第31話 ユミちゃんとカン・ジフン


「昨日はご飯行けなかったのー。パク先生が具合悪くなっちゃったからって。連絡取れないのに」


 ユミちゃんがふくれていた。


「2月まで契約してるから、まだ会えるさ」と、代表がメンバー達の控え室に入って来た。


「お疲れ様でーす」

「2月までですか?」

「ああ。マネージャーはどこだ? 会議だぞ」

「はい、すぐに行きます」


 代表とマネージャーは出て行った。


「ソヨン」


 セスがメイクスタッフのソヨンを呼び止めた。


「手話が出来るんだな」

「あ、はい。弟は耳が聞こえなくて。家では、いつも手話を使っているのでトラブルにも手話で話しかけては叱られるんです。自分は聞こえているからって」

「トラブルって聞こえてるのに喋れないって不思議ね」


 ユミちゃんが首を傾げた。


 メンバー達に緊張が走るが、何も知らないソヨンが一般的にはと、説明をする。


「失声症だと思います。精神的ショックや脳の障害で引き起こります」

「どっちも違う気がするー」


 ユミちゃんが首を傾げていると、ソヨンが「脳の手術の後遺症でもあり得ます」と、補足した。


「えー、髪を染めた時キズなんかなかったわよ? ま、まだ会えるって分かったらイイわ」


ユミちゃんは浮かれた様子でメイク道具をしまい、2人は出て行った。


 ふーと、緊張が解ける。


「ユミちゃんに何か知ってるか聞かれなくて良かったー」


 胸をなで下ろすテオ。


「ソヨンさんは知識があるから、勘付いてしまうかも」


 ノエルは心配顔でリーダーのゼノを見た。


「2人共トラブルを傷つける事はしませんよ」


 ゼノは微笑んで自分を説得するように言う。


「それでも知られてはダメだ。トラブルが自分の言葉で自分で話すまでは」


 釘を刺すセスにうなずきつつ、ゼノは疑問を口にした。


「パク先生は何故トラブルの過去を私達に話したのでしょうね?」

「名前の由来を聞いたから?」

「聞いた人すべてに話したのかなぁ」

「みんなトラブルの名前が気にならないみたいだね」

「本名だと思ってる!……わけないか」


 ペロリと舌を出すジョンを無視して、セスが口を開く。


「パク先生は言いふらしてはいない。トラブルに興味を持つ人間が今まで、いなかったんだろうな。誰も名前を気にしないのは、誰とも関わらないから……」

「誰にも連絡先を知らせず、いつも1人ですもんね」

「でも、この現場は嫌がってないって」


 テオが明るく言う。ゼノもうなずいて同意した。


「カン・ジフンさんと食事に行ったようですし」

「ユミちゃんとも約束していたし」

「スゴイ舞台やったし!」

「僕達がいるから、大丈夫!」


 セス以外は、相変わらず無邪気だった。






 カン・ジフンは丸められたピクニックシートを肩に掛け、土手を下っていた。


 今日は風もなく暖かい。


(思いきって誘って良かった…… )


 後ろを振り返るとトラブルがついて来ていた。


 会社近くのこの川沿いの土手は、ソウルの喧騒けんそうを忘れさせる穴場だ。平日はサラリーマンがランチを、週末はカップルや家族連れがピクニックをしている。


 カン・ジフンはピクニックシートを広げてトラブルを座らせる。


 買ってきたホットドッグとトッポギを並べた。


 以前は、公園のベンチでダンスの練習をしながらのランチだったので、あまり話せなかった。というか自分に余裕がなかった。


「ここが1番のお気に入りなんだ」


 そう微笑んで見せても、ふーんと、トラブルはペットボトルの水を飲み、トッポギを口に入れて顔をしかめる。


「辛い? 甘辛いと思うんだけど」


 カン・ジフンも一口。


「あ、辛めだね。僕にはちょうどいいなぁ」


 首を振るトラブル。


「辛いの苦手?」


 少しと、ジェスチャーで言う。


「じゃあ、こっちを食べなよ」


 優しい笑顔でホットドッグを渡す。受け取りながら袋をのぞくトラブル。


「大丈夫、僕のもあるから。僕のはチーズ乗せだけどね。こっちがいい?」


 半分と、ジェスチャーで伝える。


「ん、じゃあ半分コしよう。わあ、チーズがたれちゃう!」


 トラブルが、あ〜んと、口で受ける。


「口の横についちゃってるよ」


 目を細めて笑うカン・ジフン。


 トラブルは指を舐め、相変わらずの無表情でホットドッグにかぶりつく。


 ゆっくりとした時間が流れていた。






「ちょっとー! 私のトラブルはどこよー!」


 ユミちゃんが倉庫で叫んでいた。


「カン・ジフンとメシに行ったよ」


 ソンが答える。


「なんで⁈ 私の約束が先なのにー!」


 知らねーよと、大道具たち。


「もー!」


 この件の被害者はテオだった。


 メイクもメイク落としも「まったく! 同じ顔しちゃってムカつく!」と、乱暴に扱われる。


「僕、何かした?」

「してない!」

「ひー!」


 テオはたまらず逃げ回る。


「あんたまで、私から逃げるの⁈」


 涙を流して笑うメンバー達。


「待て〜!」


 コットンを振り上げ、ユミちゃんはテオを追いかける。すると、誰かがユミちゃんの手首をつかんだ。


「トラブル!」


 トラブルがユミちゃんの手首を掴んでいた。


 ガバッとトラブルに抱きつくユミちゃん。トラブルの腰に手を回したまま見上げる。


 トラブルもユミちゃんを抱きしめたまま見下ろし、されるままで体を揺らす。


「もー。カン・ジフンとランチに行ったでしょう」


 トラブルは、ふくれるユミちゃんの腕を外し、テオを捕まえて鏡の前に座らせる。


 自分の頰を触り、メイク落としをと、伝えた。


「はーい」と、仕事の続きをするユミちゃん。


 トラブルは鏡の前に座り、それを見守った。


 テオは、されるがままに目を泳がせて鏡越しのメンバーとトラブルを交互に見る。


 ふと、トラブルがメンバーを見ていた。正確にはセスを見ている。


 セスと目が合うと手話をした。セスはそれに手話で返した。


「はい、終わり」


 ユミちゃんの言葉で我に返るテオ。


「今、何て言ったの?」と、トラブルを見る。


 唇に指を当て、シーとしたままユミちゃんと部屋を出て行ってしまった。


「何て言ったの?」


 テオは振り向いてセスに聞く。


 セスもトラブルの真似をして「しー」とする。


「教えてよー!」


 身もだえるその姿に、いつものように笑い合うメンバー達だった。


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