第230話 顔面パンチ


 青い家の階段は、きしむ事なく静かにセスを階下に送る。


 月明かりが1階の窓を四角く浮かび上がらせていた。


 セスの足は自然と古いカメラの並ぶ一角に向かう。


 薄く埃を被ったカメラ達の中に、真新しいカメラケースを見つけた。金色のP.Yの文字が読める。


(P.Y…パク・ユンホか……)


 壁に掛かる写真が目に入った。


 髪の長い女性の後ろ姿。


(これは……)


 セスは、じっと月明かりの中でその写真を見つめた。


(ああ、そうか。チェ・ジオンは、これを俺に伝えたかったのか…… 分かった。分かったから、もう消えろ……)


 何の前触れもなく肩に白い手が掛けられた。


「!」


 セスが飛び上がりそうな勢いで振り向くと、トラブルが立っていた。


 トラブルもセスと同じくらい驚いた顔をしている。


「何だ…… 脅かすなよー」


大丈夫ですか?


「あ、ああ、お前こそ大丈夫か?」


頭が痛いです。


「だろうな」


こんな夜中に、どうしたのですか?


「いや……これはパク・ユンホの遺品か?」


 金色のイニシャルを指す。


はい、これだけ頂いて来ました。


「そうか。この……この写真はお前か?」


 セスは、2階で見た女性の後ろ姿の写真を見ながら質問をするが、トラブルの返事を見ようとはしなかった。


 写真から目をらす事が出来ない。


 カメラをのぞくチェ・ジオンと自分が重なる。


『なぁ、ジウ、幸せか? 俺は、お前以上に幸せだよ。もし、お前が河原の石ころでも、俺はお前に気が付くさ。あー、その背中をずっと見ていたい。お前が見ている、その先を見続けたいんだ…… だから……』


 セスの胸が苦しくなる。


 セスは胸に手を当て、目をつぶり深呼吸をした。


(分かったって……)


セス?


 眉間にしわを寄せながら、目をつぶったまま深呼吸を繰り返すセスの肩をトラブルは揺する。


(待ってくれ。今、コイツを追い出す…… しつこいな、分かったって言ってるだろ……)


 セスの尋常ではない様子にトラブルは慌てた。そして、勘違いをした。


(セス! どうしよう……誰から抜けられないでいるの? えっと、対処法は……)


 セスは、ゆっくりと目を開ける。


(よし、出て行った……)


「もう、心配は……イっ!」


 セスは頬に痛みを感じながら、後ろに吹っ飛んだ。


 床に手をつき、頬を押さえながら見上げると、拳を握りしめたトラブルが見下ろしていた。


「お前! 痛ってー!」


戻りました? 大丈夫ですか?


「戻ってたさ! 何で殴るんだよ! 痛てー」


対処法です。


「本当にグーパンチする奴がいるか! 人の顔を何だと思ってるんだ!」


 セスは頬を押さえたまま、立ち上がる。


「痛てーなー」


すみません。


「……対処法はキスだって言っただろ」

(第2章第220話参照)


次は、腹パンにしましょうか?


「冗談だよな?」


冗談ではありません。さ、冷やしますよ。


 トラブルにうながされて階段を上がる。


 背中にカメラのレンズ達の視線を感じた。


「信じろって……」


 セスは小さくつぶやく。


 トラブルは、ん?と、振り向いた。


「あー、馬鹿力で殴られて痛いなー」


 セスは自分の頰をさすりながら大声で誤魔化した。


 ぐっすりと眠るゼノの足を退け、自分の寝床に横になる。


 トラブルが差し出した保冷剤を頰に当てながら、胸元をさすった。


 トラブルはセスのその仕草を見ながら、隣に座った。


「頭痛は治ったのか?」


いえ、まだ痛いです。


「もう、寝ろよ」


さっき、何があったのですか? 以前、テオも同じ様に胸を押さえて私の写真を見ていました。

(第2章第161話参照)


「あの、写真はー……」


 セスは言葉を選びながら話し出す。

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