第145話 青い家とテオの絵


「皆んな、心配性でごめんね」


 テオは頭をかきながらエレベーターの中で謝った。


いいえ。 皆、休みだったのですね。


「うん、今年最後かもって代表に脅されたよ。リアルに怖いでしょ」


 トラブルは上を向いて笑う。


 エレベーターを降りるとトラブルは裏口へ向かった。


 建物を出る前に2人でヘルメットをかぶる。


 バイクは裏口の目の前に停めてあった。


 トラブルは人気ひとけのない事を確認してバイクにまたがり、エンジンをかける。


 テオを手招きして後ろに乗せてから、自分のベルトにつかまらせた。


 手話で、信号待ちで停車したら足を地面に付けて支えてほしいと、伝える。


 テオはヘルメットを揺らしてうなずく。


 バイクはゆっくりと宿舎を出発した。




 始めてのバイクは想像以上に楽しかった。見慣れた街も車とは景色が違う。


 風を感じて気持ちいいが、ソウル市内はすぐに信号に引っかかり停車する。それでもテオは周りをキョロキョロしながら楽しんだ。


 しばらく行くと漢江はんがん川沿いの幹線道路に入った。


 視界が広がり、トラブルはスピードを上げる。


 風を痛いくらいに感じながらテオは思わず声を上げた。


「最高ー!」


 トラブルはヘルメットの中で笑った。




 トラブルがスピードを緩めた。道路脇にバイクを停める。


「着いたの?」


 テオはバイクを降りてヘルメットを外す。


 トラブルもヘルメットを脱ぎ、リュックから1枚の絵を取り出して渡した。


「これ、僕があげた絵だ」


 トラブルは道路反対側のあしの林を指差す。


「え、何?」


 トラブルはぴょんっとジャンプして見せた。


 テオもマネをしてトラブルの指差す方角をジャンプして見る。


「あれ?」


 何度もジャンプしながらあしの向こうと自分の絵を見比べた。


 背の高いあしの向こうに青い屋根が見える。


「僕が車から見た青い屋根の家? この絵の? 漢江はんがんだったんだ。でも、なんで? この景色を僕に見せたかったの?」


 トラブルは、いいえと、絵をリュックにしまいヘルメットをかぶる。


 テオもそれに従い、トラブルはもう一度テオを後ろに乗せてあしの間の砂利道を下った。


 急に目の前が開け、青い家の全体が見える。


 トラブルがエンジンを停めるとテオはゆっくりとバイクを降りた。


 戸惑いながらヘルメットを脱いで家を見上げる。


 トラブルはこっちと手招きをして、青い家の青いドアに鍵を差し込んだ。


 ドアを持ち上げるようにして鍵を回す。


 カチン


 乾いた音を鳴らして鍵が開いた。


 あんぐりと口が開いたままのテオに、ドアを押さえて、どうぞと、お辞儀する。


 テオは口が開いたまま、恐る恐る家の中に入った。


 トラブルはドアを閉める。


「ここ……ここがトラブルの家?」


 まだ、目は暗さに慣れず、よく見えない。しかし、自分の絵は覚えている。


「僕がいた家を買ったの? ん?僕のいた絵がトラブルの家だったの?」


 トラブルは微笑んでうなずき、テオの絵を差し出した。


「これ、ずいぶん前にいたんだけど……え? ごめん、混乱して来た」


 トラブルは説明する。


あなたの部屋でこの絵を見つけた時、とても驚きました。あなたが一瞬、見ただけのこの景色をどうしてえがいたのか分かりませんが、私は運命のようなものを感じました。


 テオはそっと絵に触れ、そして少し辛そうに当時を思い出して聞かせた。


「これは……熱愛報道でマスコミから叩かれてて僕だけ皆んなと別行動をしていた時のだよ。スマホが鳴るのも怖くて電源切って……ずっと絵を描いていた。どうしてか分からないけど、心に残った景色だったんだよ」


その頃、この家は主人あるじを亡くして閉め切られたままでした。私がパク・ユンホに引き取られた時期です。もう一つ、見てもらいたい物があります。


 トラブルは1階の奥にテオを案内した。


 目は暗さに慣れ、テオは室内を見回しながら付いて行く。奥にはカメラやレンズ、三脚が所狭しと並んでいた。


「ここは、チェ・ジオンさんの仕事場?」


 トラブルはうなずき、壁の一角を指差す。


 そこには、2枚の写真が掛けられていた。


 つゆに濡れるスミレの花の写真と例の写真集の背表紙。(第2章第95話参照)


 トラブルはスミレの花の写真を指差す。


「これ……僕、これとそっくりな絵をいたよ」


あなたのスケッチブックでスミレの絵を見つけた時、見た事があると思いました。この写真はパク・ユンホが気に入り、彼から譲ってもらい寝室に飾っていました。構図と光の角度が同じです。まるで同じ花を見ながら、彼は写真を撮り、あなたはスケッチしたみたいです。


 テオの口は再び開く。しかし、目は隣の写真に吸い寄せられた。


「あ、トラブル」


 髪の長い女性の後ろ姿の写真を見て、テオは言った。


 トラブルは、よく私だと分かりましたねと、驚いて見せた。


 テオは写真から目を離さないまま「トラブルは後ろ姿がイイんだよ」と、微笑む。


 突然、フラッシュバックに襲われた。


 トラブルの周りで時間がさかのぼって行く。


 それは、恐ろしい記憶ではなく、テオの横顔がチェ・ジオンに変わり、新しい写真を壁に掛けながら「ミン・ジウは後ろ姿がいいんだ」と、こちらを向いて微笑む姿。


 チェ・ジオンの口が動く。声が聞こえない。


「……ル」


(え、何?)


「……ブル」


(私を呼んでいる?)


「トラブル!」


 チェ・ジオンの顔が消え、テオが肩をつかんでいた。


「トラブル、大丈夫⁈」


 テオはトラブルの肩を揺らしながら強い口調で言う。


 トラブルはテオの顔に焦点が合うまでまばたきを繰り返した。


 そして、ガバッと抱き付いた。

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