第32話 遠隔診療


「おはようございまーす」


 メンバー達がメイク室に入って来た。


 今日の仕事は歌謡祭の歌合せだけだがパク・ユンホのカメラがいつ現れるか分からないので簡単なメイクをほどこしてもらう。


「おっはよー!」


 ユミちゃんの機嫌がすこぶる良い。


「昨日はトラブルと食事に行けたのですか?」

「ううん、トラブルは夕飯を食べないから」

「え、そうなのですか?」

「そうよ」


 なぜか自慢気に言う。


「最近、パク先生が不摂生だから早く帰らなくてはならないのよ」


 大変なのと、自分の事のように手をパタパタとさせた。


「その割には機嫌がいいねー」


 ノエルはユミちゃんの顔をのぞき込む。


 ユミちゃんは、んふふ〜と、思い出し笑いをしてみせた。


「トラブルがね、バイクで送ってくれたの〜!」

「え!」


 メンバー始め、部屋中のスタッフが驚いて振り向く。


 その反応にユミちゃんの機嫌はさらに良くなった。


「私のヘルメットを買っておいてくれたの。腕時計のお礼だって。もー、そんな事しなくていいのにねー」


 まんざらでもないと満面の笑みだ。


「あ、噂をすれば。ユミちゃん、彼氏ですよ」


 ソヨンが窓の下を指差す。


 トラブルがいつものバイクで駐車場に入って来る所だった。


「彼氏だなんて、そんなー」


 両手を頰にあて、照れながらも窓から身を乗り出して「トラブル、おはよー!」と、手を振る。


 ヘルメットを外したトラブルは声のする方角を見上げ、手を上げた。


 ユミちゃんだけでなく「キャー」と、黄色い歓声を飛ばす女子達。


「僕達より人気があるかも」


 ノエルは苦笑いをしながら髪をかき上げた。


「今日はランチに行けるのですか?」


 ソヨンが聞く。


「ううん。今日は新しい機材が入るから忙しいんだって、時間がよめないから約束しなかったわ」


 ユミちゃんの顔は完全に彼女気取りだった。




 トラブルはパクが来ない日でも特別社員証で出入りしていた。大道具の仕事は多岐たきに渡り、トラブルを飽きさせる事はなかった。




「皆んな、今年もクリスマスパーティーの知らせが来たぞ」


 ソン・シムが朝のミーティングで社内チラシを振る。


 この会社は社員の家族も集めて、よくイベントを行っていた。


 夏はバーベキューや登山キャンプ。冬はスキーなど、それが得意なスタッフが中心となって、企画・開催をする。


 もちろん予算は会社持ちで参加費を取る事もあるが、なにしろ安いので、いつもすぐに定員に達してしまう。


 唯一、代表が夫人を連れて参加する、このクリスマスパーティーは会社のメインイベントだ。


 ロビーで、DJを入れてクラブのようなパーティーを毎年、開催していた。


「参加しまーす」


 参加者はサインをするだけで、あとは当日を楽しみにしていればよかった。


 その日の昼休憩。


「今日はカン・ジフンは来ないのか?」


 ソン・シムに言われ、トラブルは、さあ?と、首を傾げる。


「連絡取り合わないのか? 変な関係だな、お前たち」


 呆れるソンに、意味がわからないと無表情で表現し、トラブルは倉庫の片隅で本を読みながら昼食を摂る。


 食べ終わると、うーんと、横になり、本を顔に乗せ、しばし入眠…… 。


「こらっ トラブル!」


 突然の代表の声で、顔から本がずり落ちた。


 真上で代表が仁王立ちで見下ろしている。


「お前、メンバーの健康管理をサボってるな!」


 何を言っているんだ?と、怪訝けげんそうに髪をかき上げる。


「ノエルの声が出なくなったぞ!」


 トラブルは寝起きとは思えない素早さでハッと立ち上がり、走り出す。


「ノエルは、控え室にいるからなー」


 後ろから叫ぶ代表の声が届いたか分からなかった。





 控え室では、ノエルが喉を押さえて辛そうに座っていた。


 トラブルはノックもせずにドアを開ける。


「あ、トラブル。ノエルが……」


 そう言うテオを無視して、診察を始める。


 喉を見る。扁桃腺が真っ赤にれている。耳の下を触る。耳下腺もわずかにれている。


