第152話 死んだ男を見た


「僕の中に⁈」

「ああ。テオがあいつに複雑な思いをいだいたのは、本能的に自分でない男に抱き付いたと分かったからだ」


 セスは辛口の日本酒を舐める。


 ノエルにはセスの言う『テオの中』の意味が分からなかった。しかし、テオはに落ちたと力なく座り込む。


「僕……川原で “チェ・ジオン” って呼ばれた気がしたんだ。振り向いたらトラブルしかいなくて……気のせいかと思ったんだけど、トラブルが僕をそう呼んだのかもしれない」

「トラブルが喋ったの⁈」

「ノエル、違うよ。ただの気のせいなんだけど、トラブルが強く願ったのかも」


 セスはゆっくりと、今度は優しく語りかける。


「テオ。トラブルは家の絵と花の絵でお前の中に死んだ婚約者を見た。本当は泣きたかったはずだ。泣いて泣いて、それで完全に乗り越える儀式が終わるはずだったと思わないか? 今、あいつは誰かに抱き付いて泣きたい気分のまま1人で取り残されているんだ。俺に連絡してきたら楽勝でお前からトラブルを奪えるぞ。カン・ジフンに連絡していたらお前らは終わりだ。まあー、始まってもいないのに終わりもないか」


 最後は皮肉を込めて意地悪そうにグラスを飲み干した。


「どうしよう!」

「テオ、落ち着いて。全部セスの想像でしょ?」

「ノエル、違わないよ。クローゼットの中にチェ・ジオンさんのブーツが置いてあったんだ。忘れられるわけがないのに僕は話を聞いてあげる事もしなかった。トラブルに伝えないと。僕の中にチェ・ジオンさんがいても、いなくてもトラブルはトラブルで、全部引っくるめてトラブルなんだから。あー、なんで、あの時、『嫌な気分になった』とか『このブーツ誰の?』とか正直に言わなかったんだろうー。本当、僕はバカだよー」

「やっと気が付いたか」


 セスは新しい日本酒の蓋を開け、自分とゼノのグラスに注ぐ。


「テオ、ラインしてみたら?」

「ううん。ノエル、僕、トラブルの所に戻るよ。もう、一度話して来る」

「今から⁈」

「明日の朝には帰るよ」


 ノエルはリーダーのゼノを見る。テオが一度言い出したら自分では止められないと子供の頃から知っていた。


「明日はマネージャーが10時に迎えに来ますからね。それまでに必ず帰って来るのですよ」

「うん。分かった」


 当然、リーダーが止めてくれると思っていたノエルは驚きの声を上げる。


「ゼノ! 止めないの⁈ どうやって行くのさ、ゼノもセスも飲んじゃってるよ⁈」

「タクシーで行け。呼んでやる」

「セス!」

「ノエル、僕にノエルが必要なようにトラブルには僕が必要なんだ。大丈夫、もう、1人で考え込まないようにする。だから行かせて」

「……分かったよ、テオ」


 テオは幼い頃から自分を理解してくれる親友に笑顔を見せる。


 ノエルは腰に手を当てた。


「じゃあ、お泊りセットを作ろう」


 ノエルは気を取り直してテオの肩を押す。


「お泊りセット?」


 テオのタンスの引き出しを勝手に開けて遠慮なく手を突っ込んだ。


「下着でしょー、靴下でしょー、パジャマと、あとは何が必要?」

「ええっと、明日の着替えと、歯ブラシ、洗顔…… あ! コップとお箸! トラブルの家、何もないんだよ」


 テオがキッチンでコップと割り箸を鞄に入れていると、ゼノがお寿司を2人前、取り分けてくれていた。


「ありがとう、ゼノ」

「テオ、時間は必ず守るのですよ」

「うん、必ず」


 念をおすゼノにテオは強くうなずいた。その真剣な眼差しに、ゼノの不安は払拭ふっしょくされる。


「シンデレラみたいだね〜」


 その気の抜けた声にゼノが振り向くと、目をとろんとさせたジョンがニカッと笑っていた。


「わっ、ジョン! 真っ赤ですよ!」

「日本酒飲んでニホンザル〜。んふふ〜」


 どうりでグラスの減りが早かったわけだと、ゼノは天を仰ぐ。




「テオ、タクシーが来たぞ」


 セスがスマホを見ながら言った。


「うん。皆んな、ありがとう。行ってきます」


 テオが出て行くと、不安な顔のノエルを尻目に、ゼノとセスは日本酒を掲げて乾杯をした。




 テオは宿舎の前でタクシーに乗り込む。


 住所が分からないので記憶を頼りに道案内をした。幹線道路沿いのコンビニの手前でタクシーを降りる。


 あしの間に、家へと続く真っ暗な砂利道を見つけ、下って行った。


 青い家も真っ暗だった。


(寝ちゃったのかな……)


 テオは、意を決してドアをノックする。


 耳をすますが家の中に人の気配はない。テオは1階の窓をのぞいて回るが、やはり人の気配はない。


 ラインを送る。


 案の定、既読は付かなかった。


(どうしよう……バイクはあるけど……)

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