第33話 確信


 2日間、ノエルはトラブルの指示を守り、極力声を出さないように過ごした。


 当然、メンバー達も協力をする。


 テレビ収録では「✖️」と、書かれたマスクをして顔が見えないと笑いを取り、ラジオでは「喋れないなら、いなくていいじゃん」と、ツッコまれるようにした。


 1番苦労したのは禁酒だが、本人の「一口だけお願い」攻撃をスタッフ一丸となって乗り越えた。


 薬をきちんと服用しているか、朝は宿舎で4人に確認され、昼はトラブルに確認され、夜はマネージャーに確認された。


 一度、冗談で「あれ、朝、飲んだっけ?」と、とぼけてみせると、近くにいたテオがトラブルに首根っこを吊しあげられた。


「朝、飲んでます!確認しました!」と、言ってテオは解放された。


「トラブルって厳しいよね」

「パク先生がトラブルのいない間に不摂生する気持ちが分かったよ」


 テオとノエルはうなずき合う。


 2日後、ノエルの症状は消えた。


 トラブルからOKをもらい、本人よりもマネージャーが喜んだ。


『あと、2日は内服を忘れないように』


 トラブルのメモに、はーいと、返事をして「飲みに行こー!」と、ノエルは叫ぶ。


 トラブルが手話をして部屋を出て行った。


 セスが鼻で笑う。


「何、何、トラブルは何て言ったの?」

「ビール1杯まで、だと」

「そんな〜」


 




 今日もカン・ジフンとピクニックランチの為に土手に座る。


 風が強く、肌寒い。


 冷たい風にあたるのは好きだ。自分の体温を感じる事ができる。


 トラブルは両膝を抱え顔をうずめた。


「寒い?」


 優しい視線で心配顔を向けてくるカン・ジフン。


 あなたの方が寒そうですと、メモに書く。


 ジフンの鼻は真っ赤になっていた。


「うん、寒過ぎるね」


 帰ろうと、立ち上がる。


 カン・ジフンがシートをたたんでいる間、トラブルは土手にいる人々を見ていた。


 皆、冷たい風に足早になっている。


 突然「きゃー、お父さん」と、女の子の声が響いた。


 小さな女の子が突風に驚き父親にしがみつく。父親は笑いながら女の子を自分のコートで包んでやっていた。風が吹くたびに女の子は楽しそうな悲鳴をあげる。


 仲睦まじい親子の光景だった。


 誰が見ても微笑んでしまうその光景に、トラブルの心臓がドクンと、強く鳴る。


 思わず親子から目を背ける。女の子の楽し気な悲鳴は遠ざかって行くが、しかし、耳の中でまだ聞こえていた。


(あれが来る…… 早く、人目のつかない場所へ行かなくては…… )


 トラブルは逃げる様に走り出した。


 後ろでカン・ジフンの驚いた呼び声がするが、振り向いている余裕などない。


(早く、早く、人のいない所へ……)


 頭の中で色とりどりの光が点滅を始める。


(ダメだ、ダメだ、ダメだー!)


 無我夢中で走っていると壁にぶつかる。薄目を開けて見ると会社倉庫脇にある事務所ドアだった。


 ブラインドを覗くと、昼休憩中で誰もいない。


 急いでドアを開け、中に転がり入る。ぎゅっと目をつぶり、頭を抱えて座り込んだ。


 点滅する光は息をするヒマを与えない。


 光の中から大きな手が何度も振り下ろされる。体が弾かれた様に左右に揺れた。


(やめて! やめて、お父さん!)


 どのくらい時間が経ったのだろうか。突然、強い力で手首をつかまれた。


「トラブル! 俺を見ろ! 目を開けるんだ!俺を見ろ!」


 そこにはセスがいた。視線が合う。


「いいか、もう大丈夫だ。俺を見ろトラブル。もう大丈夫、大丈夫だ」


 トラブルは小さくうなずいた。


 頭の中の光は消えていた。


(助かった……)


 力が抜けるトラブルを、セスもホッとして抱きしめた。


 トラブルが顔を上げると、セスの肩越しに、りガラスの窓の外にメンバー達が立っているのが見える。


 カン・ジフンの声も聞こえる。


(なぜ?)


 体を離して見る。


「ノエルが…… 」と、セスは説明をした。





 その時、メンバー達は移動の為に会社裏口から車に乗り込む所だった。


「ねぇ、あれトラブル?」


 ノエルが指差す。


 トラブルが走って倉庫へ向かっているが、明らかに様子がおかしい。


 事務所のドアに体当たりして、入って行った。


「あれが、起きてんじゃん?」


 ノエルの一言に走り出すセス。メンバー達も後を追った。


 セスが事務所内に入ると、トラブルは部屋の隅で目を塞ぎ座り込んでいた。


 体がガタガタと震えている。


(フラッシュバックだ!)


 セスがトラブルに駆け寄った直後、カン・ジフンが後を追う様に走って来た。


 ゼノが咄嗟とっさにドアを閉め、カン・ジフンに向き直る。


「トラブル、来ませんでしたか?」と、カン・ジフンは肩で息をした。


「何かあったのですか?」


 ゼノは質問に質問で返した。


 カン・ジフンは、トラブルが川をじっと見ていて突然走り出したと、説明をした。


 今、彼女は具合が悪くなっている。セスが話をしているので待って欲しいと伝えると、カン・ジフンは「はい、分かりました」と、落ち着きを取り戻した。


 その素直な様子を見て、悪い男ではないと、ゼノは感じた。




 トラブルはセスの手を借りて立ち上がる。


「カン・ジフンに何かされたわけじゃないんだな」


 セスは低い声で確認をした。


 トラブルは、そうではないと、手話で答えた。




 ドアが開き、セスとトラブルが出て来た。


 トラブルはメンバー達ににペコッと頭を下げ、カン・ジフンに手をあげて倉庫に入って行った。


 カン・ジフンは追い掛け様とするが、セスはそれを止めた。


「今はそっとしておくんだ。その内、トラブルが話してくれる」


 カン・ジフンは心配そうに見送るしかなかった。




 トラブルはトイレで顔を乱暴に洗った。


 カン・ジフンと話さなくてはならない。しかし、考えただけで胃が下がる思いがする。


 何て言えばいいのか分からない。これがメンバー達やセスだったら何も言わずに日常に戻れるのに…… 。


 違う。私に「日常」なんかない。「いつもの1日」なんかない。気を抜けば誰かに襲われる。戦い続けなくてはならない。


 1人、ずっと奥歯を噛み締めていなくてはならない。


 この感覚。誰も理解出来ない、して欲しくない、私だけの感覚。


 私だけ…… 。


 鏡の中の自分を睨みつける。





 車の中でマネージャーが、皆んな、いなくなっちゃってどうしたのよーと、怒っている。


「すみませーん。急に走りたくなって」


 ノエルが髪をかき上げて誤魔化した。


 セスが、ぐったりとしてシートにもたれ掛かった。


「どうしました?」

「すごく疲れた。失敗したら……プレッシャーだった。上手くいったのかトラブルが自分から戻ったのか、分からない」


「セスが上手くやったんだよー」と、テオがフォローをする。


「そうですよ。トラブルは救われました」


 リーダーのゼノはセスの肩を叩いた。


 慰めてくれるメンバー達の声を聞きながら、セスは確信した。


(代表は、あのフラッシュバックを何度も経験している……)


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