 いつから?と、手話で聞くが、ノエルは分からないと首を振ってセスを見た。


 トラブルはセスに、伝えてと、手話を聞かせる。


「あ、ああ。いつからだ?」


 ノエルは、かすれた声で「5日前から痛くなって、ノド飴で様子を見てたけど、昨日から飲み込むのもつらくなってきて……」


 痛そうに顔をしかめるノエルに代わり、ゼノが補足した。


「歌謡祭の歌合わせ中に、まったく声が出なくなってしまいました」


 トラブルはゆっくりと、セスに向かい手話をした。


「熱? ノエル、熱はないのか?」と、訳すセス。


「ううん、ないよ」


 ノエルはトラブルを見て答えた。


「体はつらい? だるい? か?」


 不安気なセスの通訳に、OKを出すトラブル。


「んー、少しだるいかも」


 セスが思わずノエルの言葉を手話でトラブルに伝えようとして「あ、必要なかった」と、頭をかく。


 トラブルは、スマホで誰かに連絡を入れ、黒いリュックからノートパソコンを取り出して立ち上げた。


 起動を待つ間、体温計をノエルにはさみ、ノエルの額を触る。


 本人の言う通り、熱はないようだった。


 リュックから耳鏡を取り出し、耳の中を見る。


 ノートパソコンに、病院の診察室のような映像が映し出され、そこに、ふいに白衣を着た男性が座った。


「久しぶりですね」と、言いながら映像の男性は手話をした。トラブルも画面に向かって手話をする。


 しばらくトラブルの長い手話が続いた。


 テオが小さい声で「訳して下さい」と、セスに耳打ちをする。しかし、セスはそれよりも小さく首を振った。


「早すぎて分からない。ノエルの話をしているようだが……」


 トラブルがパソコンをノエルに向けた。


 映像の中で白衣の男性は、画面に親しみやすい笑顔を見せた。


「こんにちは。はじめまして、医師のイム・ユンジュと申します。これは、遠隔診療と言って離島などの医師がいない地域や、病院に簡単に行けない人々をフォローする為に作られたシステムです。芸能人も多く利用しています。守秘義務は絶対に守りますので、ご安心ください」


「は、はい」と、ノエルは緊張して答える。


「あなたの横の看護師は優秀なので、めったな事では私を必要としませんが、今回は急性上気道炎と診断しました。放っておくと熱が出て長引いてしまうので、抗生物質を処方します。看護師から受け取って下さい。かなり痛かったでしょう。今日、明日は大人しくしていた方がいいですね」

「ありがとうございます」


 ノエルは画面に頭を下げる。


 トラブルはパソコンを自分に向け、手短に手話をした。


「ん、分かった。用意しておく」


 男性はそれだけ言って診察を終わらせた。


 トラブルはパソコンをシャットダウンし、セスに向かい手話をする。


「薬を取ってくる。今日と明日は喋らない。だとよ、ノエル」


 トラブルはgoodと親指を立て、控え室を出て行った。


 マネージャーは、明後日には歌ってもいいのかなぁと、不安気だが、ゼノの明後日トラブルにてもらってから判断しましょうの、提案に納得をする。


 トラブルは小1時間で薬を持って戻ってきた。


 また、セスに通訳させる。


「1日3回、4日分。今、昼分飲む。今日は飲んではいけない」


「え? 昼分飲めって」と、ノエルは困惑する。


 トラブルが、違うと手を振り、セスに向かって『お・さ・け』と、口パクで言った。


「これは酒のことかー。今日は酒を飲んではいけない」

「薬を飲まない所だったよー! セスー!」

「悪い悪い、難しいんだって!」


「ノエルは一生カスカスの声に〜」と、ジョンがふざけて笑う。


「その前に病院行くし!……あー、痛い」


 喉を押さえるノエルに、笑い合うメンバー達。


 その日からトラブルは、メンバー達が会社にいる時はサボらずに様子を見に来るようになった。


 そして、機会がある度にセスに手話を聞かせる。


 セスは「やるより、聞く方が難しい」と、言いながらも、上達している様だった。

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