第357話 子守唄

 

 昼間、代表はハン・チホの両親に頭を下げていた。


 ハン・チホは代表からチョ・ガンジンの素行について説明され、本当は体調の悪さではなくマネージャーの厳しさに心が折れたと認めた。


 しかし、チョ・ガンジンはスーパースターのゼノを育てたと豪語していた為、そのやり方についていけない自分の弱さだと信じ込まされていたと話した。


 トラブルから、友人であるカン・ジフンのメールをもらった時、チョ・ガンジンに始めて疑問を抱いたと両親に告白した。


 そして、代表の作戦に協力したいと両親を説得する。


「お願いだよ、もう一度、やらせて。僕が逃げ出した時、代表は迎えに来てくれたでしょ? 僕の事、もったい無いって言ってくれたでしょ? 本当はすごく嬉しかったんだよ。こんなチャンス2度とないと思う。お願いします」


 ハン・チホの両親は、息子がアトピー性皮膚炎と診断されてからも受診はおろか薬も与えられなかったと訴えた。


 代表は自分の管理不足だったと頭を下げる。


「お父さん、違うよ。アトピーを見つけてくれたメイクさんも看護師さんも、ちゃんと薬をくれて塗り方とか教えてくれたんだよ。(第2章第76話参照)チョ・ガンジンさんだけが、気持ちの問題だって医務室に行かせてくれなかったんだ。僕は戻るよ。戻りたいんだ。僕みたいな思いをする子が2度と出ない様にしたいんだよ。それに、やっぱり僕は歌手になりたい」


 息子の決心を聞いて、1日1回は看護師に虐待を受けていないかチェックさせる事を条件に、両親は折れた。


 代表は、その条件を必ず守ると約束し、ハン・チホは翌日から宿舎に戻る事が決まった。






 夜、トラブルはチョ・ガンジンの嫌な笑い顔を思い出し、身震いしながら入浴を済ませた。


 コンビニで買って来たチョコレートケーキを食べる。


(夕飯がこれだけって、テオに知られたら飛行機に飛び乗って帰って来そうだな……ま、昨日、キチンと食べたから大丈夫だ。それにしても……)


 チョ・ガンジンを、どこかで見た顔だと感じた。


(2番目の養父ちちに似ている……悪党になりきれず、善人ぶって自分の利益と欲求だけを満たして満足する、小さい男……)


 トラブルは歯磨きを済ましてベッドに入った。


(テオにいやしてもらおうっと。テオー)


 トラブルはテオにビデオ通話をする。


 テオはすぐに応答した。


『トラブル、早かったね。もうベッドの中?』


はい。まだ食事中ですか?


『うん、もう少し。トラブルに会えると思ったらワインが飲みたくなってさー。サラダをつまみにしてるんだー。ほら、日本のワインだよ。何て書いてあるか分かんないけど』


信州ワインと書いてあります。美味しいですか?


『うん、すごく美味しいよ。渋みがなくて飲みやすい』


こっちでも、売っているかな……?


『飲みたくなったの?』


はい、味見がしたいです。


『じゃあ、お土産で買って帰るよ』


すぐアメリカに出発ですよね? ご家族に会うと言っていましたが?


『うん、会うけど実家に泊まるのはやめたんだ。トラブルんに泊まってもイイ?』


はい、もちろんです。


『良かった。あのさ、泊まるって事は……その、あの、例のが、アレを、で、イイって事なのかなぁ……?』


何ですか? 電波状況が悪い?


『いや、悪くないよ。あのさ、だから、貧血も治ったのかなぁって』


もしもーし、聞き取れません。


『本当? こっちはちゃんと見えているよ』


全然、聞こえませーん。


『……わざと言っているでしょう。誤魔化さなくても嫌なら嫌って言ってくれれば、ガマンするよ』


嫌です。


『ぐっ! なんでだよ! いや、でも、今までも我慢して来たし、トラブルが嫌なら、そんな事しなくても僕は幸せだし。一緒にいられるだけで……なんで嫌なの? ねぇ! 笑ってないで答えてよー』


可愛い。


『バカにして……もう、いいもん。トラブルがお願いして来るまでキスもしてあげないもんねー。あっかんべーだ』


可愛いー!


『また、バカにしたー! もうっ! こんな会話、何回すれば気が済むのさ。分かった、僕が聞くからいけないんだ。問答無用で押し倒してやるー!』


はい、待っています。


『え! 本当⁈ 本当に待ってるの? そうなの? いいの?……あ、また聞いちゃった。もー、笑わないでよー』


あー、いやされる。


いやされるって、なんで? 何かストレスがあるの?』


代表がストレスです。でも、テオを見ると幸せを感じてストレスがなくなります。


『そっか。今、代表と動いているんだもんね。僕もトラブルに会うのを楽しみにして頑張れているよ。今日のコンサートも大成功だったし。また、ノエルが泣いちゃったんだよー』


そうですか。感動したのですね。


『うん、温かい雰囲気で終わって幸せだったよ。思い出しても、じ〜んとしてくる』


良かったですね。


『うん……トラブル、眠い?』


はい。眠くなって来ました。


『じゃ、布団に入って横になって。子守唄歌ってあげる』


はい。


『もう、手話しなくていいよ。そのまま、眠って』


 トラブルはスマホを持ち上げ、布団の中に入る。


 横になり、スマホに顔を近づけた。


 テオの声に、目をつぶって耳を澄ませる。


 低く甘い歌声が、トラブルの周りの空気を湿らせる。温かくて甘いシロップに包まれる感覚に、トラブルはゆっくりと夢の中に落ちて行った。

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