第52話 いい別れ


 ノエルに放り込まれたテオの部屋で、トラブルはカラフルな色の洪水に目の奥が痛くなる。


 床に座り、壁に寄り掛かった。


(寝不足だ……)


 目頭を押さえているとテオが「大丈夫?」と、顔を覗き込む。


 トラブルは、書くものをと、ジェスチャーで伝えた。


 テオはスケッチブックとペンを渡す。そのスケッチブックをめくると、絵が描いてあった。


 水彩画だ。


 淡い落ち着いた色調で、スミレの花が描かれている。


 次のページには、この部屋には似合わない優しくて寂しそうな草花。


 風景画もある。


 ふと、ページをめくるトラブルの手が止まった。


 その風景画には、風になびくあしの向こうにキラキラと川が描かれていた。その川辺に、青い小さな家が建っている。空は高く、薄い雲が流れている。


 トラブルはその絵をじっと見た。


 テオは「それは、清渓川チョンゲチョンです。車から見えた景色です」と、説明する。


 トラブルは何も言わない。ただ、絵を見ている。


「気に入ったならあげますよ」


 テオは黙ったままのトラブルに戸惑いながらもスケッチブックからその絵を切り離して渡した。


 トラブルは受け取らない。


「いいんです。……もう、会えないんでしょう?」


 ハッと顔を上げるトラブル。まっすぐテオを見た。


 テオもトラブルを見る。


 鏡もないのに、自分の目に自分が写っている不思議な感覚。


 テオがトラブルの頬に手を伸ばした。しかし、トラブルは逃げない。


 そして、音のない声で言う。


ごめんなさい。


「ううん。僕も人間関係は苦手だから何となくだけどトラブルの気持ちが分かるよ。僕は1人でご飯を食べられるほど強くはないけど、泣いてすがるほど弱くもないよ」


 トラブルは目をらして下を向く。


 テオはトラブルの首に手を回して引き寄せた。


 お互いの額をコツンと付ける。


「僕は……僕達は、パク先生にまた仕事を依頼出来るように頑張ります。 パク先生が撮りたいと思うようなグループになるように頑張ります。パク先生からお願いだから撮らせてくれと言われるまで頑張ります!」


 一瞬、頬を上げるトラブル。


 テオも微笑んだ。


「いい別れ方ですよね?」


 トラブルはうなずいた。そして、テオを抱き締める。


 テオは戸惑いながらも抱き締め返した。


(トラブルって、こんなに小さかったんだ……)


 早まる心臓の音が聞こえません様にと、祈る。





 トラブルが立ち上がった。


 テオは絵を拾って差し出す。トラブルは受け取った。





 2人が部屋を出ると、メンバー達が待ち構えていた。


 しかし、誰も何も言わない。


 トラブルはリュックを持ち、いつものようにペコッと頭を下げる。


 セスに手話を聞かせ、そして、出て行った。





「何で、謝るんだよ……」と、セスがすでに誰もいない玄関に向かってつぶやいた。


「僕にも謝っていました」


 テオは、大粒の涙をこぼしながら、しかし、笑顔で「僕は大丈夫。僕達は、いい別れ方をしたんだよ。だから、また会える」と、鼻をすする。


「テオ……」


 ノエルはテオを抱き締めた。

                   

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