第148話 すれ違い


 家を見上げているテオを、トラブルは離れた場所から見ていた。


 なぜテオは、あんなにも悲しげに家を見るのだろう。


 トラブルは声にならない声で呼んでみる。


『チェ・ジオン……』


 テオが振り向いた。驚いた顔のトラブルにテオは、いつもの調子で言う。 


「ケーキ屋さん行こっか」  


 テオは歩き出し、トラブルは付いて行く。幹線道路に出る前に帽子とマスクをつけ「どっち?」と、テオは聞く。


 トラブルを先頭にテオは無言で付いて歩いた。


 新しいケーキ屋は、お洒落な焼菓子や惣菜パンも並んでいた。平日の昼間にも関わらず、お客が絶えない。


「うわ、迷うなー」


 トラブルは迷わずチョコレートケーキを指差した。


「だよねー。どうせならホールケーキにしようよ。今日の記念に」


 テオはミニサイズ(日本での4号・2〜3人前)のチョコレートケーキを頼む。


「こっちのパンも美味しそうだなぁ」


 悩んだ末、惣菜パンを数個選び、テオが電子マネーで支払った。


 帰り道、テオは両手にケーキの箱と惣菜パンの袋を揺らしながら鼻歌を歌う。


 親から子へと歌い継がれてきた昔からある童謡。


 しかし、トラブルには知らない歌だった。


 家に着くとテオは自分に鍵を開けさせて欲しいと頼む。トラブルにケーキの箱を渡し、鍵を差し込むとドアノブを持ち上げながら回した。


 カチリ


「やった。コツをつかんだよ」


 テオの笑顔に、ホッとするトラブル。


 2階でテオは上着を脱ぐ。


 ラグだけ敷いてある空間で床に座り、ケーキを取り出し箱に乗せた。


「さすがに手では食べられないね」 


 トラブルが冷蔵庫から水を取り出す間、テオは小さな食器棚をのぞく。そこには一人前の食器しかなかった。


 トラブルは紙皿とプラスチックフォークをテオに渡す。そして、まな板とナイフをラグに運び、テオがケーキを切り、トラブルが皿に受け取った。


 ペットボトルの水で乾杯をして、ケーキを一口。


「んー! 美味しい!」


 トラブルも大きくうなずいた。


 甘すぎずトラブル好みの味だった。


「スポンジの下、クッキー生地になっているよ! うわ、サクサクしてる。ヤバい、ホールで食べれちゃうね」


 トラブルは更に大きくうなずいた。


 テオは思い出したと額に手をやる。


「 ロウソク忘れたー! せっかくの記念日なのにー」


何の記念日ですか?


「トラブルと、始めての2人でご飯記念日」


なるほど。


「興味ないでしょ」


はい。


「やっぱりなー。ノエルの言った通りだよ。普通はさ、出会った記念日とか付き合い始めた記念日とか3ヶ月記念日とか、お祝いするんだけど。興味ないね」


はい。


「ま、いっか。ねぇ……トラブル、お酒ない?」


あー、水しかないです。飲む人でしたっけ?


「うん、最近ノエルとセスと晩酌ばんしゃくしてるんだ。まだ、ビールか缶チューハイだけど」


あの2人と同じペースで飲んではいけませんよ。


「同じペースなんて無理だよー。セスは代表からワインをもらってハマってるし、ノエルは焼酎をロックで飲んでるんだよ? 2人にはビールなんて水だよ。水。トラブルは飲めないの?」


付き合い程度で飲んでいた時期もありましたが、弱いです。


「飲むとどうなるの? 」


赤いまだら模様の牛みたいになります。


「赤い牛⁈」


はい。顔も体も真っ赤になってポーッとします。


「本当に弱いんだねー。意外だなぁ。お酒ならトラブルに勝てるかも」


飲みたいならコンビニに行ってきましょうか?


「僕が行ってくるよ」


 テオは上着を取り、一人で出て行った。


 トラブルは、テオが飲みたがるなんて珍しい。飲まないといられないのかな? と、思うがテオの私生活を知っている訳ではないと、その考えを頭から振り払った。


 1人、床に座っているとこの家は広い。


 少し肌寒くなって来たのでトラブルは窓を閉めた。


 1階の窓も閉めに降りて行くと、買い物を終わらせたテオが外に立っていた。


 家の中は暗く、テオはトラブルに気が付いていない。


 家を見上げて、やはり、悲しそうな顔をしていた。トラブルはそっと窓から離れ、2階に上がる。


 テオは情けない気分になっていた。


(お酒の力を借りたくなるなんて……トラブルも変だと感じているだろうな……せっかく招待してくれたのに……)


 家に入りづらい。


 ここはトラブルが一番幸せだった場所。今から、もう一度幸せになろうとしている場所。そこに僕が入ってもいいのだろうか。


 意を決してドアを開ける。家の中はすでに暗かった。


 2階に上がり「ただいま」と声をかける。


 トラブルは床に座ったままの姿勢でいた。

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